わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、
かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。
わたしには、あなたがたの知らない食物がある。
わたしの食物というのは、
わたしをつかわされたかたのみこころを行い、
そのみわざをなし遂げることである。
(ヨハネによる福音書 4章より)
☆
かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。
わたしには、あなたがたの知らない食物がある。
わたしの食物というのは、
わたしをつかわされたかたのみこころを行い、
そのみわざをなし遂げることである。
(ヨハネによる福音書 4章より)
☆
李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1977年のみ言「イエス様の内的生活」より
「心霊の糧食(食物のこと)」です。
☆
心霊の糧食
皆さん、今朝、敬礼式をしましたね。
敬礼式というのは、お父様が
敬礼を受けようと思って敬礼させるのではありません。
皆さんが父の名前で互いに仕えることのできる
家庭となり、互いに侍られる人になるようにと
目的をもって敬礼させるのです。
ところで人々とは和睦できないでいながら
早朝から起きて沐浴し、白い服を着、
頭をペコペコするならば、神が
「そうか、お前は実に根気よく寝床から飛び起き、
私を慕うからけなげだなあ」と言われると思いますか?
むしろ「ああ、心配だ。
私を見て良いと思っても、
お前を見て良いという人がいないから、
お前を見るたびに心配だ、心配だ」と、
このように言われるのです。
☆
多分、嫁に行けなかった娘をもった
父母の心配と同じはずです。
年齢が満ちた娘が父母の前に食膳をかかげて
入ってくるならば、父母の心は喜ばしいというより
「この娘をだれにあげようか」という心配が先立ちます。
三十歳近くなった娘をもった父母の心はどうでしょうか。
同じく今日、私たちが神の前に敬礼をしながら
父の名前で互いに情的に通じる家庭をつくって
おくことができないならば、天も心配なさるのです。
☆
侍るということは、抽象的なことではなく、
自分の生活圏内で互いに侍って授受することを言います。
侍るということは、「私の事情が君の事情だ」と、
このように信仰的に授受することを言います。
このように授受することができなければ寂しいのです。
皆さんがこのみ旨を知りながらも、
夫婦間にみ旨を中心として授受することが
できないときは寂しくなります。
困難がある、寂しいというときが
まさしくその時です。
反対に私たちがみ言を証し、相手側が
み言を喜ぶならばうれしいのです。
腹が膨れるというのです。
☆
サマリヤの女*が「私たちが
どのようにするならばキリストに会うでしょうか。
メシヤにどのように会うことができるでしょうか」
と言いますから、「私がそうです」と言われながら、
ご自身がメシヤであることを明らかになさいました。
イエス様がこの地上に来られて
ご自身がメシヤであることを直接話した相手は、
サマリヤの女しかいませんでした。
弟子たちにも話すことができませんでした。
ところがこの女には胸の内にこもっていた言葉を
語ることができ、いかばかり心温まったことでしょうか。
そうしているところに弟子たちが来て、
「ラビよ、お召し上がりください」と言いますから
イエス様は「私には、お前たちが
知ることのできない糧食がある」と言われたのです。
結局は、私たちの腹が膨れるのはなぜかと言えば、
私の心を分かってくれ、私の話を聞いてくれ、
私のことをひどく心配してくれる人がいるからです。
それが、私の霊人体の糧食になるのです。
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
☆
*サマリヤの女:解説のために
下にヨハネによる福音書 4章の
サマリヤの部分を添付します。
再編集 文責:ten1ko2
下にヨハネによる福音書 4章の
サマリヤの部分を添付します。
再編集 文責:ten1ko2
イエス様は弟子たちと授受しながらも
本当の意味で心が満たされなかったのだと思います。
サマリヤの女は、イエス様を受け入れました。
イスラエル民族(ユダヤ人)が蔑視していたサマリヤ人(びと)でしたが
その一人の女性の、メシヤを求める純粋な心に
「腹が膨れた」のでした。
サマリヤの女とは、唯一、イエス様が
自らを救世主であると告げることができた
人だったとのこと。
どれだけ深い交流ができたのでしょうか。
イエス様から「永遠の命にいたる水」を受け、
さらに、この人はキリストであると、
多くの人に証していきました。
イエス様は、予定を変更して2日サマリヤに滞在して
み言を語り、サマリヤは大復興しました。
つまり、この女性が伝道したことになります。
私たちも外的に見れば、何の価値も取柄もない者たちです。
だからこそ、サマリヤの女のように、
真の父母様を慕う、純粋な心情を持ち、
父母様に侍っていきたい。。。
つまり、その願いであるみ旨をなすこと、
私たちの家庭と、世界を神様につなげ、
天と真の父母様が、喜んでくださり、
満腹になってくださるように、努めたいと思います。
ヨハネによる福音書 4章(口語訳)
5そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、 6そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。 7ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。 8弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。 9すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。 10イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。 11女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。 12あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。 13イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 14しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。 15女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。 16イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。 17女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。 18あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。 19女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。 20わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。 21イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 22あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。 23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 24神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。 25女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。 26イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。
27そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。 28この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、 29「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。 30人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。 31その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。 32ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。 33そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。 34イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。 35あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。 36刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。 37そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。 38わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。
39さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。 40そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。 41そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。 42彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。
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