伝道が実るための必須事項・・・一つになる *劉孝元先生のエピソード
篠崎幸郎先生の「喜びと幸せの生活伝道」より、
一押しの『神様が取ることのできる条件』です。
☆
神様が取ることのできる条件
責任者(アベル)と食口(カイン)の一体化を阻む障害として、
例えば、アベルの堕落性、互いの性格の違い、
そして意見の相違などがあります。
互いにみ旨を愛し一生懸命取り組んでいるのに、
責任者と食口の意見が合わないということが起きるのです。
この意見の相違という問題について考えてみます。
☆
韓国の草創期の、劉孝元先生と
食口たちとのエピソードを紹介します。
あることを進める際、AとBのどちらの方法が良いか、
劉孝元先生と食口が相談しました。
食口たちはどう考えてもBが良いと思って
劉孝元先生と多くの意見交換をしましたが、
最終的に、劉孝元先生はAで押し切ったそうです。
そして、その結果は良くありませんでした。
皆は「だから言ったじゃないか」
と言って劉孝元先生を批判しました。
その話が真のお父様まで届いたそうです。
ところが、お父様は
「それでも劉協会長が正しい」
とおっしゃったというのです。
☆
なぜでしょうか?
AよりもBのほうがいいのに、中心者が認めない。
だから自分でやって中心者に認めさせようという発想は、
たとえ七の実績が上がっても、
サタンが持っていくというのです。
三の実績しかなかったとしても、
神様が主管されることをすべきだというのです。
原理的な条件があれば、神様が
さらに大きな恵みを与えてもサタンは讒訴できません。
神様がお取りになれる原理的な条件があれば、
神様はその条件をもって摂理されるでしょう。
重要なことは、サタンが侵入することの
できない基台をいかに立てるかなのです。
☆
堕落の血統を受け継いだ私たちにとって、
「堕落性を脱ぐ」ことは簡単ではありません。
アベル・カインの関係を通して、
堕落性を脱ぐための闘いも起こります。
特に、伝道においてそれが起こりやすいのです。
闘いが生じることは悪いことではありません、
それは歴史的な蕩減を懸けた闘いなので、
すべてに意味があります。
伝道においては、アベルとカインが
その立場に置かれたことを感謝し、
互いの立場を尊重しながら一つになったときに、
神様の愛が流れ、新しい生命として霊の子が誕生するのです。
アベルとカインの愛の秩序が立ったとき、
伝道は実るようになっているのです。
篠崎幸郎著「喜びと幸せの生活伝道」より
☆
再編集 文責:ten1ko2
このみ言を初めて読んだとき、
結構、衝撃を受けました。
劉孝元先生だけでなく、
お父様ご自身も、実績が少ない、
「劉孝元先生が正しい」と言われたのです。
これは、お父様が劉孝元先生を好きだから、
という理由ではなく、
アベル・カインの原則に応じたものだからこそ、
語られたみ言だったと思います。
やはり、供え物は、アベルを通じて、
神様が取られるものであるし、
一つになることが、目的であることを
教えていただきました。
また、天が立てた位置に、神様が働くので、
人事、というものは、決して人間的なものでないし、
中心の決め事も、天の計らいの中で、
行われていることを理解する必要があると思います。
ただ、アベル=絶対的存在、ではありません。
日本のアベル・カイン観は間違っている、といつも言われてきました。
日本は、武士道のような、主君に絶対服従、
という精神が信仰のようになってきました。
主人と僕の位置ではないのです。
心情を中心とした関係である。。。
そのことが前提であることを忘れてはならないと思うのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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