2024年03月28日

(証し)永遠のお兄さんであり、忠孝の勝利者・文孝進様の素顔 《聖和16周年企画》



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▲真の父母様と孝進様のご家族


Blessed Lifeの特別企画、文孝進様の孝情に学ぶ
最終回は、「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」です。


近年、真のお母様は折に触れて、孝進様の孝行息子としての生き方に言及し、孝情の模範とするよう二世・三世を激励されます。そこで、孝進様の孝情がいかなるものであったかを学ぶ一助として、孝進様に近く侍ったかたの証言を紹介します。(一部、編集部が加筆・修正)

証し 文孝進様の思い出
「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」より

敵を許すことに勝利された「忠孝開門主」

2005年12月28日、ボストンでご子息の信吉(シンギル)様が
交通事故で亡くなられました。

信吉様が亡くなる1週間前に、
孝進様は信吉様と数年ぶりに会っておられました。

孝進様のショックは計り知れないものでした。
その3日後の2006年1月1日から、
孝進様はベルベディアで早朝の説教を始められました。

その礼拝は毎週欠かさず、
2008年の聖和まで続けられたのです。

孝進様はこうおっしゃいました。
「父として信吉に何の教育も
してやれなかったのが心残りだ。
彼を教育するために礼拝をする。
彼は霊界で聞いているだろうから」

2年余りにわたって語られたこの説教は、
霊的に研ぎ澄まされた、とても深い内容です。
珠玉の説教です。

真のお父様も、孝進様がこのように
説教を続けられたことを評価しておられたと聞いています。

真の孝行息子

最近、真のお母様がよく孝進様を
孝行息子として紹介されます。

それは、孝進様が真の父母様と同じゴールを
見ていらっしゃったからではないかと、私は考えています。

実は、生前の孝進様は誰の言うことも聞かなかったのです。
真の父母様の忠告さえも……。

ですから、はた目からは「音楽ばかりやっている
道楽息子」に見られがちでした。

しかしそれらの行動の全ては、
「理想世界を築きたいんでしょう?
だったら、そのためには、こういう道がありますよ」
という確固たる信念があってのことだったのです。

ですが、それは簡単な道ではありません。
事実、孝進様がマルチメディアの分野を開拓したいと
おっしゃったとき、真のお父様は
「それは大変だからやるな」とおっしゃったそうです。

孝進様は、「簡単だからやれ」と言われたら、
むしろなさらなかったのではないでしょうか。

「孝行息子」とは、父母から言われたことを
そのままやるだけでは不足なのだと思います。

孝進様は、真の父母様のゴールがこれだということを
あらかじめ分かっていて、それだったら、
自分はこの道でできる、これが最大のささげものだ
と信じて、それに人生を懸けたのです。

 
孝進様は2007年頃、長年にわたってどうしても
許すことができないでいた食口と、涙の和解をされました。

その食口が病気で入院したときに、
韓国までお見舞いに行かれたのです。

その食口に対して「許す」とおっしゃり、
そのかたも悔い改めたのです。

それからの孝進様は、
「私は名前のとおりに生き、良く死ぬ」
と繰り返し語られるようになりました。

 
2004年に「最後の祈り」の詩を
書かれた日のことを思い出します。

孝進様はご自分で歌ったこの曲を
何十回となく聴かれて、ひたすら泣かれました。

恨みを超え、常に前を向いて歩まれた

 孝進様は、真の父母様の解放のために身もだえしながら、
信じられないほど重い十字架を背負って、
目を覆うほどに痛々しく人生を駆け抜けて行かれました。

私は個人的には、孝進様の勝利は
「恨みを乗り越えた」ということではないか
と思っています。

孝進様は憤怒に翻弄されながらも、
常に前を向こうと努力されました。

真のお父様が「敵を許しなさい」と言われたみ言は、
孝進様がその生涯を懸けて闘ってこられた
命題だったのです。

そうであるからこそ、真のお父様から
「深天開放苑 忠孝開門主」という
偉大なお名前を賜ったのだと思います。

(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2015年9月号掲載)

  
真のお父様のみ言

  霊界は秘密のようになっています。
  だれも知りません。
  深く、広く、高い天です。
  無限大の世界です。

  「深天開放苑」。
  それを開放することのできる新しい国の園
  という意味の「苑」です。
  開放する新しい園が開かれたのです。

  ……それから「忠孝開門主」です。
  忠と孝の天の門が開かれ、
  家庭に平和の柱を立てるためには、
  開門主となって、父子の関係を持った家庭が
  代表にならなければならないのです。

(2008年3月18日、孝進様の聖和式後のみ言)

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【聖和16周年特別企画】
文孝進様の孝情に学ぶ 7
証し 文孝進様の思い出
「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」
(Blessed Lifeより)
わかりやすく読んでいただくため、
段落や節の区切りを再編集しています。
文責:ten1ko2


孝進様の生涯・・・
証しにあるように、「恨みを乗り越えた」方、
それが孝進様の勝利である、と言われます。

真の子女様の歩み、
特に長男であられた孝進様は、
とうてい言い表すことができないような、
苦難の道を歩んでいかれました。

しかし、すべてを感謝して
乗り越えていかれた孝進様でした。

音楽の道に行かれるときも、
お父様は、辞めるように言われたのですね。。。

本当の孝行の道は何なのか、
それを教えていただいたような、
そんなことも思います。

今は、霊界で、お父様とともに、
私たちを協助してくださっています。

天心苑の徹夜精誠においては、
最近、よく孝進様の音楽が流れます。

徹夜精誠の中で聞くからなのでしょうか。
とても歌詞に哀切な心情を感じ、
口ずさみたくなりますね。。。

心情の深さと広さを感じます。
孝進様、ありがとうございます。




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2024年03月27日

独生女がもし偽物だったら・・・ 自分のために宣言したのではない 《文信出様*特別スピーチ 中編》



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信出様のメッセージ。
前回の続きです。



メシヤだから可能だった?
実は当たり前ではなかった

自らのために「独り娘」を宣布されたとは思えない

いまだに、世界も、家庭連合の中でも、
「真の父母様は本当に人間を超える、
すごい存在だ」と見ていますね。

でも、いま一度、真の父母様の生涯路程を
振り返ってみると、真のお父様も最初、
この使命を託されたときは、「できません」と否定し、
真のお母様も自分で相当の決心をしてから
祝福を受け、真の母になったと言いました。

そう考えたら、私たちがいまだに真の父母様の人生を見て、
当たり前のように思ってしまうこと、
メシアだから可能だと思っていたことは、
実は当たり前ではないのかな、と思ったのです。

実はその全ての中で、相当の悩みと苦しみ、
悲しみ、絶望、失敗があり、
立ち直る勇気が必要だったのだと思いました。


自分は孫でしかないのに、自分が背負っている責任、
背負ってもいない、これから背負なければならない責任を
想像するだけでもつぶれてなくなりそうなのに、
いったいどういう気持ちで真の父母様は
この道を歩んできたのかと思うと・・・

交代ができたと言ったら、うそです。
誰が交代できますか。


2012年に、真のお父様は聖和されましたね。
そこからは一人ですよね。真のお母様は。

今まではおふたりで背負ってきたその責任を
お一人で背負わければならない、
そういう状況になりました。

その状況でお母様は何をしました?
「独り娘」を宣布しました。

それに対して、「自分のためにやってるんだ」
とか言う方たちもいますが、
お母様はそれを通して何を得たか、
一瞬でも考えてみてください。

歴史に、「独り娘」という説明、
たった一つが足されるだけです。

もうすでに、人類の母親として
尊敬されている立場にいたのに、
わざわざ「独り娘」を宣布し、
わざわざ自分の息子たちを敵に回し、
わざわざ先輩家庭たちと食口たちの信頼を失い、
その路程を歩んだのです。

自分が一番厳しい時期に。
自分がいちばん諦めたい時期に。
自分がいちばん立ち直ることが難しかった時期に。

自分のためにやったと思えないですね。
一瞬でも父母様の心情に共感しようとしたなら、
誰でも思うことです。


私は、もし真のお母様が偽物だったら、
何をしたかなと想像しました。

お母様が偽物だったら、お父様が聖和されたその瞬間に、
全ての責任の息子に預け、逃げました。
私なら、そうしました。

何でわざわざ、この醜い世の中のために
その路程を続けるか、考えてください。
自分のために?
自分のためにそうします?


メシアという立場は、いつも、いつも
期待がこもっている目で見られます。
全てを見られます。
ミスをしては、だめです。

真のお母様、真のお父様はもう完璧なメシアすぎて、
私たちは、その真の父母様が人間だということが、
感情を持っているということが分からなかったのです。

諦めたい瞬間もあることを知らなかったのです。
私たちを超える、痛みを感じない(存在)、
そう考えました。

しかし、真の父母様もおっしゃったとおり、
真の父母様は、私たちに行くべき道を
教えるために来ました。

その道を教えるためには、(私たちと)
同じ立場でなくてはならないのです。
同じく苦しまなければならないのです!
同じく悲しまなくてはならない!

そうでなければ、どうやって
私たちがその道をついていくんですか!
考えてくださいよ。

当たり前なことではないのです!
メシアになったから
その道を歩めるわけではないのです。
相当の努力が必要です!

でも、なぜ皆さんはそんなに簡単に
諦めることができるのですか?
いったい真のお母様は今まで何度、
諦めたかったでしょうか。

1月21日 神奈川・川崎
「世界家庭」3月号より
再編集 文責:ten1ko2


信出様は、お母様の抱えている心情を
とことん追求されたのだと思います。
周りがどう言おうと。。。

いやむしろ、子女様や古い食口が
批判すればするほど、
お母様の心情を求めていかれたのでしょう。

編集された文章には表されていませんが、
実際のスピーチでは、相当激しく、語られています。
そういうところは孝進様の生き写しだと感じるほどです。

個人的に思うことですが、
お父様は、もっともっと、くどいくらいに
お母様を証しするべきだったのではないか。。。
そう思ってしまいます。

もちろん、お父様はお母様を信頼しておられ、
すべてを託しておられました。
そのようなみ言もたくさん残っています。

お母様が相応しい評価を受けるようになるには、
私たち自身も、もっと見せられるだけのものを持って
いなければなりませんが、何もないので、
ただただ、お母様と一つとなり、
証していきたいと思います。

あと一回続きます。




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2024年03月26日

父母様が私のことを、世界のことをいつも祈ってくれる その祈りがどう実ったか 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生が40年近く前に、
ヨーロッパで語られたみ言。今回より、
『理想の出発点は「ためにあること」』を
数回シリーズで紹介します。


オーストリア教会の皆さんに直接お会いすることができ、
心から感謝しております。

オーストリア教会の歴史は、
ポール・ワーナーさんの開拓以来、21年になります。
21回目のオーストリア教会創立記念日を心から祝賀します。

そしてオーストリア教会の皆さんが
ご父母様の心情を抱いて、
その願いを果たすようにと苦労されてきたことに
対して、心から感謝します。

また私は、こういう皆さんが
私の兄弟としているということを誇りに思います。

教会員のために祈られる先生

毎日曜日ならびに月初め、教会の祝祭日は、
朝五時に敬礼式をしますが、文先生は
常に世界中の統一教会のメンバーのために、
神が愛される孝子女になれるようにと
心を込めてお祈りしておられます。

そのお祈りがどのように世界の人々の中に実っているかを、
私は今、皆さんにお会いして実感しました。

先生はだれも知らない迫害の中で、
神の解放と人類の解放のために、
ご自身の家庭を犠牲にしながらひたすら歩む中で、

ついてくる私たちに対して、
「惨めな先生についてくる教会員も、
どんなにか惨めな道を歩んでいることだろう」
と考えながら、
神が直接見守ってくださるよう祈られるのです。

私は、そのように神にお祈りされる
先生の声をたびたび聞きました。

私たちはこの道を知る前に、神は栄光の神であり、
幸せな神であろうと思いました。
しかし、この道を知った時、私たちは、
神がどんなに惨めな神であるかが分かりました。

それゆえに、私たちは、常に難しいことがあっても
神に助けを請うよりも、
いかにして惨めな神の代わりに
なってあげられるかと思うまでに変わりました。

この世には宗教を信仰している人が
たくさんいますが、私たちはその点が違います。

個人の救いのための教えと、
神を解放し人類を解放するという教えと、
ここに大きな違いがあるのです。

私たちの行く道は、メシヤの行く道そのものです。

ですからこういう事情をよくご存じの先生は、
私たちのことを常に心配せざるを得ないので、
神の加護が私たちと共にあるようにと
常にお祈りしておられるのです。

それをはっきりと知ってほしいのです。

私は先生に出会ってから四十年になりますが、
先生はこの40年、一日も休まず朝5時から働いておられ、
夜12時以前に休まれるのを見たことがありません。

ですからこの先生と一緒に生活するということが、
どんなに難しいかがはっきりと分かります。

先生の近くに侍るリーダーであっても、
先生に自分のやっていることを報告したり、
あるいは指示を受ける必要がある時には、
1時でも、2時でも、3時でも我慢できますが、
その用事が済むと先生の所か
ら早く離れたいという心をもっています。

そういうことを見ても、先生が人の力ではできない生活を
しておられるということが分かります。

先生は、神の国をこの世に実現するという、
その目的を達成するまで、こういう生活を
継続しておられるということを念頭に置いてください。

1986年5月18日 オーストリア教会
理想の出発点は「ためにある」こと  
(生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼)
再編集 文責:ten1ko2


世界のすみずみにまで、
家庭連合は広がりました。

元弼先生が礼拝をされた地は、
ヨーロッパのオーストリアです。

ヨーロッパも数は少ないかもしれませんが、
それでも各地にみ言が伝えられました。

30年前、妻は、東ヨーロッパの地で、
宣教活動をしました。

真の父母様の祈りが、世界中に届き、
優秀な青年たちが歩んでいる姿に
心から感動したそうです。

現在、清平の地においては、
40日修練会に国際メンバーが
100名以上参加しているといいます。

妻がヨーロッパで活動した頃以降に
生まれた青年たちがほとんどであり、
当時のメンバーの子供たちもきっと、参加していると
考えると、感慨深いものがあります。

同じ兄弟姉妹として、
心情を共有できることが
どれだけ素晴らしいかを感じるのです。




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