2024年03月22日

これまでの時代の宗教者と、ここが変わらなければならない! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1979年のみ言「私は善なる牧者」、第1回目です。

 
そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
ヨハネによる福音書第10章7、8節


きょう、この聖句を選んだのは、
「真の善」についてお話ししようと思ったからです。

ここでイエス様が「私は善なる牧者だ」と語られました。
「私は善である」と語られた意味は何でしょうか。

イエス様がこの地に来られた目的は、
すべての世の中の人たちが真の生命を得るようにし、
その生命が豊かになるようにすることなので、
「私は善なる牧者だ」と語られたのです。

真の牧者と偽りの牧者

復帰摂理の過程で数多くの信仰の人物たちと
預言者たちが出てきましたが、その方たちは
神の摂理の中で召命を受け、その時代の人間たちを
神の前へ引導する使命を受けた立場でした。

けれども、自分自身が真の生命の主人に
なることができなかったので、
真の生命を与えることができませんでした。

それゆえに道徳的な人になることはできましたが、
真の生命を与えることができる
真の牧者になることはできなかったのです。

そして、その当時の教会指導者たちは、
自分を中心とした信仰をしながら、
自分の願いを中心として働き、
自分を中心とした観をもった人たちだったので、
イエス様は、彼らをどろぼうであり、
強盗であると語られました。

彼らは、人生がなぜあるのか、また、
どのような目的をもって生きなければならないか
というような内容を知ることができないでいながら、
自分を中心とした目的観をもって
羊の群れを引導するふりをし、
自分たちの目的をなそうとしたので、
その内心を責められたのです。

それゆえにイエス様は、ご自身だけが
善なる牧者であると強調なさいました。

「私は、あなたたちに
真の生命を与えることができる」と語られたのです。


私たちを真の生命で生まれ変わらせてくださる主が
真のご父母様になられましたので、
私たちはその方と真の子女の関係を結ばなければなりません。

なぜなら、私たちには真がないからです。

多くの宗教が今まで神を探し求めてきたけれども、
すべて自分のゆえに探し求めてきました。
自分が難しくて探し求めたと言えば理解しやすいのです。

彼らは、天のためにすることのできる内容がないので、
真情から付け加えるものを与えることができません。
それゆえに「偽り」になり得る立場であり、
「真」ではありません。


「真」がない人たちは、他人に
生命の喜びを与えることもできないし、
他人のためにする能力もありません。

ですから、他人を害することしかしない
「偽りなる牧者」だとイエス様は断定されました。

この地上に生きる人たちは、
大部分が自分たちの利益を中心として生きる人たちです。

それゆえにイエス様が「私があなたたちに
生命を与え、その生命を豊かにしようとして来た」
と語られたことは実に驚くべきみ言です。

 
今日、多くの信仰者たちは、すべて
自分のゆえに主を探し求めています。

すべての宗教が、病人が医者を探し求めるのと
同じ様相なのです。

ところが今日、統一教会は
どのような点が異なるのでしょうか? 

人類は、堕落の後孫として真の父母を失ったので、
真のご父母様として来られた主によって
真の子女たちになり、
神の願いのために生きようとする点が違います。

このような群れが集まった所が統一教会だということを、
私たちはいつも忘れてはなりません。
このような点が他の宗教と本質的に違うのです。

統一教会の信徒たちは、他の信仰者たちと信仰内容が
本質的に異ならなければなりません。

私のゆえに神がおられるのではなく
神の願いのゆえに私がいるという考え、
他の宗教人たちとは
本質的に異なった考え方をしなければなりません。

これが、成長した子女たちが
もたなければならない内容です。


あたかも未成年期の子女は、
今なお自分の願いを中心として父を好きになりますが、
だんだん成長して分別がつくようになれば、
自分の父母の気掛かりや心配事に
責任を負おうという考えをもつようになります。

そのように、統一教会の信徒たちは
蘇生期の信仰者とは異ならなければなりません。

私たち統一教会の信徒たちは、
祈祷するときにも祈祷の内容が異ならなければなりません。

今なお私たち統一教会の食口が、
自分を中心とした事情と願いをもって、
このようにしてくださいとか、
また、サタンがすきに付け入らないようにしてください
という祈祷をするならば、
分別(ふんべつ)がついておらず、原理が分からない人です。

1979年9月9日 韓国本部教会

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰

U 復帰摂理の恨
「私は善なる牧者」
再編集 文責:ten1ko2
※下にヨハネ福音書10章の関連部分を掲載しました


善なる牧会者として、
真の生命を与えていかれたイエス様。

自分を中心とした信仰、願いをもって
歩む教会指導者たちを
「どろぼうであり、強盗である」
そのようにイエス様は語られます。

私たちは、貴い道に導かれながら、
イエス様、真の父母様と同じような
真の生命を求める歩みをしているでしょうか。。。。

清平の天心苑徹夜精誠においては、
真の父母様と心情を共鳴するべく、
精誠を捧げているところです。

今日の夜には1000回目を迎えます。
1000回を超えるとさらに恩恵があるし、
自然と問題が解決するであろう、と言われております。

何よりも天と相対できる者になることを
念頭に置きながら、歩んでいきたいです。




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1よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。 2門からはいる者は、羊の羊飼である。 3門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。 4自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。 5ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。 6イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
7そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。 8わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 9わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。 10盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。 11わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 12羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。 13彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。 14わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 16わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。 17父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 18だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

ヨハネによる福音書 10章1節〜17節
(口語訳)


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2024年03月21日

6年前、死の淵からよみがえりました 霊人の運び屋だった私 《北谷巡回講師》



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北谷真雄・天寶巡回講師が、
天心苑徹夜精誠で証しをしておられました。


私は2021年3月から日本天寶巡回講師として歩んでいます。

私が5歳の時に父が単車でダンプカーの相手と
交通事故に遭い、医者からは今晩で亡くなると言われた時
母に不思議な事が起こりました。

神道の神様が母に入り、1週間調べる、
自分の事を自分で出来るように治るなら、
霊界から戻して来る、植物人間のようになるなら
このまま霊界に送ると言われました。

そして医者も認める奇跡が起こりました。

それから沢山の奇跡が起こり、
周りの人達が見てほしいと来るので、
神様が家を教会にしなさいと言われ、教会になりました。

(母は)毎日夜8時半から1時まで、50年間
精誠を尽くしてくれました。

その内容は毎日1人1人の恨みの霊を出して、
霊界に送ることでした。
1人の恨みの霊を癒すのに、
どれだけ大変かを見てきました。

今このHJ清平での天寶役亊がどれほど素晴らしいかを、
全人類、全霊人を救えることを実感しています。
宗教の目的はメシヤに会う事です。

沢山の霊界の体験をして、家族全員が
霊界から伝道され、母や父や姉の精誠で導かれました。


(6年前)私が四国の責任者をしていた時の事です。

2018年4月23日に本郷苑で倒れそうになり、
ここで倒れたら霊的にはいいが、
迷惑がかかると思った時、深呼吸して、少し良くなりました。

次の日に体調が少し悪かったが、日本の四国に帰りました。

部屋で着替えて、少し休めば良くなると思った時、
声が聞こえるのです。

その声はだんだん大きくなり、
「救急車を呼びなさい」
と言うお父様の声がするので、
救急車を呼んでもらいました。

そして大阪にいる妻に今から救急車で病院に行くと連絡して、
そして婦人部長が地元の人なのでどの病院がいいか尋ねたら、
高松赤十字病院だと言われたので、救急車の人に言いました。

その後私が意識が無くなり病院に着いた時、
心筋梗塞が起こり、14日間意識不明になりました。

医者が「1分遅れていたら死んでいた」と言われ、
そして緊急手術をしてくれました。

家族が大阪から駆けつけた時は、手術は終わっていました。
医者から家族には「難しい」と言われました。 

私の状態を徳野会長に報告が届いて、
会長が清平に連絡して下さって
医療天使の手続きをしてくれました。


医者から見たら、意識がないですが、
私はその時は霊眼が開いていました。
初めは天井に悪霊が沢山来ました。

何日か経って、私の部屋のドアが開きました。
そして真の父母様が入って来られました。

真の父母様を見た時
天の父母様であると理屈でなくわかりました。

そしてお父様がベッドで寝ている私の顔をのぞきこみ、
[大丈夫だよ]と言われ、
少し部屋におられて出ていかれました。

その後、力の強い天使が4人入って来られました。
そして部屋の4隅に座り守ってくれました。

そして右側を見たら、霊界の祭壇があり
私の事を祈ってくれていました。

そして沢山の祈ってくれている霊界の人達を見ると、
私が1998年10月に韓国の雪岳山(ソラクサン)に行った時に、
雪岳山の山の神と何十万の人間の霊達が
私に付いて来た(のですが、その)霊人たちでした。


(1998年10月、雪岳山に行った後)
私は本当は、東京に帰る予定でしたが、
大阪の母のところ行きました。

母は霊能者なので、実は私が5歳の時から、
母を通じて霊界(天使達)に育てられ、
統一教会に入るようになりました。

そして母の教会に着くと、雪岳山の山の神がまず、
母に入り「何千年この時を、待っていた。
そしてあなたは日本人だが日本人ではない」
と言われ、宜しくお願いしますと言われました。

そして、次は何十万の人間の霊を代表して、
同じように「この時を何千年待って来た、
宜しくお願いします」と涙を流され頼まれました。

そして私達は1人では力が無いが、
このお礼は必ずします、と涙を流して言われました。

その時は私は母を通じてしてたので、
肉眼では見えませんでしたが、
そして20年忘れていましたが、
この時は霊眼が開いていたので、はっきりわかりました。

そして霊界で祈ってくれている人達は
皆私が清平に連結した人達や解怨祝福した人達でした。

私は子供の頃から霊界に育てられたので、
清平ができて、1996年から霊人達の運び屋でした。


そして(病院のベットで寝ながら、霊眼を通して)
霊界の祭壇の向こうで
地上で祈ってくれている人達が見えました。

そして真の父母様が入って来られてから、
悪霊が出なくなり、それから不思議な事が起こりました。

私が心の中で質問すれば、
モーゼの石板に書かれたように、
天井に文字がきざまれました。

そして神様にお願いをしました。

もし私が治っても後遺症で、御旨が出来ないなら、
家族に迷惑をかけるなら霊界に送ってください。
御旨を出来るようにして下さいとお願いしました。


そして意識が戻る直前に、
神様から5つのことを言われました。

1 神様について正しく伝えよ

2 真の父母様について正しく伝えよ

3 霊界がある事をより多くの人に伝えよ

4 み言の生活を具体的に伝えよ

5 どんな事があっても神様が諦めないように、
親が子供に責任を持ちなさい

と言われ意識が戻りました。


意識が戻った時、身体の状態は最悪でした。
頭は大人なのですが、身体は赤ちゃんでした。

医者は後遺症が残ると言われましたが、
40日で退院して、それから5か月して
公職に復帰出来るようになり、
2年で体調が完全に戻り、
3年前から天寶巡回講師として毎日歩めています。

嘘の様です。

このようになれたのは、天の父母様と
真の父母様のおかげであります。
天の父母様真の父母様感謝します。

そして残された人生、真のお母様ワンオンマと
一つとなり、助けられたこの命、死ぬまで、
いや死んでも地上天国、天上天国を
真の父母様と共に死生決断、全力投入で歩みます。

994回天心苑特別徹夜精誠
孝情証し 北谷真雄・日本天寶巡回講師
2024.3.14
再編集 文責:ten1ko2


私たちのほとんどは、霊的に鈍いので、
霊界を見ることはできません。

しかし、北谷講師の証しのように、
解怨・祝福した霊人の方々は、
地上にいる私たちのために、
協助をしているんだな、と感じます。

そのことを信じて、
精誠を尽くす歩みを捧げていきたいと思うのです。

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2024年03月20日

一つになるには、その人の過去を知ってみる 目に見えないものを大切に・後編 《金元弼先生のベストアンサー》



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見えない神様と一つになるには、
どうしたらいいでしょうか──

金元弼先生のみ言、
『目に見えないものを大切にする心』
後編です。

1986年、ヨーロッパに赴任された際、
語られたみ言です。



目に見えないものの貴重さ

一つの例を分かりやすく話してみましょう。

一人の貧しいこじきがいるとします。
これをこじきだと思ったらそれほど関心はありません。
しかし、そのこじきの過去を調べてみると、
その親がある国の国王だったと考えてみましょう。

そうすると、ただのこじきで終わるでしょうか。
そうはならないでしょう。
そのこじきを大事にする心が出てくるのです。
そうでしょう?


また、私たちのメンバーの中に
気に入らない人がいるとしましょう。

しかしその人は、過去に自分の親から愛され、
本当に親孝行した人であるとするなら、
その人に対する考えがどう変わるでしょうか。

そういうことを考えてみると、
今現れているものばかりでなく、
現れていない部分を知るということが、
どんなに大切なことかが分かります。


先生は、北韓のろう屋から出られた時に、
ろう屋の中で食べておられた食べ物を持ってこられ、
平壌に残っていた弟子たちに
お土産として分けてくださいました。

ただ有り難いと考えるかもしれませんが、
先生がろう屋の中で食べたいけれども食べないで、
弟子たちにあげようと思って持ってこられたものだと考える時に、
どんなに感謝の心になるでしょうか。



神と真の父母を喜ばせるために

皆さん、いかがですか?
だれにも言わない、自分の良いところを
人々が分かってくれるというのは。

知られると嫌ですか。
それを私が分かるほうが良いですか。
真の父母に分かってもらうほうが、もっと良いですか。

そこで私は皆さんの良いところをどんどん見つけて、
それを真の父母に伝えてあげたいのです。

これが、私がこの国に来て一番やりたいことであり、
私の使命の中でも重要なものです。

そのためには、神と真の父母が願うことを、
皆さんにやってもらわなければなりません。
ところが皆さんには神の願いが分からないところがありますから、
それを教えるのが私の使命です。

時には私の言うことが皆さんにとって
気に入らないこともあるかもしれませんが、
それでも私の言うことを聞いてくれますか? (はい!)。
それが私を一番助けることです。

そうすれば、真の父母は、神は、皆さんの良いところを見て、
また皆さんの国の良いところを見て、お喜びになるでしょう。

そうしたらその神は、真の父母は、皆さん一人一人を、
また家庭を、皆さんの国を、
そしてヨーロッパを祝福したくなるでしょう。

それが私がやりたいことです。
私と皆さんが心を一つにして助け合うことができれば、
それが可能になるだろうと思います。
皆さんはそういうことをしようとする私を助けてくれますか? (はい!)。

神が喜ぶことを、真の父母が喜ぶことをたくさんしましょう!

一九八六年五月十五日
ドイツ・フランクフルト本部教会
『目に見えないものを大切にする心』

金元弼 信仰生活シリーズ 2
生活伝道 真の父母様に倣う伝道の精神
再編集 文責:ten1ko2


私たちは平面的な観点で物事を見つめがちです。
物事を立体的にみること、
平面的にみると問題がある時ほど、
そのような見つめ方が必要なのではないでしょうか。

かつて、復帰摂理のノア家庭において、
ハムがノアの裸につまずき、
心情一体化するための摂理が失敗したように、
一つ一つの現象の背後を
見つめていくことが大事なのだと思います。

そして、愛情をもって対していく。
すべてが神様の子女ですし、
神様の願いが託されています。

孝情というのが貴いのは、
すべてを超越して、
一つになれることだと思うのです。



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