UPA一期生が「神TOP GUN」として
日本を訪問し、今は世界各地に出発しています。
文信出様の特別スピーチ
「真の父母様に触れた人生は
どういうものか、証明する」です。
☆
不足でも、最後まで神様を信じて
あゆんだのが、摂理の中心人物たち
あゆんだのが、摂理の中心人物たち
【真の父母様に触れた人生はどういうものか、証明する】
私は、高校1年生の頃に初めて信仰を持ちました。
こう言うと、「あれ?でも小学生の頃から
行事で見た気がする」と思うかもしれませんが、
実は、その頃は何でそういう行事に行っているのか、
よく分かっていませんでしたね。
ただ、週末が奪われる、くらいで思っていました。(笑)
あとは、教会に行ったら、何かよく分からないけれど、
婦人たちが(手を振りながら)「いや〜!
信出様〜!」って、たくさんやってくれます。(笑)
当時は、「自分のおじいちゃんとおばあちゃんが
メシア的な存在と思われているから、
自分も持ち上げてもらっている」と、
頭では理解はしてみましたが、ちょっと難しかったですね。
☆
【信仰を持てば持つほど沼に落ちる気持ちだった】
でも、ある転換点がありました。
それを説明すると、話がとても長引くので省略します。(笑)
その転換点のおかげで、私は自らの信仰を持つことができました。
しかし、信仰を持てば持つほど、
沼に落ちていく気持ちでした。
なぜかというと、今まで自分が当たり前のように生きてきた、
この人生の中の全てが、どこから出てきたのかを学んだからです。
摂理歴史とか真の父母様の生涯路程を勉強すればするほど、
自分が、食口たち、そして真の父母様の血と汗と涙の上に
立っている気持ちになりました。
当時は、本当に教会に行きたくなかったですね。
期待がこもってるその目線がもう本当にきつくて、
自分という人間は本当に不足なのに、
真の父母様が背負ったその責任を
自分も手伝わなければいけないと考えると、
もう、存在価値がなくなる気持ちでした。
やっぱり自殺はいけませんが、もう、
例えば、車や飛行機に乗っていたら、
「いや〜、事故ってもいいな」と思ったりしました。
信仰を持ったからこそ、そういう沼に
落ちていく気持ちだったのです。
☆
【中心人物たちの歩みを知り沼から出ることができた】
その沼から出られたきっかけは、モーセ路程でした。
モーセは、まぁ、パッと見たら、本当に素晴らしい指導者です。
もうわがままな子供のようなイスラエル民族を連れて(笑)、
人生を懸けて荒野路程を勝利し、カナンの直前まで行った指導者です。
だから、それだけ見たら、
「ああ、モーセは本当に有能な、すごい人物だな」
と思うかもしれませんが、じっくり見たら、
モーセはもう短気で、弱虫で、本当に弱い人間でした。
神様と初対面の時も逃げ、断食して10個のルール
(十戒が刻まれた石板)をもらったときも、
自分の怒りを抑え切れなくて、それを終わってまた断食して・・・。
あれはもう頑張って断食したのに
終わってもう1度断食するとか。
最後、カナンの直前でイスラエル民族たちがまた
「あ〜、水ちょうだい」と騒いでいたら、
モーセは石盤を2回叩きましたね。
それが、イエス様にサタンが侵入できる条件になりました。
そのように見れば、実はモーセのせいで、
摂理が相当遅れましたよ。
それでも、なぜモーセがいまだに中心人物として
責任を果たした人物だと見られるかを考えたときに、
有能だからではなくて、最後まで神様を信じて
み旨を歩んだからこそ、
失敗をしながらも、中心人物として
責任を果たしたと見られることに気づきました。
そのとき、他の中心人物たちも同じように見えました。
アブラハムも、本当に難しい祭物2つを捧げて、
最後の1つを残して休んでしまって、摂理をまた遅らせて。
またノアも言ってみれば、120年間、
箱船を造っただけですね。(笑)
それは才能がいらないですよ。
誰でもできますよ。
本当に。
考えてくださいよ。
意思があれば、できることです。
でも、それに気づいた瞬間、
沼から強制的に出された気持ちでした。
自分は不足ですが、最後まで頑張っていきます」と、
神様の前に誓っていくのに、
私も本当に不足な身だけれど、行かなければならないと。
もう言い訳ができなくなった気持ちでした。
1月21日 神奈川・川崎
「世界家庭」3月号より
「世界家庭」3月号より
☆
わかりやすい区切りだけ
再編集 文責:ten1ko2
再編集 文責:ten1ko2
このメッセージは、多少編集はされていますが、
信出様が流暢な日本語で語られたものです。
元の動画を見ましたが、
「言うて」とか「めっちゃ」という言葉もありましたので(笑)、
これは会話の中で覚えた若者言葉だと思います。
おそらく、一緒に生活していた
日本の二世たちから直接学んだものでしょう。
苦難の中を、み言を通して、直接、ご自身の意思で、
乗り越えていかれた信出様。
後編もお楽しみに。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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