金元弼(ウォンピル)先生が40年近く前に、
ヨーロッパで語られたみ言。今回より、
『理想の出発点は「ためにあること」』を
数回シリーズで紹介します。
☆
オーストリア教会の皆さんに直接お会いすることができ、
心から感謝しております。
オーストリア教会の歴史は、
ポール・ワーナーさんの開拓以来、21年になります。
21回目のオーストリア教会創立記念日を心から祝賀します。
そしてオーストリア教会の皆さんが
ご父母様の心情を抱いて、
その願いを果たすようにと苦労されてきたことに
対して、心から感謝します。
また私は、こういう皆さんが
私の兄弟としているということを誇りに思います。
☆
教会員のために祈られる先生
毎日曜日ならびに月初め、教会の祝祭日は、
朝五時に敬礼式をしますが、文先生は
常に世界中の統一教会のメンバーのために、
神が愛される孝子女になれるようにと
心を込めてお祈りしておられます。
そのお祈りがどのように世界の人々の中に実っているかを、
私は今、皆さんにお会いして実感しました。
先生はだれも知らない迫害の中で、
神の解放と人類の解放のために、
ご自身の家庭を犠牲にしながらひたすら歩む中で、
ついてくる私たちに対して、
「惨めな先生についてくる教会員も、
どんなにか惨めな道を歩んでいることだろう」
と考えながら、
神が直接見守ってくださるよう祈られるのです。
私は、そのように神にお祈りされる
先生の声をたびたび聞きました。
私たちはこの道を知る前に、神は栄光の神であり、
幸せな神であろうと思いました。
しかし、この道を知った時、私たちは、
神がどんなに惨めな神であるかが分かりました。
それゆえに、私たちは、常に難しいことがあっても
神に助けを請うよりも、
いかにして惨めな神の代わりに
なってあげられるかと思うまでに変わりました。
この世には宗教を信仰している人が
たくさんいますが、私たちはその点が違います。
個人の救いのための教えと、
神を解放し人類を解放するという教えと、
ここに大きな違いがあるのです。
私たちの行く道は、メシヤの行く道そのものです。
ですからこういう事情をよくご存じの先生は、
私たちのことを常に心配せざるを得ないので、
神の加護が私たちと共にあるようにと
常にお祈りしておられるのです。
それをはっきりと知ってほしいのです。
私は先生に出会ってから四十年になりますが、
先生はこの40年、一日も休まず朝5時から働いておられ、
夜12時以前に休まれるのを見たことがありません。
ですからこの先生と一緒に生活するということが、
どんなに難しいかがはっきりと分かります。
先生の近くに侍るリーダーであっても、
先生に自分のやっていることを報告したり、
あるいは指示を受ける必要がある時には、
1時でも、2時でも、3時でも我慢できますが、
その用事が済むと先生の所か
ら早く離れたいという心をもっています。
そういうことを見ても、先生が人の力ではできない生活を
しておられるということが分かります。
先生は、神の国をこの世に実現するという、
その目的を達成するまで、こういう生活を
継続しておられるということを念頭に置いてください。
1986年5月18日 オーストリア教会
理想の出発点は「ためにある」こと
(生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼)
理想の出発点は「ためにある」こと
(生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼)
☆
再編集 文責:ten1ko2
世界のすみずみにまで、
家庭連合は広がりました。
元弼先生が礼拝をされた地は、
ヨーロッパのオーストリアです。
ヨーロッパも数は少ないかもしれませんが、
それでも各地にみ言が伝えられました。
30年前、妻は、東ヨーロッパの地で、
宣教活動をしました。
真の父母様の祈りが、世界中に届き、
優秀な青年たちが歩んでいる姿に
心から感動したそうです。
現在、清平の地においては、
40日修練会に国際メンバーが
100名以上参加しているといいます。
妻がヨーロッパで活動した頃以降に
生まれた青年たちがほとんどであり、
当時のメンバーの子供たちもきっと、参加していると
考えると、感慨深いものがあります。
同じ兄弟姉妹として、
心情を共有できることが
どれだけ素晴らしいかを感じるのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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