2024年04月30日

(証し)神様に命を救ってもらった!  57年前の命の恩人を訪ねて



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祝福家庭 編集部員のブログより、
「57年前の命の恩人を訪ねて」です。

57年前の命の恩人を訪ねて

甲辰(きのえ たつ)の年に生まれた私、
実は半世紀以上の間、
手をつけられずにいたことがありました。

それは、今は亡き両親から課されていた、
宿題のようなものです。

私は3歳のときに、川に落ちて
危うく死ぬところを救われました。
その命の恩人を探して
お礼を言うようにと言われていたのです。

話は、57年前にさかのぼります。
当時、私の家族は長野県のとある市で、
かじ屋を営む一家の物置小屋を借りて暮らしていました。

その家と道路の間には、小さいけれど
流れの速い川がありました。

入居後に大工職人の父が、道路と
行き来しやすいようにと、玄関の前に橋を造りました。

その橋の上で、3歳上の姉と遊んでいたとき、
何かの拍子に足をすべらせて川に落ちてしまったのです。

姉は、私の名前を叫ぶことぐらいしかできず、
ただ流れていく私を見つめるだけだったそうです。

何分くらいたったでしょうか、運良く
私は引き上げられて、助かりました。

拾い上げてくれたのが、すぐ川下にあった
大家のかじ屋さんの息子だったと、両親から教えられました。

2年後、わが家は市内の別の地区に引っ越しました。
その後、私は県外の高校に進学し、
卒業後もほとんど首都圏で生活してきたため、
恩人を探すきっかけがありませんでした。

 
還暦を迎える今年、ついに一念発起しました。

2月、天皇誕生日を含めた3連休。
生まれ故郷で恩人探しを始める決意をしたのです。

1日めは、事故の目撃者である姉を訪ねて、
今回の帰省の目的を告げました。

姉も「そうね、恩人に
お礼を言わなければならないね」と、
ハンカチで目頭を押さえながら言ってくれました。

2日めは、両親の墓前に帰省の目的を報告し、
それまでの親不孝を詫びました。

両親は1960年に結婚し、ある宗教団体の
物置小屋で家庭を出発。

その宗教団体は、その頃、故郷で
ブームになっていたもので、狭い町の中に
同系の布教施設が5つもできるほど興隆していたそうです。

兄と姉がそこで生まれ、私がお腹に宿ったとき、
両親は新しい住居を探して引っ越しました。

 
それが、私が事故に遭った川のそばの家でした。

恩人探しの手掛かりは、昔、かじ屋をしていた家。
あとは子供の頃の断片的な生家周辺の記憶。

駅前から旧・北国街道を南下すると、
おぼろげながらに当時の記憶が蘇ります。

通い慣れた小学校を過ぎ、次第に
目的地が近づきますが、流れの速い川は
すでに暗渠(あんきょ;埋没された水溝)へと姿を変えていました。

歩みを進めると、やがて見覚えのある
三差路に差し掛かりました。
右の道を選びそのまま歩くと国道に出ます。

昔、母に手を引かれ、バスの停留所まで
歩いたのを思い出しました。

そうです、生家跡を通り過ごしていたのです。
母の手の温もりを思い出した瞬間、
母が近くにいるような感じがしました。

「いつから一緒に歩いていたの」と、
見えない母に尋ねながら少し戻り、
何か昔の痕跡のようなものを探しましたが、
何もありません。

 
位置的に生家跡の大体の見当をつけ、
今風の住宅の玄関先でインターホンのボタンを
恐る恐る押してみました。

昔、この辺りにいたかじ屋さんを
探していることを伝えると、
「うちは違います。隣の家で聞いてみて」
との答え。

隣家を訪ねると、70歳代の老夫婦が応対してくれました。
そして老人が「うちの父は、
むかしここでかじ屋をやっていました」
と教えてくれたのです。

私は、3歳の頃の自分が川に落ちた一件を説明し、
かじ屋さんの2人の息子さん(中学生と高校生)に
救われたことを話しました。

すると老人が、「それは自分と弟のことだよ。
大工の◯◯さんのこと、覚えているよ」と、
私の父の下の名前を叫んで、微笑んだのです。

父の気配まで感じた瞬間です。

 
それまでけげんな表情で聞いていた夫人も、
夫のようすを見て笑顔に変わりました。

物置小屋だったため、当時の家には風呂がなく、
入居当初は銭湯通いでしたが、私が生まれてからは、
かじ屋さんの母屋で頻繁にお風呂を
呼ばれるようになったことを伝えると、
恩人もニコニコ顔でうなずいていました。

そんな話をしばらくした後、菓子折りを差し出して
改めて感謝の気持ちを伝え、そこを辞しました。

私の両親の気持ちも一緒に届けられたような、
清々しい気持ちになりました。


今でも、川の中で見た光景を思い出すことがあります。
とっさに息を止めじっとしていると、
やがて目の前に水面が近づき、
息ができるようになりました。

呼吸ができると、不思議と
恐怖心に襲われることはありませんでした。

しばらく流れに身を任せていると、
目の前に体の大きい男子が現れ、
私を両腕で抱きかかえたのです。

その男子のそばに寄り添い体を支えていた
兄らしきもうひとりの男子が、
今回私が会った老人、その人でした。

恩人が現在も健勝で、同じ場所に住んでおられた
などの幸運が重なり、意外とあっけなく
ミッションが終了しました。

  
母は生前、私に「かじ屋さんの息子さんに
救われたのは、親神様(この世、人間をお創りくだされた神様)の
ご守護だよ」と繰り返し言い聞かせてくれました。

以前にもその川では、溺れて亡くなった
幼児が何人かいたそうです。

神様に救われたことがただ嬉しくて、
神様のことが好きになりました。
 
1983年に長野家庭教会でみ言を学んだのも、
「大好きな神様のことがもっと知りたくて」
が、その動機でした。

  
3日めに帰宅し、妻と息子に旅の報告をしました。

今回の帰省は、両親と一緒に
私の命の恩人を探すことができたという点で、
他の帰省のときとは違い記憶に残る3日間であったこと、
そして何よりも神様が私の命を救ってくださったことを
再確認できた帰省だったことを伝えました。

「おやき」と「野沢菜漬け」のみやげも好評でした。
命を救っていただいた上に、妻と息子までいて、
還暦まで生きることができました。
神様には、ただ感謝の気持ちしかありません。

祝福家庭 編集部員のブログ
2024年04月25日
57年前の命の恩人を訪ねて
https://www.kogensha.jp/editor_blog/detail.php?id=4910
再編集 文責:ten1ko2


命の恩人にお会いできて、
本当に良かったですね。。。

霊界にいらっしゃるご両親も、
霊的協助もあったと思いますが、
どれだけ喜ばれていることでしょう。。。

人間の力ではどうすることもできない、
不思議な導きというものがあります。

命に関わることも、
「導かれて助かった」という
他ないことがあったりします。

いつも同じことばかり言いますが、
天心苑の徹夜精誠もそのうちの一つだと思います。

ただ精誠を尽くすことが、
奇跡を起こすことである。。。
そう信じていきたいと思うのです。



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2024年04月29日

必ず生きて帰ってください?! *海外宣教に出発するUPA一期生へ 《田中富広会長》



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田中富広会長が、
海外宣教に出発する若者に語られたみ言の最終回、
「必ず天が準備した人はいる」です。


一月二十六日、千葉・浦安の一心特別教育院で、UPA一期生の神日本特別路程(2023年12月26日〜2024年1月26日、38ページに記事)の閉講式が行われました。田中富広会長はその場で、今年、海外宣教に出発するUPA一期生たちに、感謝と激励のメッセージを語りました。
必ず天が準備した人はいる

必ず義人がいる

最後に、今度は送り出す側として一言申し上げます。

この一か月間を通して、皆さん全員を
日本の子供たちとして、母の国として、
世界に送り出していきたいという心境に至りました。

あらゆる側面において皆さんの勝利を
サポートしたいと思っていますが、
私から皆さんにお願いしたいことがあります。

三つ、申し上げます。


一つ目、絶対に生きて帰ってくることです。
絶対に死んではいけません。

もう信仰なんかボロボロでもいいから、
何の実績も出さなくてもいいから、
絶対、生きて帰ってきてください。

これは皆さんの父母から見た、第一の願いです。

負債を背負ってもいいから、絶対に生きて帰ってくるのです。

世界では、何があるか分かりません。
真のお母様も、そのような中に
送り出す心境で皆さんを見詰めておられることは、
言葉に出されなくても分かります。

ですから、絶対に生きて帰ってきてください。
自分の身は自分で守るのです。
誰も守ってくれません。
まずこれを自覚してください。


二つ目。日本は十年間にわたって、
天一国青年宣教師を海外に送ってきました。

私がその十年間を見ていて、海外宣教の
妨げになった一番の弊害は、
行ったメンバーたちが一体化できなかったことです。

アベル圏に立つメンバーたちが一つにならないので、
現地の教会も一つになれないのです。
そのような状況では、伝道はできません。

現地に入り、 全く新しい環境に飛び込むと、
「こうしたらいい。ああしたらいい」と、
みんないろいろな考えを持ちます。

しかし、アベル圏が一つに束ねられない限り、
カインは、共に生きたいと思わないのです。

「あぁ、このアベルと共に生きたい」と
カイン圏が思えるアベルになる方法は、
父母を中心として一つになった輝きを
見せてあげることです。
そうでない限り、無理です。

ですから、いかにチームが一つになるかは、
本当に重要なポイントです。
十年間の結論です。

ぜひ、そこを意識しながら、
お互いの考えやお互いの思いを共有し合ってください。


最後、三つ目。先ほど、実績がなくても、
ボロボロになっても
生きて帰ってきてほしいと言いました。

でも、やはり実績は必要です。(笑い)
皆さんは、宣教に行くのですから、
宣教の種をまいてこなければなりません。

宣教の種は、命を生かすこと以外にはないのです。
したがって、世界に行ったら、絶対に最低一人は、
自立した信仰を持てる青年を立てて帰ってきてください。

皆さんがまいた信仰の種がそこから必ず繁殖する
というレベルの青年一人を立てなければ、
「良い経験をした」で終わってしまいます。

「あぁ、二年間、良い海外経験ができました」。
これでは、天の摂理にとって何の価値もありません。

絶対に信仰の種をまいて、命を生かして、
本人の主体意識で多くの人に真の父母を証す決意ができる人、
こういう人材を立ててほしいのです。
天は必ず用意しています。

真のお母様はおっしゃいます。
義人は必ずいるのだと。

天が準備した人が必ずいます。
皆さんを通さないと救われない人が必ずいます。

ですから、絶対に天の父母様を愛し、
真の父母様を愛する信仰の種を残して帰ってきてください。

以上です。
ありがとうございました。

世界家庭より
再編集 文責:ten1ko2


一つ目、絶対に生きて帰ってくること
二つ目。チームが一つになる
三つ目。やはり実績は必要

1番目と3番目は矛盾したお願いですが、
やはり、親心からくる言葉だな、と思います。
真の父母様もきっと同じ思いでしょう。

天が準備した義人は必ずいると思います。
ぜひ、勝利して帰国することを祈っております。


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posted by ten1ko2 at 10:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月28日

今回も2100組、家庭連合の祝福、合同結婚式で血が浄められる?? 《入山局長》



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本部の入山聖基局長の説教の一部が
紹介されていました。


このたび、日本家庭連合では、
伝道教育局、家庭教育局、未来人材局(一部)が統合されて、
新たに「教育局」として出発し、
入山聖基局長が就任しました。


(以下世界家庭5月号より)
原罪の清算は救いの中の救い

皆さんは、「あなたの宗教は何ですか?」と問われたら、
何と答えますか? 

相手の反応が怖くて、
「無宗教です」と言ったりしますか?(笑い)
そんなことはないですよね。……

世の中にはたくさんの宗教があります。
そして、それぞれの宗教の特徴は、
何をもって人が救われると考えているかによると言えます。……

では、家庭連合における救いとは
何でしょうか?…… 


人間始祖アダムとエバは、
成長期間の途中で堕落しました。
サタンと血縁関係を持ってしまったのです。

それゆえ、人間は誰しも、
原罪を持って生まれるようになりました。…… 

原罪は罪の根です。
木が幹を伸ばし、枝を茂らせ、葉をつけるように、
罪の根から、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪と、
世の中にあらゆる罪が広がっていきました。

したがって、根である原罪を清算しない限り、
他の罪を根本的に清算することはできません。 


逆に考えると、原罪を清算できれば、
あらゆる罪を清算できる道が開かれるようになるのです。
これこそが、救いの中の救い≠セと思いませんか?……

ここにも、祝福結婚式に参加した人が多くいると思います。
皆さんには原罪がありますか?
(「ないです」)
それをどうやって証明しますか?

 
私が伝道されて、最初に原理講義をしてくれた
先輩が、こんなことを言いました。 

「入山君。祝福結婚ってすごいんだよ。
血統が転換されて、赤い血が青に変わるんだ」。
(笑い)冗談みたいです。

献血に行って確かめたらいいと言われたので、
祝福後に行きましたが、やっぱり赤かったです。(笑い)

その先輩も、当時はまだ、祝福を受けていませんでした。 

それぐらい分かりやすく現象化すれば、
原罪があるかどうか見分けられますが、
そんな現象は起こりません。

物質的な概念では絶対に理解できないのです。
血統は目に見えないので、転換されたかどうかは、
信じるしかない≠ニいうことになります。……

 
救いに対して確信し、感謝できているか

皆さんは、救われた自覚がありますか? 
これは、とても重要なことです。 

「私の宗教」を持っている人は、
それによって救われたと信じています。

それは人間の根幹を成すものであり、
決して他人が否定してはいけません。
だからこそ、「信教の自由」として
法的にも守られるのです。…… 

生きていれば、さまざまな出来事に遭遇し、
気持ちが上がったり下がったりします。

しかし、救いに対する確信があれば、
それが心の岩盤になるので、気持ちが
どんなに下がっても岩盤より下に落ちません。

救われたことに感謝し、恩返しをしたい
という思いにあふれているからです。 

また、救いに確信を持った人は、
まだ救われていない人を救いたいと思います。
これが伝道の動機になります。……

私たちは単に、家庭連合の信仰を持っている
というのではありません。
宗教の目的に到達した立場に立っているのです。 

私たちは、霊界、地上界で全宗教人が願っている
救いに対して最終決着をつける立場に立っています。

私たちは何が起きても、
そこを揺るがされてはいけません。

「入山聖基教育局長就任記念礼拝」
緑家庭教会(南愛知エリア)
世界家庭5月号より

光言社編集者ブログ
5月号は、ここに注目!
再編集 文責:ten1ko2


祝福結婚を受けると、
「赤い血が青に変わる」・・・
こんな話があったとは(笑)

でも、本当にこういう風にわかれば、
誰もが祝福結婚を受けるかもしれません。

私達は、先駆けて受けた者として、
その恩恵を形に表す立場です。

赤い血が青に変わった、ということはなかったとしても、
祝福の恩恵に報いる、そのような歩みをする
私たちにならなければ、と思うのです。



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posted by ten1ko2 at 12:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする