2024年04月21日

忍耐や我慢だけではダメ、神のパワーを得る愛し方、そして受け方 *聖日に贈る愛の説教*



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授受作用のポイントは、
神の目と、神の耳と、親なる神の心持ちで、
相手を良く信じないといけない



礼拝説教ブログより
『一心一体一念の喜び』です。
少し長めですが、ご了承ください。


家庭において、教会において、職場において、
心が一つになり、行動が一つになり、目的が一つになれたら、
どれほど幸せでしょうか?

どうしたら、家庭、教会、職場で、
神の愛、神の知恵、神の力を得ていくことができるのでしょうか?


宇宙発展の法則を『原理講論』の中では、
授受作用で説明しています。 (『原理講論』「授受作用」p.50-51)

万有引力は引力によって中心に引き寄せられる力です。
では、万有原力はどのようなものでしょうか。
すべてのものが有している力の源というように記されています。

原力というものが創造主の神様にあって、
それを被造物のあらゆるものが有しているのです。
形状的にはエネルギーと表現し、性相的には心情と表現できます。

「心情」とは何かと言えば、
「愛を通して喜びを得ようとする情的衝動」と定義されています。

火山が大爆発するように、また、清い湧き水があふれ出すような、
もう抑えがたい「愛したい!」という衝動のことを表現しています。

 
創世記によれば、創造の6日目に、
「神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた
『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ』」
と記されています。

人間創造の時に、神様は
「はなはだ良かった」と言われたと記されています。
人間を創造した時だけ
「はなはだ良かった」と言われています。

神様が人間に対して、
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」
と言われたとあるように、万有原力は
人間が、三大祝福を実現するためにある
力の源ということができます。

つまり、人間が個性完成、子女繁殖、
万物主管する力と言うことができます。


神様は、「愛したい!」という情であふれています。
「愛したい!」という衝動は抑えがたいものです。

神様自身がそのような原力を持たれた方なので、
神様から創造されたすべての被造物、
すなわち人間、動物、植物、鉱物などすべてが、
「愛したい!」という衝動が満ちあふれているわけです。

皆さんも、だれに教えられたわけでもないのに、
「愛したい!」という衝動があるでしょう。
それは、動物も、植物も、鉱物も同じです。


ところが、せっかく万有原力を与えられ、有していても、
「授受作用」なくしては、愛、希望、感動、力を持ち、
感じることができないのが、この宇宙の原則です。

授受作用が大切であると知っていても、
間違いを犯しやすいことが多々あります。

神様のみ旨(三大祝福の実現)を知っていたとしても、
神様を中心として良く授け良く受けているかが問題となってきます。

神様の三大祝福を実現したいと思って授受し、
会話をしているかというと、そうではない場合が多いのです。
一方的に話し過ぎたり、聞いたふりをすることが多いのではないでしょうか?

自己の経験的価値観を中心として、一方的に話して、
一方的に聞くふりをするのでは良くないのです。

形式的、時間的、物理的には、良く授け、良く受けたつもりでも、
時間がたつと次第に、「〜してあげたのに!」
「聞いてもらえなかった!」という思いが出てきます。
これは中心が間違っていた証拠です。

授受作用のポイントは、
神の目と、神の耳と、親なる神の心持ちで、
相手を良く信じないといけないことになります。

逆に、受けるほうは、素直な心、
感謝の心で受けないといけません。

信じて与えないといけないし、返ってきたものは、
屈折しないで素直に思えないといけません。
そして、授受作用をしてお互いに共感し、
喜び、希望にならないといけません。

 
ある失敗例です。

ある父親と息子が、息子の宿題のことで会話をするときに、
父親は主体の立場で子供に「宿題を早くしなさい」と言うと、
子供は対象の立場で「はぁーい、わかった」と答え、
授受作用が行われたと思います。

しかし、息子は「わかった!」と言ったにもかかわらず、
いっこうに宿題をやりません。
それで、父親は最後には腹を立てて子供をしかるようになります。

ここでこの親子が授受作用をするにおいてうまくいかない原因は何でしょうか。
この場合、言葉は授受作用ですが、
お互いに心情が通じていないことに気がつきます。

父親は言うことを聞かない息子のために、神様に祈ってみたのです。
すると、「宿題をしたくない本当の理由があるのだ。
愛してごらん」という答えが来たのです。

父親は、もう一度、「あなたは、
なぜ宿題をするのが嫌なのか理由を教えてほしい」
と優しく言いました。

そうすると、子供はしばらくしてから、
「実は、友達とトラブルがあって、それで
宿題をやりたくなかったよ」と話してくれました。

父親と話をしたあとに、息子は宿題を最後まで
短時間で集中的にするようになりました。
そのあと、この二人は強い父子関係を築いたのです。

人間的な言葉は行き交っているけれど、
相対基準を結んでいないので、
授受作用が続かないし、発展はないのです。
このような失敗例はたくさんあるのではないでしょうか。


大母様が先日、霊肉界マッチング修練会でこのようなみ言を話されました。

「霊界に行ったら、夫婦一緒の方は一人もいませんでした」。

この言葉を聞いたとき、ショックでした。
生きている時には、夫婦として形は食事を共にして、
長年、同居してきても、心がすれ違って生きていたのです。
それで、霊界で夫婦が一緒にいることができなかったのです。

このように、夫婦といえども、
お互いに授受作用がうまくなされていない場合も多いのです。

主体と対象がお互いに信頼し、愛し、与えることができるか、
心を素直に開いていくことができるか、これが重要です。

このような授受作用を邪魔するのは、
あくまでも自己の堕落性であり、恨霊です。

言葉や、情報、形態は授受作用をしていても、
授受作用したことにはならないのです。
授受作用の本質は、主体と対象が一緒に発展し、喜びと力を得ることです。

片方だけが、我慢したり、忍耐して、
一時的に発展したとしても、限界が来ます。


『平和神経』には、次のようにあります。

「神様がいかに絶対者だとしても、
 独りでは幸福になることができません。
 『うれしい』という言葉や『幸福だ』という言葉は、
 独りでは成立しない言葉です。
 必ず相対的関係を備えた所に成立するのです。

 一生を声楽家として生きてきた人でも、
 もし無人島に捨てられ、独りで喉のどが張り裂けるほど
 歌を歌ったとしても、幸福でしょうか。

 自存される神様も、喜び、幸福であるためには、
 必ず授け受けできる愛の相対が必要なのです。

 とすると、絶対者であられる神様に
 喜びをお返しすべき相対者としての人間は、
 どのような姿でなければならないのでしょうか。

 神様が『息子よ、娘よ』と呼ぶことができ、
 御自身と同格の位置に立て、
 共に創造の偉業を完成することができ、
 天地万物をすべて相続させられる子女は、
 どのような姿でなければならないのでしょうか。


 神様が、創造の理想的出発点をどこに置かれたのか、
 お分かりでしょうか。
 『相対のために存在する』という原則に
 自らの理想的出発点を置かれたのです。

 言い換えると、神様が願われた相対のために
 真の愛を実践することが、
 神様の創造のみ業を出発した核心だったのです」


(平和メッセージ I)


お父様のみ旨の中で難しかったことは、自分自身ではなく、
愛するお母様を立てることであったともいわれています。
イエス様も愛する相対者を立てることができず、
途中で十字架にかけられて殺されてしまったと言っても過言ではないでしょう。

自分自身が立つことよりも、相対を立てることのほうが
もっと難しいのではないでしょうか。
皆さんも、自分よりも相対である夫、妻が立派になっていくことが難しいでしょう。

「相対のために信じ、犠牲になり、投入する愛」が
なければ、成り立ちません。
ただ、忍耐や我慢だけでは、難しいのです。

常に、神の心情で、神の目、神の耳、親なる神の心で、
夫を見ることができるか、妻を見ることができるか、
子供を見ことができるか。

そして、よく授けてこそ、親なる神様に出会うし、疲れないのです。
相手を変えようとして行動すればするほど、
失敗するし、疲れてくるのです。

主体格と対象格と二つが、神様を中心に、
「一心一体一念」で一つになった喜び、感動、愛は、
いかなるものにも代えられません。

神様は絶対主体として、絶対対象の人間である私に、
よく授けてくださっています。
対象格である私は、よく受ける自分の器をつくってこそ、
神の愛を感じます。

そして、私自身も、親なる神様の心情で、祈って、
授ける努力を、何度もしてみたときに、
親なる神様の愛したい心情を知ることができるでしょう。

いかにして、与えようかと、身もだえするときにこそ、
私自身が、神様と「一心一体一念」となり、
神の無限なる愛と知恵と希望と力と出会う喜びを得るのです。

<2009 秋季 牧会者説教集 P.86~90>
世界平和統一家庭連合 公式説教ブログ


神様はあふれるような愛で愛してくださっているのですが、
その愛や知恵や力を得るには、
正しい授受作用が必要。

神の愛を中心に授受していないというのが、
間違いやすいポイント。。

そして「一心一体一念」で一つとなる。。。

万有原力や授受作用について、
とても分かりやすく話してくださいました。

それにしても、一つになるのは、
難しいと思います。
まず相対を探すことが、いつの時代も簡単ではなかったのですね。

そういう意味では、お父様が
お母様を探し出されたということは、
復帰摂理においては、とても重要なことだったと思います。

そして、お母様においても
ご自身の後継者を立てることに対して、
多くの困難がありました。

最終的には、お孫様を立てる決意をされ、
さらには、今回、環境圏を整える意味で、
二世圏の方を責任ある立場に立てられ、
今後の方向性を明確にされました。

さて、ちょっと変な話ですが。。。
毎日、妻と訓読会を終えるとき、
ハグをするのですが、
何とも言えない恩恵を感じます。

真の父母様においても
ハグをされている写真を拝見すると、
お父様が何とも嬉しそうな表情をされています。

お母様よりお父様の方が嬉しそうです。
主体である、夫の方が恩恵を受けるのかな、
そんな気もします。

我が家の場合ですが、妻は、長くハグされるのが嫌みたいで、
すぐに放そうとするのですが、
私はずっとしていたい気持ちになります。

このパワーをもって
一日を出発できるのが、感謝ですね。

人間関係においても、
中心と一つになり、
兄弟姉妹と一つになる。
このことを意識して歩んでいきたいと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月20日

「このままだとお前は死ぬ!」夢の中の声で韓国に帰国すると 《音楽で世界を救う:孝進様の人生》



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▲姸娥様と祝福を受けられた孝進様


先月、聖和16周年を迎えられた文孝進(ムン・ヒョウヂン)様。

音楽を通して孝進様に侍った日本人男性(36万双)の証し
「真の父母様の解放のために
身もだえされた生涯」より
先回の続きを紹介します。

音楽で世界の個人主義に闘いを挑まれた

自己犠牲の精神を音楽に込めて


ご聖婚と日本公演

1999年2月5日、孝進様は
姸娥(ヨナ)様と聖婚されました。

その直前、孝進様は夢の中で、
「このままではおまえは死ぬ」という
大きな声を聞かれたそうです。

その声があまりにも恐ろしかったので、
死ぬのであれば韓国で死にたいという思いで、
孝進様は韓国に戻られました。

すると真のお父様が、姸娥様を
祝福の候補者として準備しておられたのです。

孝進様は後日、「韓国に死にに戻ったら、
祝福されてしまった」と苦笑しながらおっしゃいました。

祝福後、お子様がお生まれになってからは、
次第に孝進様の怒りが少なくなっていきました。


孝進様はご自分のお嬢様を興進(フンヂン)様のご家庭に
養子に出しておられます。

それは、真のお父様からの願いで実現したのです。
そのとき孝進様が即座に「いいよ」とおっしゃったので、
お父様は少し驚かれたそうです。

孝進様は後に、「なぜ引き受けたかって?
当たり前だ。弟を愛しているからだ」
とおっしゃいました。


こうして徐々に心の平安を取り戻していかれた
孝進様は、2003年12月、日本で
コンサートを開いてくださいました。

孝進様はアメリカでも韓国でも、決して
コンサートを開こうとはなさいませんでしたから、
それは奇跡的なことでした。

孝進様は日本の食口(シック)たちの苦労をご存じで、
音楽を通して慰労してあげたいという
並々ならぬ情熱を抱いておられたのです。

それからは毎年、日本で
コンサートを開かれるようになりました。

 
また、1万曲の作曲が終わった頃だったでしょうか、
真のお父様がベルベディアのスタジオを
訪ねてくださったことがありました。

お父様は大変お喜びになって、お金を下さったのです。

孝進様はそのお金を投資して、
インターネットのビデオサイトを、
教育を目的として開設されました。

このサイトでは、知識人を呼んで
「あなたにとって奇跡的な一瞬とは?」
という質問から始まるインタビューをしながら、
成功した人の善なる生き方や人生論を紹介する
コンテンツなどを配信しました。

(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2015年9月号掲載)

文孝進様の孝情に学ぶ 6
証し 文孝進様の思い出
「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」4
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=23906
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


孝進様は、祝福を受けることは
考えていなかったのでしょうね。。。

しかし神様は、夢を通して、
別のメッセージを孝進様に与えて、
祝福を受ける機会を与えてくださいました。

また、お子様を興進様家庭の養子に
差し出されておられますが、
弟・興進様を心から愛されるゆえの
即断だったのだ、と思います。

霊界において、本当に仲良く
一つになって歩まれているのだと確信します。


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posted by ten1ko2 at 11:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月19日

世の中から疎まれる家庭連合、しかし、私たちは愛されるべきです 《宗教2世教会長*生の声》



240419.png


以前、お世話になった教会長が、
大教会長として1年半近く歩まれています。

昨年書かれたものなので、
ちょっと時が経過していますが、
その頃の心境を本部HPに書いておられますので、
紹介させていただきます。

改革の中、教会長として赴任して

私は事件のあるなしにかかわらず、教会改革の
意志をもって牧会者の責任を受け入れました。

み旨を変えることはできないし、
そもそもそれを変えようとすることは
原理的に正しくありません。

ただ、天のみ旨の成就は、私たち人間の
本心の幸福が条件であるはずです。

食口たちの救いと幸福の実感が伴わない
天の摂理などあるはずがない。
これが牧会者としての私の信念です。


事件後、様々な経緯があり、本部より
教会改革の号令がなされました。

目標設定、評価基準、組織倫理などの変化・改善、
そして世代交代まで急ピッチで行われています。

一方、世の中からは疎まれ、
メディアは罵詈雑言を浴びせ続け、教会前では
連日反対する人たちが叫んでいたので
気が萎える寸前での戦いでしたが、
だからこそ粛々と変えるべきところは
変えるんだ、という意思だけで走ってきました。


私はこの教会改革の中で「地域化の推進」と
「次世代への継承」がその眼目に
ならなければならないと考えています。

これらのことは、これまでも本部でも
現場でも取り組まれてはいましたが、
まだまだ不十分であったことは否定できません。

だからこそ現在、教会が一丸となって取り組んでいます。

現在私が担当する教会でも地域化に対する
教育や実践を進めていますし、教会で行われる
すべての公的・私的行為が次世代へ
受け渡していく意味を持っていることを教えています。

しかし、組織の建付けや人材の配置の変化、
新規定の導入などで果たされる部分は
ごくわずかだと実感しています。


これらがなされていくためには、
何よりも牧会者やスタッフまで含めた、
食口たちの信仰観の変化が最も大切です。

教会が「愛」を学ぶ場所であり、
「愛」に触れられる場所であり、
「愛」を実践する場所になることこそが
教会改革の本質です。

そして食口たちを評価するならば、
愛の成長と実践を一番の評価軸にするべきです。

ここまで懸命に歩んできた教会員たちは
愛を受けるべきです。

抽象的なわかりづらい神学的な愛ではなく、
彼らが実感できる生活的な愛であるべきです。

それは彼らの悩みや苦しみに寄り添い
共に泣くこと、希望や夢に向かい
共に歩むことだと考えています。

彼らの本性には天の願いが込められており、
地の理想が息づいています。

そして食口同士が本心からお互いに愛し合い、
許し合い、夢を語り合うことができるなら、
「地域化」も「次世代への継承」も
そのままなされていくと信じています。


現在の立場についてから8か月ほどが過ぎましたが、
ゆっくりとそのような変化を感じ始めています。

時間はかかりますが、教会員たちが誇りを持てる教会、
二世たちが喜んで通える教会、
真の家庭を築くことができる教会を目指し
前進していきます。

信徒の声詳細3:42歳男性 二世教会長
https://ffwpu.jp/voice3
世界平和統一家庭連合HP
再編集 文責:ten1ko2


「教会前では連日反対する人たちが叫んでいた」
最近はわかりませんが、昨年松濤本部に行ったとき、
入口で街宣カーを使って叫んでいる政治団体がいました。

用事を済ませて帰ろうとすると、
受付の職員さんが、「こちらからどうぞ」と言われ、
玄関裏口を案内されて帰った、そんなことがありました。

このコメントを書いてくださった大教会長を始め、
「前線配置」ということで、
二世の方々が、責任者として
模範を示して歩んでくださっています。

私の所属する教会のエリア(旧:教区)でも、
今年から、二世牧会者が大教会長になりました。
とても柔軟な対応をされ、
また、私たちに寄り添ってくださっています。

ダメなものはダメ、と過去のレッテルを貼られている状態は、
払拭しなければなりません。

そのためにも、今後の歩みが重要であると思うのです。



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posted by ten1ko2 at 14:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする