2024年04月18日

絶妙な答えが返って来る「良心との対話」  カップ麺はいい、悪い? 《自己牧会プログラム》



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「自己牧会プログラム」の証し。
今回は、「良心は裁かない」です。

(男性 50代)

「自己牧会プログラム」には
「良心との対話」のワークがあります。

何かを否定している時、
嫌な気持ちに襲われた時、
迷った時など、
このワークをしながら良心に問い掛けると、
時としてお茶目で、思いがけない答えが
返ってくることがあります。


私はカップ麺が大好きで、
職場での昼食も毎日のようにカップ麺です。
するとある時、同僚から
「健康に良くないよ」と注意されてしまいました。

大好きなカップ麺を否定され、心穏やかでなくなった私は、
「良心がいいと言えばOKだ」と
自分に言い聞かせ、尋ねてみました。

「食べてもいいですか?」

すると、なんと「いいよ」
という答えが返ってきたのです。
「駄目」と言われるかと冷や冷やしていたので、
うれしくなりました。

ところがその一方で、
「本当にいいのかなあ」という思いも拭えないのです。
体に良くないことは分かっていましたから。

そこで念のために、
言い方を変えてもう一度尋ねてみたのです。

「食べない方がいいですか?」

良心の答えはこうでした。
「その方が、もっといいね」

この答えには参りました。

もし最初から頭ごなしに「駄目だ」と言われたら、
反発していたでしょう。
「二度と尋ねないぞ」
という思いにもなったかもしれません。

良心は決して私を裁かないし、否定しません。

私を生まれた時から見てきた良心ですから、
どのようにしたら私が受け入れやすいかをよく分かって、
絶妙な答えを返してくれるのです。

良心と一緒に楽しむ時間をもたなければなりません。
……(良心と)最も親しい友人になってみなさい
(『後天時代と真の愛の絶対価値』)
というみ言をかみしめる日々です。

良心は裁かない
Blessed Lifeより


なんとも素朴な生活感のある証しでした。。。
心の中で納得のいかない時、
自分の心、良心に尋ねるくせを持てればいいのかな、と思いました。

私も兄弟姉妹との授受作用、中心との会話で、
納得のいかない答えが返ってきたとき、
自分の感情で判断しないで、
すぐに祈るように心がけています。

良心は、小さな神様、第2の神様、
そして、私だけを担当する神様です。
良心を研ぎ澄ませていきたいですね。。。





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posted by ten1ko2 at 07:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月17日

感謝しかありません 家庭連合の未来*海外宣教に出発するUPA一期生へ 《田中富広会長》



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田中会長のメッセージ、続編です。
「真のお母様が特別な関心を
日本に注がれた期間」です。


先ほど、(この閉講式のスタッフに)
「私はこの場で、何を話したらいいのですか?」
と聞いたら、「激励してください」と言われたのですが、
私が皆さんを激励なんて、もう、とてもできません。

もし、この場で何かを語れと言われれば、
感謝の言葉しかありません。
この日本に一か月間、いてくださって、
本当にありがとうございました。

たくさんの感謝の内容がありますが、
あえて三つに絞って述べたいと思います。


第一の感謝は、天運を
日本に引きつけてくださったことです。
このことは、心から感謝しています。

開講式で申し上げたように、
天運は、天の父母様(神様)と、
天の父母様と一つになられた真の父母様から来ます。

ですから、真の父母様の関心を引きつけたら、
そこに天運があるのです。

信仰者の勝利の秘訣は、
神様の関心をいかに引きつけるかなのです。

真のお母様が皆さんに関心を注がれ、
皆さんをこの日本に送られました。
そして、皆さんがこの日本におられた一か月間、
毎日、皆さんの活動報告に耳を傾けていらっしゃいました。

ですから、少なくともこの期間は、
真のお母様は、この日本に深い思いと
関心を注ぎ続けられました。

もちろん、それ以前も関心を注いでくださいましたが、
それは裁判の問題や、日本食口たちが
大きな危機に直面していることに対して、
親として、苦しい心情からの関心の向け方でした。

ところが、皆さんが来られて、
その関心を注がれる角度が変わったのです。

皆さんを中心として、日本の食口たちと若き青年たちが
共に躍動している報告を毎日聴かれた真のお母様は、
希望的に、その報告に向かわれることができたはずです。

今まで、日本の食口たちが受ける試練の報告を聞かれるたびに
心が重くなっていた真のお母様が、この一か月間は、
心晴れやかに、希望的にお受け止めになることができたのです。
本当に、うれしく思います。


第二の感謝は、未来への希望を、
この日本に見せてくれたことです。

希望がなければ、信仰者は苦しいものです。
特に、古い先輩世代は、天命を受けて海外に出て、
愛する夫や子供たちを日本に置き、愛する家族や親族を置いて、
命懸けで天を愛し、 み旨を愛しました。

そのような信仰を持っている多くの先輩家庭たちには、
いつもこの信仰の魂を、 二世圏、三世圏が
引き継いでくれるだろうか≠ニいう思いがあるのです。

口には出さなくても、自分たちが天の前に立ててきた、
その信仰の伝統を誰が引き継いでくれるのだろうか
と思っていらっしゃるのです。

ですから、今回、これから世界へ宣教に向かっていくという志を持った
若い皆さんと向き合えたことは、最高の恩恵でした。

自分たちが天命を受けて世界に旅立っていった、
その思いと決意を同じように秘めている、
新しい世代が芽吹き始めていたのです。

これに対する感謝の言葉をたくさん聞きました。
私のところにもメールが来ました。

もうその一つ一つが涙でつづられたような文章です。
そのような意味において、先輩家庭の信仰の結実が、
未来に向かってこの運動を間違いなく引き継いでくれると
いう希望を日本に与えてくれました。

第三の感謝は、信仰のゴールを
私たちに見せてくれたということです。
少し内面的な話になりますが、日本家庭連合は、天を愛し、
真の父母を愛するために命懸けで天のみ旨に向かっていった、
多くの先輩たちによって築き上げられてきました。

その信仰の核心は何かというと、み言に対する感動とともに、
人類のメシヤと選民を迫害した立場に立つ怨讐であるこの日本を愛し、
赦してくださった、真の父母様に対する感謝の心です。

ですから、日本の先輩家庭が培ってきた信仰観は、
世界の食口たちの信仰観と微妙に異なるところがあります。

み言に対する感動と、赦されているという、
赦される側に立った者の信仰観があるのです。

それが、真の父母様の願いに応えていく、強い力にもなってきました。
しかし、み言に対する感動と、赦されたことへの感謝のみでは、
天国をつくることはできません。

み言の目的は実体、実体の目的は心情なのです。
天国は信仰のみでつくる世界ではありません。
天国は実体でつくる世界です。

今回、日本の古い先輩たちも、日本の食口たちも、
言葉では言い表せなくても感じています。
皆さんが理論、理屈抜きで、真のお母様の心情から
世界宣教を決意していることを感じたのです。

真のお母様の願いがなければ海外宣教には行かないでしょう。
お母様の心情が、お母様の願いがあるので、
自分の人生を懸けて海外に行く決意を持たれた皆さんのその心情圏は、
一世たちも目指していかなければならないゴールなのです。

真のお母様の心情に入って、そこから出発しようとする
皆さんの心情世界は、天国の原点です。
そこが、この日本が改めて目指していくべき、
新しい出発点なのです。

その新しい歴史の躍動感、新しい歴史の胎動のうねりを、
皆さんを通して私たちは感じました。
真のお母様が生きておられるこの時だからこそ、
この新しい歴史の胎動が起き、
躍動感を感じることができるのです。

そのような意味においても、今、私たちが奇跡の時代に
生きていることに心から感謝したいと思います。

ぜひ、世界でどんなことがあっても、
真のお母様の心情圏から産み落とされた自分であることに
プライドを持って、頑張っていただきたいと思います。

再編集 文責:ten1ko2


天運を日本に引き寄せてくれて、
未来への希望を日本に与えてくれ、
そして、信仰のゴールは何かを
私たちに示してくれた宣教メンバーたち。。。

UPA卒業生たちの功績は、
永遠に記憶されるでしょう。

今も赴任先で毎日毎日
精誠を尽くしていることと思います。

私が所属する教会でも、
神トップガンのメンバーがアフリカに旅立ちました。

英語圏なのですが、学生時代から英語が苦手で、
本当に苦労しているそうです。

1年間、内外ともに大きく成長して、
また実績を残して、帰国してほしいと思います。




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posted by ten1ko2 at 14:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月16日

黒い蝶の姿で、お見送り 亡くなったおばあちゃんが、会いに来てくれた 《光言社ブログ》



240415.png


光言社編集者ブログより、
「おかあさんが蝶になって会いにきた」
を紹介します。


もう、10年ほど前になります。

妻の母が亡くなり、故郷の自宅で
親族や近所のかたに参列していただき、
葬式をしていた時です。

「あっ!蝶々だ」

突然、黒いアゲハ蝶が家の中に入ってきて、
祭壇のまわりをヒラヒラと飛んでいます。

しばらく飛び回ったあと、
祭壇の生花にスッと止まりました。

「お父さん、蝶々がいるよ」

突然の蝶の飛び入りに、子供たちもびっくり。
おごそかな葬式の中で、真っ黒のアゲハ蝶は
ひときわ異彩を放っていました。

「きっと、おかあさんが
お別れのあいさつに来たんだ」
私は直感的に感じました。

葬家にとって葬式はとても忙しいものです。
あれやこれやと対応しているうち、
蝶の姿は忽然と消えていました。


思い起こせば、おかあさんには
大変お世話になりました。

東京で暮らす私たちに赤ちゃんが誕生した時、
すぐに飛んで来てくれました。

子供たちにお洋服を買ってくれたり、
公園で遊んでくれました。

実家に帰省した時は、いつも
美味しい料理をふるまってくれました。

振り返ると、ほんとに感謝の思い出ばかりです。


葬式は、多くのかたがたの協力を受け、
無事に終了しました。

仕事の都合により、私たちはその日のうちに
東京に帰ることになりました。

家族を車に乗せ出発しようとしたその時です。

ヒラリと、またあの黒いアゲハ蝶がやってきました。
いったいどこから飛んで来たのだろう。

窓の外からこちらに向かってヒラヒラと舞い、
私たち家族を見送っているようです。

「あ、蝶々がまた来たよ。
 おばあちゃん?
 おばあちゃんだよね?」
「さよなら〜、おばあちゃ〜ん」
と、子供たち。

私には、「きーつげで、かえるんだよ〜」と、
おかあさんが言っているようでした。


親というものは、亡くなってからも、
子供や孫のことが心配なんだなあ。

「おかあさん、親孝行できなくてごめんなさい」
「さよなら。今までほんとに
 ありがとう。感謝してます」

私は心の中でお礼を述べました。


「黒い蝶には故人や先祖からの霊的なメッセージや
守護がある」といわれています。

普段は見ることのない真っ黒なアゲハ蝶。
今日は2回も会えました。

いや〜、とても偶然とは思えませんが、
こんなことってあるんですね!!

ちょっと不思議な体験をした素敵な1日でした。

再編集 文責:ten1ko2


亡くなった方人が、万物などを通して、
愛する人の元に現れる。。。
こういった例は結構あるような気がします。

先日開催された選抜高校野球でも、
病気で亡くなった選手が現れたと
ネットニュースで見ました。

予選の大会で、蝶だったか(失念しました)、
ベンチに入ってきて、
監督が「〇〇」と亡くなった選手の名前を呼ぶと、
呼応するかのように、飛び回り、
その光景に仲間も感動していた・・・

もし偶然だったとしても、
愛する人への思いは、形に現れるんだな、
そんなことを感じます。

また、昨夜の天心苑徹夜精誠では、
李基誠苑長サモニムの弟さんが、亡くなられ、
お墓を作ったときにも、
蝶が飛んできて、きっと挨拶をしにきたんだ・・・
そんな証もありました。

私たちは、霊的に、
もっと敏感にならないといけないですね。




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