2024年04月15日

筆舌に耐え難い日々を、凌(しの)ぎながら越えなければならない理由(ワケ) 《金元弼先生のベストアンサー》



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もうすぐ、ご聖婚64周年を迎えます。

真の父母様(文鮮明先生ご夫妻)が
ご聖婚されるまで、そしてその後も
言葉にできないような苦難があったといいます。

1960年4月まで、それ以降に起こったこと、
それらはどんな意味があったのでしょうか。

金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言、
「すべてを一つにする条件を立てられた先生」
を紹介します。


1946年から1960年4月までの14年間は、
イエス様の家庭を復帰するための
蕩減基準を立てた期間でした。

60年4月に先生の祝福がありました。
その時までは、イエス様の家庭復帰のための
蕩減条件を立てた期間であったのです。

そして70年の末から73年の初めまでの3年間に、
韓国で祝福家庭をすべて動員しました。
これは、韓国をアベル圏に立てるための
摂理であったと言われています。

その時から、日本をエバ国として
連結させるようになったのです。

この期間に、既成教会と政府の迫害の中において、
国家的な家庭基盤を確立したというのです。


1960年までのひっぱくというものは、
言葉で言い表すことのできないほど大きなものでした。

先生は、その当時のいろいろなことを話されました。
例えば、太邱ではいつも反対を受けたために、
月に13回も家を移らなければいけなくなったのです。
そういう苦労があったのです。

それから60年の聖婚の前夜も、警察に呼ばれて
尋問を受けられ、調書を書かされたのです。
その時は、食口の親が12人で先生を告訴したのです。

毎日調査を受けながらも、
先生はそういうことを成されたのです。

それから36家庭の結婚式の時には、
反対の人が外に来て大騒ぎをしました。
(1960年3双、1961年5.15 33双)

こういういろいろな事件があったのです。
こういう中において、60年の4月を迎えたのです。


その後はアメリカに行かれて、72年から74年まで、
アメリカの既成教会と連結する仕事をされたのです。
先生はその時、7カ都市で講演されました。

72年、73年の活動が、既成教会と
統一教会を連結させる仕事だったのです。

また、先生がダンベリーに行かれることによって、
すべての食口が一つになれる条件を
立てることができたと言われました。

すべての食口が一つとなり、
そしてまた、統一教会と既成教会が、
カインとアベルとして一つになれる道が開かれたのです。


そして特に先生が強調されるのは、
真の父母の心情圏に通じる人になることです。

それは、真の父母の心情圏を知り、
真の父母の心情をもつことです。

真の父母の心情圏に通じる人でなくては、
天上、地上を自由に往来できないのです。
しかし、このような人も、
相対者がいなくてはだめだと言われました。

ですから、そういう心情をもって、それから
相対と一つになることによって初めて天国に行けるのです。

もう一度繰り返せば、真の父母の心情をもつ
ということが重要であり、その次は
自分の相対者と一つになることが
絶対重要であるということです。

これは縦と横の関係です。
これがなければ、天国へは行けないのです。

1989年5月24日 
ドイツ・カンベルグ修練会(祝福婦人集会)

信仰生活シリーズ2
 生活伝道 真の父母に倣う伝道の精神
 金元弼 金 元弼(キム・ウォンピル)

1986年4月4〜7日と
記述されているものもあります

再編集 文責:ten1ko2


最近思うのですが、
真の父母様の心情圏に到達するために、
今の環境圏、人間関係が与えられているのだ、
そのように感じます。

真の父母様の勝利圏により、
天一国時代を迎え、教会に対する迫害も、
真の父母様が通過されたような試練は、
もちろんないですが、
今、日本家庭連合は、日々、凌(しの)ぎながら
乗り越えていくべき、国家的な迫害のさなかにあります。

外的な試練を越えるためには、
内的な試練を越えていかなければなりません。
それは、本物になることを願われている、
ということなのだ、と感じます。

「文先生ご夫妻は素晴らしいですね、
じゃあ弟子のあなたたちはどうなんでしょうね」
そう尋ねられた時、
私たちが堂々と、その内容をもって示せるように
なっていかなければならないと思うのです。




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2024年04月14日

「汝の敵」を愛せるのか・・・大虐殺から30年、アフリカの奇跡となったルワンダ*和解村 《夫婦愛エッセー》



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橘幸世さんによるエッセー
「続・夫婦愛を育む」より、
「その名は『和解村』」を紹介します。

 
四半世紀も前だったかと思います。
『神々の詩(うた)』という民放のテレビ番組がありました。

この紀行番組で、ルワンダを取り上げた回は特殊でした。


1994年、同国大統領が乗った飛行機の撃墜事件を機に、
ラジオで扇動されたフツ族住民が、
ツチ族とフツ族穏健派の近隣者を
手当たり次第に襲って殺害しました。

80万人以上が犠牲になったといわれる
大虐殺のニュースに震撼(しんかん)したのを覚えています。

番組はその後の再生の取り組みを描いたものでした。

私の記憶に残っているのは、虐殺した側の
フツ族の男性が、負傷して何らかの施設の
粗末な小部屋にいるシーン。

施設を切り盛りするのは、見るからに
たくましそうな現地のクリスチャンの女性です。

彼女が一人の少年に、その男性に
食事を持っていくか何かの世話をするよう指示します。

少年はフツ族に家族を殺されたツチ族です。
その関係性を承知の上で、女性は指示をし、
少年は複雑な思いを抱えながらも従います。

「汝の敵を愛せよ」
とは誰もが知るイエス様の言葉ですが、
地獄をかいくぐり生き延びた少年に、
その実践をもって立ち直らせんとする
女性の姿に、大きな衝撃を受けました。


大虐殺から30年、4月6日付の読売新聞に、
現在のルワンダの状況を伝える記事がありました。

ルワンダは、IT(Information Technology)立国として
「アフリカの奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げています。

その大きな要因となった一つが、
政府主導の和解政策です。

民族の識別を法で禁止し、差別を撤廃。
12万人以上に及ぶ服役中の加害者を、
社会復興を優先して減刑しました。

減刑の条件は被害者、虐殺の生存者への謝罪です。
当然、謝罪の手紙を受け取っても
被害者の多くは読む気にすらなれません。

そこをキリスト教の牧師たちがサポートします。

被害者の中には、許せないことへの罪悪感から、
やがて受け入れるようになる人もいます。

また犠牲になった家族を「弔いたい」思いから、
加害者に遺体の場所を告白させるため、
謝罪を受け入れることもあるそうです。


加害者は再教育を受けた後、社会復帰します。

政府が創設した「和解村」では、そんな
加害者と生存者が隣り合って暮らしています。

「ご近所さん」として庭仕事や子供の世話で助け合います。
キリスト教系団体も生活面を支援しています。

和解は「作為的」だとの批判や、加害者は
心から悔い改めていない、などの指摘もあることは事実です。

許した被害者の気持ちも揺れることがあるでしょう。
人間の心はそう簡単に割り切れるものではありません。

家族親族が残酷な殺され方をしたのです。
心がついていくにはこの先何十年もかかるかもしれません。

でも、たとえ復興のためだとしても、
これは本当に尊い試みだと私は思います。

天が後押ししたからこそ、ルワンダは
奇跡的復興を遂げたのではないでしょうか。

このままプロジェクトが順当に進むことを祈ってやみません。
この試みの前には、日々の自分の葛藤が
あまりに小さく思えます。

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=23953
続・夫婦愛を育む 17
その名は「和解村」
ナビゲーター:橘 幸世
再編集 文責:ten1ko2


「和解村」素晴らしいですね。。。
喜びを感じる時は、ほんの一瞬ですが、
恨みを持ったその思いは
なかなか消えることはありません。

その思いが、心を不憫にし、
病気なども引き起こします。

そういう人たちに愛の投入をすることは
簡単ではありません。
とても学ぶべき教訓であると思うのです。

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2024年04月13日

いつかは、誰もが霊界に行かなければならない 解説も、検証もし尽くせない神 《李相軒先生の霊界メッセージ》



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李相軒(イ・サンホン)先生
霊界メッセージ。
今回は、「遍在される全知全能なる神様」です。

遍在される全知全能なる神様

いくら人間の知性が発達して科学や文明が進歩しても、
神様は決して人間の研究対象にはなりえません。

それは天地万物の創造主が神様であり、
すべての科学や宗教や哲学の主人は神様であるからです。
そんな人間が、どうやって
神様を研究したり分析したりできるでしょうか。

私は粛然とした謙虚な姿勢で、
「神様、私はもう降参です!」と告白したいのです。
これが最も賢明な判断だと思います。
これは私の率直な告白でもあります。

心をどんなに無にしてみても、
私の心の片隅に消えずに残っているものがありました。
それがほかでもない神様の存在でした。

私は、そんな神様の姿を
完全に明らかにしてみたかったのです。


しかし、ここ霊界に来て、神様の姿を
様々な次元から見つめてみたところ、
それが難しいということをさらに悟るようになりました。

神様の姿は様々で、多様に、膨大に現れるため、
神様の分析をどこから始めたら正しく究明できるのか、
その方法自体が全く思い浮かびません。

実際、人間の理性をもってしては
究明できないお方が神様なのです。

それゆえ、私は率直に告白します。
「おお、我が神よ、あなたはやはり創造主であり、
唯一無二なる神様であられます!
そしてあなたは人間の分析の対象では決してありません」。

私はこのように確固として動かぬ結論を下しました。


そして私は、今や心に訳もなく湧いてくる
神様に関するすべての疑問を完全に捨てることに決めました。

それは一種の時間の浪費にすぎないし、
また一方では、神様の前に大変な親不孝になると思います。

「私は唯一無二なる天の父母の子女である」
と確信を持って言えるならば、
それこそ私の最大の幸福であり、私は
その事実に対して心の底から感謝するばかりです。

私たちはみな「神様の真の子女」
であることを誇るべきです。

そして、誰かが神様の前に何らかの形容詞をつけて
神様を説明しようものなら、その者は
自分の無知さを自ら立証する結果を招くことになるのです。


最先端の科学と文明の前でも、私ははっきりと明言できます。
人間は自らの知性や知恵、その偉大な業績や学問、
文化などといったものを神様の前に
少しも誇ってはならないのです。

もしも自慢する者があれば、親なる神様は
彼を上から見下ろしてにっこりと笑い、
「苦労しているね。私が助けてあげよう」
と言いながら、かえって慰めてくださることでしょう。


私たちは神様の前に、自らの心も体も
すべて無にしなければなりません。

親なる神様の前に丁重にひざまずき、
私たち人間の驕慢(きょうまん)性に対して
手を合わせて謝罪すべきです。

「神様! 私はここにいます。
私の行く道を導いてください。
私の人生のすべてを神様にゆだねて正しい道を歩みます。
神様の子女として私を受け入れてください」と言いながら、
天の父母に率直に懇願しなければなりません。


いつかは、誰もが例外なく
この霊界に来なければならないのです。

こちらで神様の前に常に堂々たる姿で生活できる、
真の子女の位相を身につけたかどうかを
毎日毎日点検していきましょう。

地上生活に終わりを告げる道は、
人生のたそがれに迎えるものとは限りません。
皆さんが全く予期も準備もしないうちに、
こちらに突然来るという場合もあるのです。

ここを避けて通れる人は一人もいません。
天理原則をどうして避けていくことができるでしょうか。

若い全盛期の人生を好き勝手に生きながら、
人生のたそがれを迎えてから霊界の生活を
準備すればよい、と考えてはいけません。

私たちの父母である神様は、自らの子女を迎えるとき、
必ずしもその人のたそがれの時期に
召していかれるとは限らないのです。


もしも父母を迎えたならば、すぐさま
父母にお仕えすることが私たち子女の道理であり、
規範ではないでしょうか。

私たちはみな、神様が自らの父母であることを
誇りに思い、これからは私たちの父母なる神様が
少しも孤独を感じることがないようにお仕えしましょう!

私たちは「原理」を通して復帰原理を学んだはずです。
私たちは、それを私たちの現実生活に適用して
真の父母様に侍(はべ)り、常に喜びながら
幸福な生を営んでいけるように精進していきましょう。

(1999年11月29日)

李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第一章 神様の実存
三 遍在される全知全能なる神様
霊界の実相と地上生活(39)
遍在される全知全能なる神様
Blessed Lifeより

再編集 文責:ten1ko2


李相軒先生が神様を証ししたい思い、
神様に感謝する心情が十分に伝わってきますね。

愛の根であり、私たちの父母である神様。。。
あなたの存在に感謝して、
今日も一日過ごしていきたいと思います。




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