劉孝元(ユ・ヒョウウォン)先生が、
教会に導かれた時の証しを紹介します。
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1970 年聖和された劉孝元(ユ・ヒョウウォン)先生の証しです。
劉孝元氏は 1914 年、文師と同じ平安北道の定州郡に生まれ、
幼い時から村や学校で神童といわれた。
定州の五山高等普通学校に通いながら、
内村鑑三の無教会派の集会に参加した。
その後、劉孝元氏は京城帝国大学
(現、ソウル大学校)医学部に入学する。
そのとき、受験科目の数学は満点だったという。
合格の知らせを聞いた故郷では大騒ぎとなり、
多くの家から求婚が殺到した。
だが劉孝元氏は在学中、股関節カリエスにかかり
大学を中退し、治療のため故郷(定州)に帰った。
病魔との闘いはこの時から始まる。
劉孝元氏は、病気ゆえに何度も自殺を試みた。
母親はいつもそんな息子のそばで祈った。
家族の祈りは、祖国の独立と劉孝元氏の
体の快復のためにささげられたのである。
劉孝元氏の祖父も、熱心なキリスト教徒だった。
祖父が近くに教会を建てるまでの六年間は、
毎週日曜日、約 20 キロメートルも離れた教会に徒歩で通い続けた。
このような祖父や父母の篤い信仰の家庭で育った。
劉孝元氏は、幼い時からキリスト教の思想に感銘を受けていた。
闘病生活中、聖書を原語で学び研究し始めたが、
聖書を読めば読むほど解釈において多くの疑問と矛盾にぶち当たった。
例えば、聖書には次のような聖句がある。
「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬をも向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、
上着をも与えなさい」(マタイによる福音書第五章 39、40 節)
“この聖句をそのとおりに実践すれば死んでしまう。
生きているとすれば偽善者だ”
このような嘆きと苦しみの中で、闘病生活を続けた。
そのようにせっぱ詰まったとき、
劉孝元氏は文師と出会ったのである。
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ふたりの出会いは、次のような経緯で訪れた。
梨花女子大学校の梁允永女史と
劉孝元氏は親戚であったことと、
その妹が、劉孝元氏が釜山で文師と出会う
きっかけをつくったのである。
「親族に聖書を熱心に研究している人(劉孝元氏)がいるので、
一度訪ねてほしい」と、彼女(梁允信女史)は教会の人に依頼した。
彼女は統一教会の人を案内して、劉孝元氏の家を訪問した。
劉孝元氏は、教会の人の話を聞いて興味を覚え、
その後、釜山の教会を訪ねた。
そのとき、文師は上京していたため不在であったが、
信徒の李鳳雲氏が彼を迎えた。
それは、統一教会が創立される半年前(1953 年 11 月)のことである。
劉孝元氏は李鳳雲氏に、
「文鮮明先生が語られた内容の本があれば、
見せていただきたい」と語った。
李鳳雲氏は、文師が直接、紙に鉛筆で書かれた
『原理原本』(教理の骨子に当たるもので、
五冊のノートにまとめられていた)を劉孝元氏に貸し与えた。
『原理原本』は、一年の期間をかけて文師が
1952 年 5 月 10 日に書き上げたものである。
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劉孝元氏は『原理原本』を読みながら、
感動で胸が震え、感嘆の声を連発した。
喜びと希望が満ち溢れてきたのである。
劉孝元氏は、何度も何度も読み続けた。
聖書を原語で読んでも理解できなかったことが、
見事に『原理原本』の中で解かれていたのである。
劉孝元氏は自分が今後やるべきことを悟り、
喜びと責任と使命感に燃えたのだった。
劉孝元氏は文師と会う前に、『原理原本』を読んで
自分の生涯の行くべき道を決めた人物である。
『原理原本』の内容が、いかに劉孝元氏を
感動させたかは量り知れない。
劉孝元氏が、後に文師と初めて出会ったとき、
ふたり 21 時間余り、互いにその場を離れなかった
ということからも、そのことをうかがい知ることができる。
生死をかけて真理を求めてきた劉孝元氏と、
そのような人物を探し求めてきた
文師が巡り会ったのである。
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1953 年 12 月 24 日から 21 日間(12 月 24 日から
翌年 1 月 18 日までという記録もある)、
文師は劉孝元氏をはじめとする数人に直接、講義をした。
このとき、文師は寝る時間も惜しんで語り続けた。
講義は、一人でもいれば続けられた。そのため、
文師の講義を聞いていた人たちは、
トイレに行くときは合図を出して、
一斉にトイレに行ったほどである。
この講義が終わった後、劉孝元氏が
新しく教会に来る人に講義をするようになった。
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再編集 文責:ten1ko2
劉孝元先生は、その後、原理原本を基に、
私たち信徒が愛読している
原理講論を執筆されます。
原理原本は、理論的、というよりは、
感情のこもった書物でした。
しかし、原理講論発刊により、
とても理論的に体系化されました。
決して、人間一人で成し遂げられるような
そのようなものではありません。
劉孝元先生は「原理」をノートに一冊書くごとに
涙を数百回流したといいます。
最近、原理講論を読むということはありませんでしたが、
ある先輩から、この証しを紹介され、
改めて、原点に帰らなければならない、
そう思って、記事にさせていただきました。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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