2024年04月22日

信仰者には、今しかありません 死んで天国に入ってからいいことをするのではない 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1979年のみ言「私は善なる牧者」の続きです。

「真」を成長させ、善を探し求める生活

善とは何なのでしょうか? 

私が身を置いている位置で、その環境を
私のもののように思う心から
善を突き詰めていかなければなりません。

死んで天国にいってから
善なることをするのではありません。

現在はどのように生きても、
いつかは善くなるはずだと言って、
後日を眺めていては決して善をなすことはできません。

そのような信仰で将来を期待しては
善が訪れてくることができませんし、また、
そのような信仰者の目的地が天国になり得ないことを
よく分からなければなりません。

これは大きな問題です。

今日の私たちの信仰は、現在が重要です。
今しかありません。

私がとどまっている環境で善を探し求めて生きることこそ
「真」を探し求める生活であるということができます。

一言で言えば「真」を探し求めてこそ
神と父子の関係が結ばれるのです。


今お話ししましたように、兄は弟に対して
父母の心を帯びようとする姿勢をもってこそ、
「真」を探し求める生活なのです。

弟は、自分の兄を父のように思わなければならない
という考えを、常にもつようにしなければなりません。
これが真を探し求める生活です。

家庭が重要なのです。
家庭がどれほど重要ですか? 
天宙の中心は家庭であり、
私たちの原理の中心も家庭です。

それゆえに、家庭教会を通じて
天国が地上に実現されるということが
原理的に解明されます。

 
イエス様は、私は「真」であると語られました。

私は、他人の生命に喜びを与えることができるので
「真」であり、他人の生命に力を与えることが
できるので「真」であると語られたのです。

私たちは、自分の中に「真」を育てるための
努力をしなければなりません。

他人が悲しむとき一緒に悲しんでやり、
他人に望みを与えることができるならば、
私も「真」をもった人になることができます。

そのようになることによって
「真」が私の中で成長するのです。

「真」を成長させなければなりません。
「真」が成長しなければ力がなくなるのです。

内なる人(霊人体)の力がなくなるのです。
他人を愛さない人は元気がなくなります。

他人の心に喜びの刺激を与えることができない人は、
その内なる人に力がなくなります。

他人を哀れに思い、信奉して喜びを与えるならば、
自分の内なる人が健康になります。
「真」がよく育つようになります。
それは、神が共になさるからです。

 
先生のみ言の中に
「神が私たちに対して願われる二つの心がある」
とあります。

その一つは「よく成長せよ」であり、
もう一つは「私が常にお前と一緒にしてあげるから
危機をうまく克服しなさい。
危機が来るならば私が引き受けて、
その危機を防いであげます」というものです。

このように先生は、祈祷の中で
神と対話なさった内容を今も度々語られます。

先生が祈祷なさると、神が祈祷の内容を
前もってご存じであり、神が先生のために
準備しておかれたことまで見せてくださったそうです。

先生があまりに苦労なさり、
心を実に多く遣われ、切なく思われますから、
神が、「私がお前のために
準備しておいたものを見なさい」
と言われながら、
にっこり笑われたというみ言も聞きました。

先生は、祈祷生活の中で、神が
先生について回られながら準備してくださり、
危機が来るならば、その峠を乗り越えて
将来なされる世界を見せてくださるそうです。

それゆえに先生は、危機が来ても、
凛々として力があられ、
その危機を乗り越えたような気分で
生きることがおできになるというのです。

私たちは、危機を目にしますと恐怖を感じます。
私たちは苦しい時はそれだけ見えて、
その背後にある勝利の栄光を見ることができませんから、
ぶるぶる震えるのではないでしょうか? 

ところが神が私たちのために
いつも心をお遣いになることを二点、
先生が語られました。

1979年9月9日 韓国本部教会

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「私は善なる牧者」
再編集 文責:ten1ko2


真の父母様のみ言には、「真」という言葉が
ふんだんに使われています。
真の愛、真の家庭、真の父母、真の真理・・・

いかに「真」を求めて歩まれた
み旨の道であったのでしょうか。

ヨハネ先生は言われるように
イエス様も「私は『真』であると語られ」ています。

神様と一つになっておられるがゆえに、
自信を持って語られているのだと思います。

私たちも、真の父母様と一つになることのできる
立場にある私であることを、感謝しつつ
心から誇って、自信をもって歩んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 12:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする