2024年05月31日

愛したらよかった! 母を亡くした時の後悔を繰り返さないために 《礼拝説教*愛》



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山梨の菊谷大教会長の礼拝説教、
「愛」の続きです。

■母が霊界へ行った後、つのる後悔

私たちは、「命あること」が
「当たり前」であると思い、
日常の中で愛を伝えることの貴さを
見失っているのかもしれません。

ほかならぬ、私自身がそうでした。
十四年前、突然の事故で、私の母は霊界へと旅立ちました。
霊界に行く前、病気を八年患っていました。

太陽のように明るかった母が、 病気になってからは、
私が家に帰ると、部屋の電気が消えたかのように
真っ暗な表情で寝込んでいました。

当時の私は、そんな母を受け入れられず、見ていられなくて、
「自分が大変だから」という理由で、
見て見ぬふりを何度もしました。

それは、「時間がたてば治る」と信じて疑わなかったからです。
母が生きていることが当たり前だと思い、
霊界に行ってしまうことなど想像すらしなかったからです。

しかし、予想だにせぬ事故で、
母が霊界に行った後、その全てを後悔しました。

私の心が叫びました。

「もっと、ありがとうって言いたかった」
「もっと、ごめんねって言いたかった」
「もっと、力になりたかった」
「もっと、お母さんを助けたかった」
「もっと、お母さんを抱き締めたかった」
「もっと、お母さんを安心させたかった」

日常の中で、「愛する」という選択肢が
何度もあったにもかかわらず、
愛せない理由やできない理由を探しては、
自身の主張や事情でその選択肢を覆い隠し、
「愛する」ことを後回しにしていたのです。

「愛する」という選択肢が たとき、
私の本心はその大切さを知っていたことに気づかされまし た。

これまでの内容を通して、「愛すること」は
本当に大切なことであると分かります。
また、私たちの本心は、
それが大切であることを知っているのです。

しかし、これまで人類歴史が
どれだけ連なっても、悲しいニュースは絶えません。
悲しみの歴史を嫌っているはずなのに、
繰り返してしまいます。

それは、歴史や環境のみならず、私自身もそうです。
愛することの大切さを知りながらも、
愛したくないという自身の邪心に
幾度となく負けてしまうのです。

では、どうしたらよいのでしょうか。

■子女の幸せだけを願われる神様

実は、その答えが、本日のみ言の中に
明確に記されていました。

もう一度、み言の冒頭を拝読します。

「私は、生涯、神様の真の愛を実践するために生きる
人生の道理を教えてきました」


そうです。
このみ言は、正に“神様の愛”を
実践することを強調していたのです。

世界家庭より
再編集 文責:ten1ko2


お母さんが亡くなったことは、
衝撃的なことだったと思います。
悔やんでも悔やみきれないことでしょう。

だからこそ、「愛する」ということに
真剣に向き合ってこられた
大教会長だったように思います。。。

人が生まれるのは、「突然」ということはありません。
しかし、死というものは、そうはいかないわけです。
一期一会の大切さを改めて感じます。

まだまだ続きます。
お楽しみに。



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「私は、生涯、神様の真の愛を実践するために生きる
人生の道理を教えてきました。
これは、個人だけでなく、
家庭と社会、国家、このよ うにすべての次元で
適用されなければならない基本原理です」

(天一国経典『天聖経』1434ページ)


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2024年05月30日

パワハラ上司の暴言に、苦しみ悩んでいた私が・・・! 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム
今回は、「誰にでも輝く良心がある」です。


職場の上司(男性、40代)の暴言に悩んでいました。

「お前がバカなのは親に学がなく、
教養のない家庭で育ったからだ」とか、
私の母のことを、事実に反して
「(精神的に)病的」と公の場で言われたこともありました。

自分が誇りに思う両親を悪く言われたことが
悲しくて悔しくて、行き場のない苦しさを感じていました。


「神の祝福を願う祈り」のワークをしながら、
その上司の幸せを祈って光(神の愛)を送ろうとするのですが、
上司のことを考えるだけで気持ちがずーんと沈み、
祈ることができませんでした。

教会スタッフのかたから、
「その人のために祈ることが難しければ、
もう少し葛藤の小さな人のために祈ることから
始めたらいい」とのアドバイスをもらい、
実践してみました。

すると不思議に、上司に対しても
少しずつですが光を送れるようになりました。


こうして数日の間、光を送っていたところ、
突然その上司から私を含む数人が、
「今度の休日、一緒に食事をしよう」
との誘いを受けたのです。

私は一瞬、
「また何か傷つくことを言われたらどうしよう」
と躊躇してしまいました。

「自覚を取り戻す」ワークをしながら、
意識を「今ここ」に戻していくと、
「まだ起こってもいないことを恐れ、
心配してもしょうがない」という気持ちになりました。

そこで、その上司の誘いを受けることにしました。

そして、「最初から最後まで真の愛を中心として
上司を見つめ、接することができますように」
と祈りながら、約束の日まで過ごしました。


その日、上司はなぜかとても上機嫌でした。

相変わらず、こちらが傷つくような
過激な発言もあったのですが、
その言葉がスポッスポッと
私をよけていくような感じで、
全然ダメージを受けないのです。

それどころか私は、
会話を楽しんでさえいました。

帰りの方向が上司と同じだったので、
電車では上司と2人になりました。
そこで上司の親友の話になった時、
上司が感極まって目頭を押さえる場面があったのです。

私はそんな上司の姿に驚きながら、
「この人にも、人を大切に思う良心があったんだ」
と大発見をしたような気持ちになりました。


「誰にでも輝く良心がある」
というのは当たり前のことなのですが、
それを感じることができないくらいに、
私は上司に対して壁をつくっていたのです。

そのことが分かると、もううれしくてうれしくて、
帰り道、神様に「この人の良心を見せてくださって
ありがとうございます」と、
感謝のお祈りをしました。

今後も葛藤することはあるでしょうが、
常に心の目で相手を見て、
良心を信じて向き合うことを
心掛けていきたいと思いました。

私の心の中にいる神様 27
誰にでも輝く良心がある
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


ほのぼのとした、よい証しですね。。。
悪者退治をしたわけではありませんが、
彼女の心の成長が感じられて
胸がスッとするような
爽快感がありました。

私たちは「先入観」という物差しで
人を見定めてしまうことがありますね。
また、自分を棚に上げて、
人の評価をしたりします。

しかし、どんな人にも「良心」があるのです。
それは、「私の良心」を通じて見えるものだと思います。

私の心の目を開いて、
その人の良心を見つめることのできる、
そのような者になっていきたいと思うのです。
 


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2024年05月29日

「ピュアウォーターをつくり出す大学に」 真の師の資格とは 《真のお母様》



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今月の初めにお母様が鮮文大にて
教育機関の職員たちに語られたみ言を
紹介します。

真のお母様が教育機関の関係者
約70人を招請し、特別午餐会

天一国12年天暦3月25日(2024年陽暦5月3日)
韓国・天正宮博物館


「ピュアウォーターをつくり出す
大学に」と激励のみ言

 5月3日正午から、天正宮博物館3階小宴会室で、「天地人真の父母様招請 鮮鶴学園および鮮文大学主要職員特別午餐会」が開催されました。文姸娥・鮮鶴学園理事長、宋龍天・世界平和統一家庭連合世界会長をはじめ、鮮鶴学園、鮮文大学、鮮鶴UP大学院大学の教授およびチーム長以上の役員など、統一運動の教育機関の関係者約70人(一般職員、一般教授を含む)が集まりました。



真のお母様のみ言(要旨)

教育者として、未来世代の
ために責任を果たしましょう

皆さんの責任は何ですか? 

「愛天、愛人、愛国」の建学理念を中心として、
どれほど天に侍ったか、どれほど人を愛したか、
どれほど国のため献身的に歩んだか、
反省しなければなりません。

「鮮文」という名前は、
真の父母によって始まったのです。

今までの50年という長い歳月は荒野時代でした。
真実を全て教育する機関ではありませんでした。
それでは、天一国の国立大学である
と言うことができません。

少なくとも「鮮鶴(学園)」に
身を置いている人たちならば、
主人が誰かは分からなければなりません。

天の摂理の完成を見ていく天一国時代において、
過去の鮮文とは違う、未来志向的で
希望的な鮮文とならなければならないのです。

今、世界には希望がありません。
戦争と葛藤、宗教間の戦争がある、
一つになることができない世界です。
混濁した世界です。

しかし、真の父母思想は真の家庭運動であり、
「ピュアウォーター」です。
汚い水を浄化してあげる「ピュアウォーター」。

鮮文大学も「ピュアウォーター」をつくり出す
大学とならなければならないのです。

この時代に、私が地上にいる間に、
私を知らなかったという皆さんに
ならないことを願って話しているのです。

私と一つになることは、皆さんの
永遠の未来が保障されるということです。
それを知るならば、直ちに実践して、
先頭に立たなければなりません。

私は、はっきりと明かしました。
地上天国を教えています。
皆さんが地上天国の民として、永遠なる
天上天国まで行くことができる道を開いてあげました。

教育に携わる立場の皆さんは、
そのための中心的な役割を果たさなければ
ならないのに、目を覚ましていますか?

私たちには、すべきことがあまりにも多いのです。
人間の無知によってこの地球が苦しんでいると、
私は何度も話しました。

科学者会議で科学者たちに、
「宇宙の主人であられる神様を学びなさい」
と言いました。

今までの科学の発展は、創造の原則を中心に見ると、
バランスが取れていません。

破壊するものではなく、人間のために、
地球のために使われる、
そのような研究がなかったのです。

戦争によって生まれる不必要な武器と殺生、
それらが整理され、地球を、創造当時の位置に戻す
努力をしなければなりません。

そうして、私たちが愛する子女たち、
未来世代が生きることができる環境をつくるのが、
今ここにいる私たちの世代の責任です。

自分の現在のためではありません。
未来の、あなた方の後代のために
目を覚ましなさいということです。
人類歴史以来、ただひととき、
私が地上にいる間だけです。

全ての職員、学生たちは、「ピュアウォーター」
になる力量を持たなければなりません。

鮮文大を、真正なる真の鮮文大として
つくっていくことを願います。


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一部割愛、再編集 文責:ten1ko2


韓国には師匠(先生)の日というのがあって、
それにちなんで、関係者を招集されたのだと思います。

お母様は、二世たちが
「ピュアウォーター」だと語られています。
本当に期待が大きいことを感じます。

今回は、ピュアウォーターを作る大学に、
職員たちもピュアウォーターになりなさい
と言われていますね。

鮮文大も二世がたくさん学んでいますが、
一般の学生たちも多く、実際
そちらに流れていっている子供たちもいると聞いています。

しかし、天心苑祈祷会(徹夜精誠)が活発になり、
大学でも毎日祈祷会に参加している学生たちも
どんどんと増えているそうです。

先日も、見た目はちょっと派手な女の子なのですが
天心苑祈祷に感化され、日本に戻り
路傍演説をしていました。

2世たちは、純粋な心を持っているので、
一度感化されると善なる方向に突き進んでいきます。
まさにピュアウォーターだと思いました。


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