2024年05月22日

神様もあなたなしでは生きられないと言う人格者になりなさい 生涯の友が弟子になった瞬間 《金元弼先生》



0829-300x200.png
厳徳紋先生☆


金元弼先生の受難と源流。
今日は、*厳徳紋(オム ドンムン)先生の入教と釜山での開拓伝道です。

釜山に到着したのが、1951年1月27日、
厳徳紋先生と再会したのが、1月28日のことでした。
今からちょうど65年前の証しです。

(先回のポムネッコルは、この年の8月に
建てたといいますので、それを遡った南下直後のお話です。
興南での12名の弟子についても、少し話されています。)


ニヵ月ほど過ぎたころ、朴さん
(朴正華氏、興南の弟子の一人)の足がほとんど治ってきたので別れて、
先生と私だけが釜山に向かうことになりました。
途中、蔚山で初めて汽車に乗ることができました。

釜山に着いた最初の夜、先生は昔、ソウルで
日曜学校の先生をしておられた時の弟子の家で休まれました。
私は他人の家なので、共に世話になることができず、
ある食堂に就職して、そこに寝泊まりするようになりました。


先生は、日本で一緒に勉強していた厳徳紋さんに会われました。
そして厳さんの家に落ち着かれることになりました。

厳さんは、先生と学校時代(早稲田大学附属早稲田高等工学校)の同窓生であり、
互いに友達のような間柄で、先生は厳さんに
これからの理想世界に対するいろいろな話をされました。

すると彼の夢にイエス様の妹が現れ、
「私はイエス様のことで私の母に恨みがあります。
その恨みを解くには、大きな門があって、その中に小さな門があり、
またその中にさらに小さな門がありますが、
それを開けなければなりません。
その鍵を持っている人は文先生だけです」と言うのです。

その人は仏教の人ですから、キリスト教のことも
聖書の内容も全然知らないのです。
それで朝になって目を覚して、先生にお話しされるのですが、
その時はひざまずいて話しました。

昨日の夕方までは、「君」「おまえ」と言ったのが、
その朝はひざまずいて、「先生」と言うのです。
そして先生に鍵のことを「それは何のことですか」と聞くのです。
そこで先生は、ずっと歴史をお話ししてくださったというのです。

そして、厳さんはそれからずっと熱心に
先生と共に歩んでいらっしゃいます。


また、先生は金さんという弟子の家に
二週間ぐらいとどまられたこともありました。

金さんは北韓の興南の獄中での最初の弟子でしたが、
その後結婚して小さな家に住んでいました。

先生が厳さんと働いておられた時、部屋がありませんでした。
それで結婚して何日もたたない金さんの、
四畳の小さな部屋に行って一緒に暮らしたのです。

そこで先生は原理を書かれました。
『原理原本』です。
先生は厳さんと一緒に本の表紙を作る仕事をしながら、
原理を書き始められたのです。


ある時、先生は、
「ここではどうしても原理を書くことができないから、
お前が下宿している所に私は行かなければならない」
とおっしゃいました。

それで先生は私が下宿していた所に
一緒に住まわれるようになりました。

その下宿というのは、三畳の部屋なのです。
だからもう先生の頭と足が壁にぶつかるのです。
そういう狭い所にいらっしゃりながら、先生は原理を書かれ、
また開拓伝道をされたのです。

先生は時々、私が働いている食堂に
厳さんや金さんをお連れになって、紹介してくださり、
また私のことも二人にお話ししてくださいました。
そうすると、食口がとても多くなったような気がして、
私は本当に力がわいてきたものです。


そのころの先生は、あまり満足に
食事をしておられないようでしたので、
食堂の主人に、私の尊敬する方なので
昼食を接待したいと頼むと、承諾してくれました。

そこで部屋にお連れしてお膳を整えると、
すぐに御飯を召し上がりました。
それでもう一杯差し上げると、それもすぐになくなってしまうのでした。

そのころ、先生は召し上がるものがなくて、
波止場に出掛けて夜は仕事をし、
昼には暖かい日の当たる所で休む、という生活をされていました。


小さな下宿に、食口たちが集まってきました。
ある婦人は、ソウルにいる時に信仰で交わった人で、
韓国の一流新聞の編集局長をやった人の奥さんでした。

その奥さんは四十年の信仰生活をして、
聖霊を受けて霊通するようになった方なのです。

その人の家を先生が訪ねて、先生の家を
訪ねてくるようにと約束したのです。
それで訪ねてきました。

その人は霊通する人ですから、
いろいろな話をするのも簡単です。

その人の信仰を先生はよく知っていらっしゃいますから、
結論的に何を言うかというと、
「世界の全部の人間と文鮮明と、誰が高いか祈ってみなさい」
と言われるのです。

先生のことを普通の青年ではないことは知っていましたけれども、
世界の人類と比べよということにはカッカしました。

そしてまた、イエス様を生命の中心としているその婦人に、
「祈ってみなさい」と言うのです。
それでその婦人はとても信じられなくなって、家に帰ってしまったのです。

帰ってからも先生に会いたいという気持ちはもうありません。
しかし先生のお話を否定しようとすると心が暗くなり、
納得しようとすると心が本当に平和になるというのです。

そこで、“これではいけない。
私は生命を懸けても祈って解決しなければならない”という決心をしたのです。
そして再び先生を訪ねて、私たちがいた家の前に小さな山があったのですが、
その山に登ってお祈りをしました。

「神様、この問題に対して教えてもらわねばなりません」と心から祈っていると、
「先生のお話のとおりだ。文先生が高い」というふうに教えてくれたそうです。
けれどもその人には実感がないのです。

そこでまたお祈りしていると、イエス様よりも、
無形の神が現れていつも教えてくださったそうです。

御主人から石をぶつけられて迫害されている時も、
いつもいつも無形の神が現れて、その人にいろいろと教えてくれたということです。

それは、先生が座っていらっしゃると、
無形の神がだんだんと先生の体の中に入って、
ついに見えなくなってしまったというのです。
これは何かというと、無形の神が先生の実体の中におられ、
先生と一体であるということの証を示しているのです。


そういうことがあって後、その下宿で先生が礼拝をされました。
しかし、部屋があまりに狭くて、どうにもこうにもできない貧しい生活でした。

先生はそのような貧しい生活の中でも、いつも歌を失われませんでした。
お友達の厳さんは歌が上手で、先生は何回も歌わせられました。

下宿から少し上がったところに、公共の墓地があって、
そこに平地が少しあったのですが、いつもそこに登って、
歌いながら瞑想にふけったりしておられました。


先生の開拓伝道を通して、一人を立てるために御自分のすべてを尽くして、
愛と真理で語られたということを知っていただきたくてお話ししました。

先生のそういうことを心に置いて、
先生が開拓していかれたその道をついていくのです。

本当の開拓というのは、先生が既になさったものですが、
開拓された時の心情をもって私もこの道を行ったら、それも開拓ということです。
開拓の伝道を通じて、父母の心情を所有するならば、
私の心は父母の心情と同じということです。

監獄で弟子になった人たちは、全部北に残っており、
南にいる人は、南に帰ってきて私がお会いした人が三人と、
まだ会っていない人が一人です。
計四人くらいです。
他の人たちは、今はもうどうなったか分かりません。

再編集 文責:ten1ko2


お父様の自叙伝には、釜山についた直後、物乞いをしたこと、
また、厳徳紋先生との出会いについても、書かれています。
お父様はそれまでの路程を話されるのに
3日3晩かかったということです。

そうして、厳徳紋先生は弟子となったわけですが、
霊的な体験があったのですね。
その後、霊的な婦人の証しなどを通しても、
このころは多くの霊的体験があったことがわかります。

お父様が『一人を立てるために御自分のすべてを尽くして、
愛と真理で語られた』ので、役事が起こったのだと思います。

最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


*厳徳紋(オム ドンムン)先生
 2012年天暦5月12日(陽暦7月1日)聖和。享年93。
 真のお父様の日本留学時からの友人であり、後にお父様を人生の師として仰いだ。
 世宗(セジョン)文化会館やロッテホテルなどを設計した韓国有数の建築家。
 真の父母様は嚴徳紋先生の聖和の報告を聞かれると、「天心(チョンシム)親舊(チング)」の揮毫
 と花を贈られ、霊界入城の道を祝福された。

0829-300x200.png


※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月21日

イエスキリストと共に、実体の聖霊(独生女)が登壇?! ドイツで、五旬節・ペンテコステ礼拝 



240521-2024.0519 (2).jpg


先日の五旬節を記念した
ドイツ・ミュンヘンで行われた
ペンテコステ礼拝での、
真のお母様(韓鶴子総裁) のみ言と、
メディアに取り上げられたニュース記事を紹介します。


真のお母様のみ言

今日は何の日でしょうか?
この壇上に誰が見えますか?

イエス・キリストと、
実体聖霊の独り娘である王母(ワンオンマ)が来ました。

私がここに来たのは──

イエス様の願い、
十字架に出るしかないイエス様が再び来られ、
ペンテコステの聖霊の復活で使徒たちによって
キリスト教が出発しましたね。

しかし、残念なことに、キリスト教は2千年間、
イエス様の本質を知らなかったのです。

イエス様の十字架の後、ローマ帝国から
迫害を受けながら300年後に公認され、
イタリア半島を中心にヨーロッパ大陸、
全世界に広がっていきましたが、

イエス様は
「あなたの隣人を自分の体のように愛せよ」
と言われました。

しかし、イエス様の本質を知らなかったため、
利己的な考えで多くの国に被害を与えたという
歴史的事実が明らかになっています。

本来、創造主様はご自分の御姿に沿って
天地万物を創造されたそうです。

御姿に沿って鉱物世界・プラスマイナス、
植物世界、動物世界・メスとオス、
雌雄、雌しべと雄しべ、
最後に人間の祖先になることができる
男と女を創造し、人間には責任を与えました。

成長期間という時間を通して、
自ら完成の座まで出てくるように待っておられました。

しかし、今日の世の中を見ると、堕落した結果です。
これまで人類歴史6千年を下ってきて、
一日も平和な世の中を見たことがない
戦争と葛藤、さらに宗教も一つになれないような
関係で、最近の中東情勢を見ると、宗教戦争です。

キリスト教だけでもそうです。
カトリックから始まりましたが、
多くの過ちを犯すことによって宗教改革が起こり、
プロテスタントが生まれました。

そのプロテスタントも分派がいくつもあります。
もし再臨のメシヤが来るとしたら、
どこに行かれると思いますか?
彼らは一様にメシヤを待っています。

今日の世界情勢を見るとき、
未来を見据えた希望の灯火が照らされていません。

しかし、創造主は永遠に存在します。
始まりと終わりが同じ方です。
始めたからには必ず成し遂げなければなりません。
完成を見なければなりません。

だから、堕落した人類を放っておくわけには
いかないので、 蕩減復帰の
救いの摂理の歴史を始められたのです。

イスラエルという選民を選んで、個人から
家庭、氏族、民族、国家の形を成し遂げることが
できるまで、その過程で中心人物を立てて
摂理を発展させてきましたが、
その時間がどれほど大変で大変であったかというと、
4千年という時間がかかりました。

それで息子である独り子イエス・キリストを
送ってくださったが、イエス・キリストを受胎した
マリアが責任を果たしたと見ることはできません。

イエスの本質を知りませんでした。
イエス様は堕落した人類を救いに来られたのです。

しかし、独り子だけではいけません。
創造原理が男と女なのです。

ならば、マリアはイエス様のために心を込めて
環境を整えてあげるべきなのに、
その逆の生活をしました。

聖書でイエス様とのトラブルが
色々なところで出てきています。
結局、イエス様を十字架につける結果になったのです。

それで、イエス様は再臨を宣言し、
再臨して子羊の婚宴をすると言いましたが、
婚宴をするには相手がいなければならないのに、
なぜキリスト教はそのような考えが
できなかったのでしょうか?

再臨のメシヤが来るために、天は2千年前に現れなかった
独り娘を誕生させることができる民族を選び、
1943年に独り娘が誕生しました。

天はこの一回のために
どれほど苦労されたか分かりません。

イエス様の本質を知らないキリスト教の
カトリックとプロテスタントでは、
イエス様の夢が、イエス様の願いが
真の父母になることだったのに、
それを知ることができません。

真の父母になるためには、
必ず独り娘に会わなければなりません。
独り娘は天が誕生させました。
それを知らなければなりません。

その独り娘の出現は、
キリスト教の背景を通して現れ
ヨーロッパ大陸が初期にイエス様のために
世界宣教を行ったが、責任を果たしたとは
言えない立場で、今、終焉を迎えようとしています。

しかし、イエス様の夢を成就する上で、
真の父母の誕生が成就しなければならないし、
さらに2千年間、キリスト教の背景を置いて
全世界に広がっているキリスト教信仰を持っている人々が
イエス様の本質を知り、真の父母の顕現を待ち、
真の父母に会おうと精進する

過去2千年前のペンテコステのように、
すべてのキリスト教徒が実際に聖霊の復活を成し遂げ、
耳が開かれ、目が開かれ、まさに天の摂理
イエス様の本質を正しく見ることができるような
環境を作るために、実体聖霊
独り娘がヨーロッパに来られました。

聖書のみ言に
「先の者が後になり、後の者が先になる」という
節がありますが、この独り娘の時代においては、
独り娘と一つになれば、結果は完成を見るのです。

真の父母様を通して祝福されて生まれた
2世、3世、4世の皆さんは、
私がピュアウォーターと言いましたね?

皆さんのお母様は、ワンオンマ。
ワンオンマ真のお母様は、天の父母様を直接お迎えし、
人類一家の夢を、実体として
地上に実現していく歴史を成しています。

それでは、ピュアウォーターの皆さんは、
ワンオンマが展開している国家復帰、世界復帰の
天の父母様を、地上で私の家で、私の家庭で、
私の教会で、私の国でお迎えすることができる
地上天国を成し遂げていく上で、
皆さんが中心人物になってください。

そうするんでしょう?(はい)
はい、ありがとうございます。

私が地上にいる間に、皆さんが私と100%、120%
一つになって、摂理の完成を成し遂げることだけが、
永遠を置いて歴史的な偉大な中心人物はもちろん、
皆さんの家庭を通して名門家が誕生するのです。

キリスト教が迫害された時代に、特に使徒パウロ、
イエス様を信じる人を捕まえに行った後、
イエス様から180度回って伝道をするようになった
パウロの歴史、皆さんはよく知っているでしょう?

どうやって中東からギリシャの南端まで
歩いて行ったのでしょうか?
何に乗って行ったのでしょうか?
言いようのない苦しみを経験したでしょう。

しかし、イエス様から受けた約束を守るために
一生懸命伝道した結果、
聖書に名前が載るようになったのでしょう?

天一国時代に真の父母様、独生女平和の母、
ワンオンマと一緒に成した皆さんの実績が
永遠に永遠に輝くことができる、
このような黄金期であることを肝に銘じてください。

ヨーロッパの歴史に宣教の歴史が50年以上あるのに、
56ヵ国以上になる国があるのに、
1ヵ国でも国家復帰が出来なかったというのは、
天の前に面目がないのではありませんか?
(ありません。) 面目がないのですね。

ですから、来年、天の父母様を直接地上にお迎えする
天苑宮天一聖殿入宮式を控えて、
皆さんが天の父母様の前にお見せする
ヨーロッパの2世、3世の若い指導者になって
国家復帰を成し遂げましょう。

今、堂々と摂理の真理、創造主の本質、
イエス様の本質である真の父母様です、真の父母様!

これ以上遅くなる前に、真の父母様の摂理に
参加できるヨーロッパ大陸になるように、
皆さんが最善を尽くしてください。

本当に会えて嬉しかったですよ。
でも、もっと多くの子女たちに会いたい
ワンオンマです。
わかりましたね、最善を尽くしてください。


2024年5月19日
神ヨーロッパ真の父母様特別集会
- Bloom! Pentecost service with True Mother
↑公式の翻訳ではないので、
一部編集しています。
文責:ten1ko2



[ローカル世界ドイツ]
家庭連合ヨーロッパ聖霊降臨祭礼拝 韓鶴子総裁
「『真の父母の時代』を世に知らしめる」

世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)は19日午前(現地時間)キリスト教聖霊降臨節を迎え、ドイツのミュンヘン・ショパラスト会場で世界70カ国2500人余りの会員が参加した中で聖霊降臨節特別礼拝を盛大に開催した。

ヨーロッパ・中東家庭連合主催で開かれた今回の行事は「新しい霊性運動を通じた世界平和」をテーマに18日、19日の2日間にわたって感謝礼拝とともに文化行事に分かれて開かれた。

19日の聖霊降臨節の礼拝にメイン演説者として出た家庭連合・韓鶴子総裁は「2000年前にイエス様が約束したように聖霊が降臨して人々に聖霊の賜物を注いでくださったように、今こそ人類が『神の下で一つの家族』として生きていかなければならない時」とし、「世界の平和のモデルを具現した真の父母時代を迎え、全世界の家庭連合会員たちは真の父母を世界に広く知らせなければならない」と述べた。

続いて、ソン・ヨンチョン家庭連合世界会長は、一生「世界平和の母」として生きている韓総裁の人生と一代記を中心とする内容を伝えた。

本礼拝に先立ち、18日には子供たちが親と一緒に乗馬体験プログラムや映画を見たり、ゲームを楽しむことができる様々な家族のためのプログラムが用意され、注目を集めた。

また、この日の夕方に行われた賛美礼拝を通じて、2400人余りの会員たちは、自分の心霊の復活はもちろん、世界の変化を祈願しながら感動的な賛美の時間を過ごした。

一方、この日の聖霊降臨節の礼拝の後、約1000人のヨーロッパ・中東の青年・学生たちは再び一堂に集まって、「未来の世代を責任を持っていかなければならない若い青年・学生たちとして、平和と愛を実践し、世の中に光と塩の役割を尽くす」という意志を固めた。

パーマー(オーストリア・35)ヨーロッパ・中東青年学生連合会長は、「イエスを信じる信徒たちの信仰と霊性が消えていく今のヨーロッパ社会の現実が残念だ」とし、「聖霊降臨を記念するペンテコステの意味を取り戻し、キリスト教の新しいパラダイムの変化が必要な時」と感想を述べた。

https://localsegye.co.kr/news/view/1065606122231044
로컬 세계(LOCAL WORLD)より
(自動翻訳)


上の記事では会員が集まったとありますが、
多くの2世や若者たちが集まり、
真のお母様も喜ばれたことでしょう。

「イエスを信じる信徒たちの信仰と霊性が消えていく
今のヨーロッパ社会の現実が残念だ」
「聖霊降臨を記念するペンテコステの意味を取り戻し、
キリスト教の新しいパラダイムの変化が必要な時」
欧・中東青年学生連合パーマー会長が、
このように端的に語っています。

キリスト教の古い伝統があるヨーロッパ、
そこで、ワンオンマ、真のお母様が来られ、
み言を語られたことに意義があると思います。

信出様を含む宣教師メンバーや、青年たちを中心に、
多くの証しが立てられることを祈ります。



最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


posted by ten1ko2 at 12:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月20日

7年間、娘に無視された父・・・ 仲良し家族になれたのは 《編集者ブログ》



240520-2024.05.jpg
ドイツでの韓鶴子総裁一行☆


7年間も父を無視したという娘さんの
証しなのですが、
あまりに身につまされるお話しで
掲載することにしました。

神様を初めて見せてくれた人

前回は、唐辛子を育てる母を紹介しました。(前回のブログはこちら
今回は、自慢の父を紹介してみようと思います。

私の父は、受け止め上手で感受性が豊か、
おしゃべりが大好きです。

家族が揃えば、父が先頭を切って
「コーヒータイムしよう〜」と皆に呼びかけ、
コーヒータイムという名の
「家族のおしゃべりタイム」がスタートします。

家庭出発で地元を離れた現在も、
週に1度は電話で近況を話しています。

(父から見て)母、妻、娘2人と、
女性に囲まれて暮らしていたからか、
男性としては少し珍しい性格なのかもしれません。


これだけ聞くと、仲の良い親子に感じる
かもしれませんが、以前はそうではありませんでした。

思春期に入った頃の私は干渉されることを嫌がり、
小6から高3までの約7年間、父を無視していました。

ところがその間、私が無視することに対して
父が怒鳴ってくることはありませんでした。

本当に伝えるべきことがあるときは、
母づてに伝えるか、携帯で長文のメッセージを
送るかして、無理に関わろうとすることなく、
ずっと待っていてくれたのです。


そんな状況で、父が唯一欠かさなかったのが
「挨拶」です。

無視されると知りながらも、毎朝仕事に行くときは、
私の部屋をノックしてドアを開け、
「おはよう。行ってきます」と挨拶をするのです。

もちろん私は無視。
布団を被って聞こえないようにもしました。

学校から帰ってくると、父は
「おかえり」と言ってくれましたが、
私は無視か、良くても「うん」と言うだけで、
すぐに父のいる部屋から出ていくようにしていました。

それでも父は7年間、
その挨拶をやめることはありませんでした。
今考えると、父はよく耐えられたな……と思います。


そのような中、関係性が修復していったのは、
今から約8年前。

訪問営業の仕事をしていた私は、
お客様から門前払いをされたり、
厳しい言葉を浴びたりすることがしょっちゅうでした。

それでも誠心誠意お客様に向き合う中で、
父が私に無視されてもずっと変わらなかったことが、
どれほど偉大なことであるかに気づいたのです。

また、娘から無視され続けることは
どれほど心苦しかっただろうかと思い、
深く反省しました。


その父の姿は、人類から何度無視されても
愛し続ける天の父母様の姿と重なりました。

父は、私にとって初めて
天の父母様を実体で見せてくれた存在です。

今では心から感謝していますし、
一番尊敬する人になりました。

こうして、とにかく両親に愛されたおかげで、
天の父母様の愛をよく感じることができ、
本当に仲の良い家庭になれたのだと思います。

私は家庭連合の二世として生まれて、
本当に良かったです。

再編集 文責:ten1ko2


いやぁ、お父さんの行動に屈服いたします。
娘に無視されても、絶対に挨拶はする、
と決意しておられたんでしょうね。。。

ある意味で、家族も伝道対象者です。
真の愛の実践を目指して、
愛の投入をしていきたいと思うのです。

最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。