史吉子(サ キルジャ)先生
「原理に関するみ言の証」、復活論より、
地上人に対する復活のお話しです。
☆
復活論では先ず、地上人に対する復活摂理が現れます。
地上人に対する復活摂理は、
どのようになされるのでしょうか?
私たちの霊人体が霊形体、生命体を経て、
生霊体にならなければなりません。
すなわち、 蘇生復活、長成復活の段階を経て、
完成復活しなければならないのです。
☆
次は、霊人に対する復活摂理です。
既に肉身を脱いだ私たちの先祖たち、
霊人たちは地上に再臨して地上人を協助することにより、
地上人と同じ恵沢を受けて復活します。
今日は、この二つの内容に関して説明します。
☆
私は、復活とは既成教会で言及するように、
「死体が墓から蘇ること」だと思っていました。
ところが、 私たちの教会に入教して、
「復活は霊人体が成長すること」
と言うみ言を初めて聞きました。
それであまりにも不思議で、更に深く知りたくなり、
ある日、 お父様にお尋ねしました。
「お父様、私もお父様がおっしゃるように、
私の体の中で霊人体が成長していると思いますが、
霊人体がどれくらい成長したか、
霊形体が成長して生命体になったのか、
そのようなことが計れる、丁度、体温計のような機械を見て、
成長の度合いをわかることができませんか?」
とお尋ねしてみました。
お父様はこの質問については、聞いた振りもされず、
「そうだ。霊人体の完成は愛の完成だよ!」
と答えられ ました。
☆
ところで、この霊形体と言う言葉には、
意味があります。
私たち食口の中で、練炭ガス中毒で
急死して生き返った人がいました。
彼女が死んで霊界に行ってみたら、
天国に行く道よりも地獄に行く道の方が楽に見えて、
早く来いと手振りをしていたそうです。
それで地獄に行ってみると、大蛇のような、
犬のような、豚のようなものがいましたが、
こちらから見ると人のようでもあり、
あちらから見ると獣のように見えたそうです。
そういう訳で復活してこそ、私たちの霊人体は
獣の姿から人間の姿へと形成されるのです。
それで蘇生期の霊人体を、霊形体と呼ぶのです。
☆
そして、その霊形体が生命体に成長し、
更に成長すると生霊体になるのです。
生霊体は発光体であり、発光体は光を発するものです。
それで私たちが地上で生きる目的は、
自分の霊人体が完成して生霊体 (発光体)になることです。
それ故に、誰もが生霊体になることを望み ます。
その光がどれくらい強いかが、
将来、真の父母様が霊界に行かれた後、
私たちが真の父母様の近くに行ける基準になるそうです。
自分の霊人体が明るければ明るいほど、
真の父母様の近くに行けます。
暗ければ暗い程、下に下がり、
明るければ明るい程、上に上がります。
史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
☆
再編集 文責:ten1ko2
私の霊人体が、どれくらいの位置なのか、
知りたい思いもあるし、しかし、
逆に、知りたくない思いもあります。。。
お父様のみ言のごとく、
「霊人体の完成は、愛の完成」と言われると
まだまだだな、と感じさせられます。
「私の生涯の座右の銘は、
いかにしてきのうよりきょう、
さらに感謝の気持ちをもって
生きていくかということです。
きのうよりきょう、さらに感謝し、
あすはきょうよりもっと感謝しながら
生きるために努力してきました。
日ごと、感謝の気持ちをもつことが、
私の人生の目標でした」
このお母様のみ言が胸を打ちますね。
どんな境遇にあったとしても、
感謝する生活を送ること、
この思いを持って、今日も出発していきたいと思うのです。
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