2024年06月30日

私は、宇宙のごみとして消えていくのか?! 「これがみ旨だ」と錯覚していました 《梶栗会長3》



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私の思いと行動、実績が
神様と関係ないものであれば、
宇宙のごみとして
消えていくのです。


梶栗玄太郎(第12代会長)


故・梶栗会長の説教より、続編。

2回は証しを紹介しましたが、
最後、この説教の核心部分、
会長の魂の叫び、遺言のようなみ言です。


今、私は自分の一生涯を総反省しているのです。
お父様のそばに侍っているという錯覚に陥っていたのです。

人間は思想で動いているのです。
「自分はこう思う、だからこうする」と。
善悪の基準も。

位置としては、縦横、東西南北の交点のここに
自分はいるのだと確認しながら生きているのです。
今で言えばGPSと同じです。

東西南北、それはだれが決めたのですか。
人間が決めたものでしょう。
自分はどこにいるかというのは、
「私」が決めているのです。

善悪の基準も、「これが絶対だ」と思う、
つまり実は「私」が決めているのです。
結局は「私」が入っているのです。

お父様のそばにいると言いながら、
実際は自分を中心として動いていたのです。
そう思いませんか。

「これがみ旨だ」と思って実践してきたのです。


ところが最近になってお父様は、
「神様の軸と人間の軸は必ずしも一致しない」
とおっしゃるのです。
それはそうでしょう。

地球レベルだったら何とかプラス・マイナス、
東西南北は一致しますが、宇宙規模になると、
どこに東があって、どこに西があるのですか。
考えたことがありますか。

また、光はまっすぐ進むものだと思っているでしょう。
ところがアインシュタインが相対性理論を発表しました。
その理論の実証のために天文学が使われました。

皆既日食のときに天文学者が太陽を見たら、
太陽の向こう側にある星が見えたのです。
それで光は太陽のような大きな質量のある所では
曲がるということがわかるのです。
光も曲がるのです。


私の思いと行動、実績が神様と関係ないものであれば、
宇宙のごみとして消えていくのです。
何だ、私はごみか。

人生なんてうそばっかりなのです。
なぜか。
自己中心から出発しているからです。
だから結果も自己中心にならざるを得ないのです。

世の中には良心が破壊された人たち、
どうしようもない人間が四分の一いるといいます。

しかし、その人たちと私はあまり変わりないと思うのです。
なぜなら、いつでも裏切る可能性があるからです。
ですから、人のことを批判できません。


お父様のそばにいるから近いのではないのです。
完全に一つにならなければならないのです。
そうなる方法がわからないで、
自分はなっていると錯覚して生きてきたのです。

しかしもうこれからはだめです。
真の父母様の直下にいる人間にならなければならないのです。
それが今の時代に生き残っていく道です。
もう一度反省しなければなりません。

お父様の近くで接していたけれども、
単にそれだけでは意味がありません。
お父様の縦横の軸に合うように生きなければならないのです。


皆さん、祝福を受けましたね。
祝福は重生、復活、永生の三段階です。

み言を訓読して実践することによって初めて、
体も聖化していくのです。

自分が成長して、そう感じるようになるのです。
継続して実践しなければ、一瞬はなるが、
次の瞬間には真っ暗になります。
持続しなければなりません。

お父様は伝統として、訓読会をずっとやっていらっしゃいます。
それを相続しなければならないのです。

統一教会 第12代会長
 梶栗玄太郎
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.31~37>
「真の父母様の軸に合った人間になろう」
世界平和統一家庭連合 公式説教ブログより
再編集 文責:ten1ko2


梶栗会長は、ご自身の歩みにおいて、
晩年になって、
すべて自分の思いであったと反省されています。

梶栗会長ですらそうなのです。
必死で真の父母様に従ってきて、
でも、外的に近くにいることが問題ではなく、
真の父母様の軸に合うように
生きなければならない。。。

私たちが、真の父母様と
一つになることしか、
神様と一つになる道がない。。。

そのためにも、訓読と祈りと実践を
継続していくということですが、
今は、天心苑精誠祈祷を通して
天と一つになることができますので、
感謝して臨んでいきたいと思うのです。


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2024年06月29日

天界の花園の秘密 *文榮進・昇華式は、霊界では大歓迎式だった! 《李相軒先生*霊界メッセージ》



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李相軒(イ・サンホン)先生の霊界メッセージ。
「植物世界」の2回目、
「上流層の植物世界」

いわゆる天国での植物の様子です。


神様は人間を創造する前に、人間に対して
様々な配慮をして万物を創造されました。

私たちは植物の姿を見ると、
人間を愛する神様の心が十分にうかがえます。

毎日同じ服を着ていれば、自分はもちろん、
他人も嫌気が差すものですが、
植物は刻一刻と様々に姿や色を変えながら
人間を楽しませてくれます。


例えば、地上での榮進(ヨンヂン)様の昇華(聖和〈ソンファ〉)式は、
霊界においては歓迎式でした。

この式が行われるとき、霊界のすべての植物は
新しい服に着替えたようでした。

赤、黄、青、紫など、麗しくきらびやかな光で新たに着飾って、
すべての植物は自らの固有な姿と特性を表現しながら、
ひらひらと揺れて喜んで迎えてくれました。

そしていろいろな種類の鳥が、まるで
万国旗がはためくように、休まずに
空を飛び交いながら歓迎の歌を歌ってくれました。

木や花は共に約束でもしたかのように、
風に舞いながら踊っていましたが、
それはまるで人々が
肩を組んで歌いながら踊っているようでした。

それだけではありません。
あらゆる花や雑草や木々が共に醸し出す香りは、
私たちの鼻や腹の中に深くしみ込み、
全身に浸透していきました。

地上では、こんなにも魅惑的な香りは
嗅いだことがありません。

歓迎式の祈祷時間には、植物の葉も花も鳥も、
みな静かに厳粛な姿に変化します。


李相軒がこのような話をすると、皆さんは
私がうそを言っていると思うかもしれません。
しかし、これはうそではなく真実です。

私たちは、このように美しい世界で
永遠に暮らせるようにしてくださった神様に、
そして霊界で永遠に幸せに暮らすことを教えてくださる
真の父母様に、心から感謝しなければなりません。

このような事実をはっきりと知れば、
人はみな、なぜ美しく生きなければならないのか
悟れるでしょう。

長くない地上生活を少しだけ我慢して苦労すれば、
永遠の安息所、美しき園で
美しき自然と共に暮らすことができるのです。

私はこれから皆さんに美しき園の本然の姿を
詳しく紹介していくことにしますが、
皆さんは主人を待ち望む植物(万物)のことを
常に考えながら生きていかなければなりません。

(1999年12月2日)

李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論) 二 植物の世界
Blessed Lifeより転載
再編集 文責:ten1ko2




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2024年06月28日

思春期の娘のことで一喜一憂、父が「呼名祈祷」を始めると、奇跡か……! 《編集部員ブログ》



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光言社編集部員ブログより、
今回は、「呼名祈祷で感じたこと」を紹介します。

呼名祈祷で感じたこと

今年2月、『世界家庭』編集部4人のうち、
3人が同時に新型コロナに感染したことがありました。
そのとき感染しなかったのが、私です。

編集部の感染状況を知ったのは、日曜日の夕方でした。
たとえ感染していても、症状が出ない人もいます。
私は、万が一感染していて、家族に
うつしていたらどうしよう≠ニ、いつも以上に焦りました。

というのも、翌日から次女(中2)の期末試験が始まるからでした。
結果は内申点に反映され、高校受験にも影響するのです。

以前に学校から、「試験期間に休むと、
あとでテストを受けても100%の評価はされず、
参考程度にしか扱われない」と説明を受けていました。

私はすぐに、娘に体調を尋ねました。
すると、「喉がイガイガする」と言うのです。

やばい……。

自分で計画を立て、今まででいちばん勉強をしていた娘でした。
そんな姿も思い浮かび、心配性の私は、
大丈夫だろうかと落ち着かなくなりました。


夜、寝床に入っても、頭はぐるぐると回転し、
全く寝つけません。

午前2時になったとき、どうせ寝られないし、
朝まで呼名祈祷をしよう!≠ニ起き上がりました。

祈りながら朝を迎えたとき、私は
こんなイメージを抱いていました。
きらきらと光り輝く中、娘が笑顔で、
「すっかりよくなったよ!」と言ってくると。

ところが現実は、「喉、痛くなってるんだけど」と一言。
娘は、幸い発熱もなく、学校に行き、無事に帰宅。
2日目に備えて勉強していたところ、その夜に発熱したのです。

私は一晩付きっきりで、おでこを
ぬれタオルで冷やして看病しました。
しかし快復せず、学校を休まざるをえませんでした。

そして、病院での診察結果は、「インフルエンザB型」でした。
新型コロナではなかったのです。

実は、娘のクラスでインフルエンザがはやっていて、
1日目から多くの生徒が休んでいたのです。
試験期間の終了後、学級閉鎖となり、週明けに、
マイナス評価なしでテストを受けることができました。

私は、学校側の寛大な措置に心から感謝しました。


通勤の際、3人の子供たちの名前を
ぶつぶつと唱えながら歩くことが多くなりました。

最近ふと、呼名祈祷って
風船に空気を入れているみたいだな≠ニ感じました。

風船は、形や大きさ、素材がさまざまで、
浮き上がるための空気(ヘリウムガス)の量は違います。

でも、どんな風船でも空気を入れ続ければ、
いつかは浮かび上がります。

子供たちに実体で尽くし、その心に
どれだけの思いを込めれば、
天に向かって浮かび上がるのでしょうか? 
私には分かりません。

天の前に名前を1回呼ぶのは、本当にわずかなことです。
それでも、決してゼロではありません。

ゼロでないなら、積み重ねれば必ず、
子供たちの心を満たすときが来るはずです。
そう信じます。

いつの日か、家族皆で神様のもとに飛んでいきたいです。

そして、全ての食口、祝福家庭の皆さんが、
そのようになることを願っています。


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世界家庭 編集部員のブログ
https://www.kogensha.jp/editor_blog/detail.php?id=4985
ところどころ割愛させて頂きました
再編集 文責:ten1ko2


呼名祈祷、うちの教会でも、
最近、流行りつつあります。

毎日、義理のお父さんを導くために、
数千回の呼名祈祷を捧げている、
比較的若い壮年の方が、
「ただですから」と言っていたのが、印象的でした。

彼の近くに、既成家庭の婦人が住んでいるのですが、
たまに、地域集会を行っているそうです。

ご主人は、教会に対してとても否定的になってしまい、
地域集会を自宅で行っても、「来るな」とは言わないまでも、
仏頂面で挨拶もしないような、そんな状況でした。

そのご主人のために、地域集会を開催する前、
数日間、1000回の呼名祈祷を捧げて、当日参加したとのこと。
案の定、ご主人は仏頂面だったのですが、
呼名祈祷を続けている土台があってか、
挨拶をして、服装を賛美したそうです。

そうしたら、普段見せない笑顔だったとのこと。
ご婦人もとても喜んでおられたそうです。

他にも、
〇普段、家に連絡がない息子が
「これからは、週に一回電話するね」と言ってきた。
〇この前、子供が家に訪ねて来て、
ふと「俺を生んでくれてありがとう」と
信じられないようなことを言ってきた。
などなど、小さな証しが続出しています。

天心苑徹夜精誠においても、
呼名祈祷を43000回捧げて、
教会に来なかったお父さんが来るようになった、
など、枚挙にいとまがありません。

ただ、名前を呼ぶだけで、
そんな証しが起こるものか、
と思う人がいるかもしれません。

しかし、編集部員の方が、書いておられるように、
呼名祈祷する=善なる空気を入れ続けているのです。

私も今の気運に負けじと
呼名祈祷をしているところです。


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