李相軒(イ・サンホン)先生の「霊界からのメッセージ」
今回は、『下流層の動物世界』です。
☆
下流層の動物世界
霊界の下流層においては、
動物の姿を見る機会はめったにありません。
ほとんどの動物が、ある一定の場所に隠れているからです。
一般的にここでの動物は、
人間の声を聞くとすぐに逃げてしまいます。
人を恐れる傾向が強く、人間と一緒にいることを願いもしません。
下流層の動物たちは人の目を避けて通るため、
人間は彼らの姿をほとんど見ることができません。
上流層の鳥たちは「チュンチュン」と、
いつでもどこでも歌を歌っているため、
彼らの姿をいつも自由に見ることができます。
しかし、下流層の鳥は
人が通るとさっと逃げてしまうので、
鳥の歌声をほとんど聞くことができません。
したがってここでは、人間と動物の調和
というものはほとんど見いだすことができないのです。
もしも人間の目に入りでもしたら、
たちまち捕まって食べられてしまうため、
動物は真っ先に人間の目を避けて逃げていってしまうのです。
☆
そして下流層では、動物たちの
恐ろしい鳴き声が時々聞こえてきます。
全く同じ動物でありながら、
どうして上流層では歌声を出し、
下流層では恐ろしい鳴き声を出すのでしょうか。
私は、この点をじっくり考えてみました。
上流層の動物たちは常に、何の恐れもなく、
主人に対する不安感もありません。
誰かが私を捕まえはしないか、銃で撃ちはしないか、
といった恐怖感は全くありません。
しかし下流層の動物たちは、常に追われる境遇にあります。
そのため、ライオンのような恐怖の鳴き声が
現れるしかないのではないでしょうか。
実際、ここでの動物たちの鳴き声は、
上流層のそれとは全く違います。
上流層では平安な声ですが、下流層では
恐怖におののいていて、鳴き声そのものが違います。
☆
動物世界で人間は主管主
神様は、宇宙万物を創造なさる時、
人間を万物世界の主管主としてつくられました。
しかし、誤った歴史が綿々と続くことによって、
人間は主人の立場を喪失してしまったのです。
しかし、本然の世界(霊界の上流層)に立ち返れば、
人間は、神様の創造の法則によって万物世界の主人となり、
堂々とした姿で登場できるのです。
このような厳然たる事実に対して、私たち人間は、
どのように感謝を捧げたらよいのでしょうか。
親なる神様の、子女に向けられた慈愛と愛の前に、
私たちはいま一度感謝を捧げましょう!
そして、本然の世界において主人の姿で堂々と現れ、
神の子としての喜びを神様にお返しする道を歩みましょう!
(1999年11月30日)
李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
一 動物の世界
霊界の実相と地上生活(42)
下流層の動物世界/動物世界で人間は主管
Blessed Lifeより
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第二章 被造世界(宇宙論)
一 動物の世界
霊界の実相と地上生活(42)
下流層の動物世界/動物世界で人間は主管
Blessed Lifeより
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再編集 文責:ten1ko2
下流層の世界においても、
万物はあるんだな、と改めて思いました。
自然万物は地上の世界以上に、
霊界では、人間の心情の基準に相対して、
存在しているのでしょう。
動物も、植物も、水のようなものであっても、
万物はみな、人間の愛がよくわかるといいます。
そして、愛情というものは、この肉体があるときにこそ、
大きく育てられるとのこと。
ふと、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出しました。
たとえ、クモであっても、命あるものです。
万物を愛したという愛の実績で、
霊界の位置も引き上がることもあり得る・・・
動物たちや、周りの環境など、万物は、
私の心情や、心霊基準を表す鏡なのかもしれません。
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