2024年06月05日

私たちは神の子なのか、サタンの子ではないのか?! イエスの信仰貞操 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の信仰と生活。
今回は、「自分の位置」です。


堕落した人間に、「あなたはサタンの息子ですか」
と言ったなら、とても怒るのです。

「ではあなたは神の子ですか」と言うと、
「それもどうかな」と言うのです。

では「あなたはだれですか」と聞くと、
自分の位置をはっきり答えられないのが、
堕落した人間の良心です。

しかし、そこがあいまいではっきりしていなくても、
神の立場を分かった信仰者においては、
自分がだれのものかということは、
自然に決まってくるのです。

その主体者が決まっているから、
自分の位置も同時に決まるのです。
その自分の位置をいつも聖別して、
いかに守っていくか、
そこに人格という問題が出てくるのです。

 
イエス様が胸の中に秘密としていたのは、
「自分は一人息子である」ということです。

それは、たとえ悔しいことがあっても、
いくら木の下に寝転んでいても、
また、乞食の格好をしていても、心の中では、
自分は神の一人息子であるというその位置を、
一生涯、十字架につけられるまで、
一度も変えたことがないのです。

いわゆる、信仰貞操です。


その位置を変えてしまうと、人格的にも崩れるし、
平面的にも人間関係が混線してしまうのです。

自分の位置うんぬんというのは、
一面を見ると傲慢なようですが、
ここを間違ってはいけないのです。

例えば、映画館とか、とにかく大勢の中に自分一人がいた時、
自分はどの位置でこういう所に来ているのかということです。

こういうサタンの世の中で、自分は神の子だという信念とか、
自分の立つべき位置を持続している信仰をもった人に対して、
神はとても感謝するのです。

だから神も、人間に恵まれなくてはならないのです。


イエス様においては、いくら蔑視されても、
その心では自分は一人息子だという思いが
かえって強くなるのです。

しかし私たちは、悲しい立場に置かれると、
だんだんと自分の位置を疑う人が増えてくるのです。

もうどうにもならない立場になると、本当に
神が一緒にいてくれるかどうか、疑ってしまうのです。
自分の位置を、自分が疑うのです。

そういう神との関係がない時にこそ、
自分の位置を守って、神から干渉がなくても、
神の息子だという、その責任をもっている者に対しては、
サタンも頭を下げるのです。

イエス様は、それを私たちに見せてくださったのです。

私たちが信仰しているうちは、
「いつもうれしい」と言っていいのですが、
神から捨てられる時、また、捕まえてくださる時と、
こういう波があり、私たちも
波のように成長していくのですから、
その時どういう実績を残すか、
どういう蕩減条件を立てるか、
これが神と私たちとの関係になるのです。

再編集 文責:ten1ko2


天心苑祈祷で精誠を立てていったり、
自己牧会プログラムを通して、
良心に働きかける神様を意識していくと、
本心が啓発されていきます。

与えられた現象、目に見えるものは、
同じだったとしても、
どのように捉えることができるのか、
それが重要になってきます。

ですから、ヨハネ先生が語られているように、
神の子である、という位置をしっかり守ること、
良心(本心)を中心とした生活をしていくこと、
このことを常に意識していきたいと
改めて思うのです。



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posted by ten1ko2 at 08:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする