2024年06月11日

「何でもないことを天地と思え」 一言が、一生を左右することも 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の信仰生活講座。
今回は、「何でもないことを天地と思え」です。


アブラハムが献祭において、はとを分別しなかったので、
400年の苦役という問題が起こり、
イサクをささげなくてはならない
大きな問題になってしまったように、
何でもないことでブツブツ言ったその条件が、
私たちの一生涯の問題になって、方向が違っていくのです。

そういう不快だとかいう問題で、
教会に行きたくなくなるのです。

だから、教会へ来ない人で、
この「原理」は駄目だからやめたという人は少なく、
だれそれが嫌だからという、
人との関係においてそうなる人が多いのです。

「原理」と、その一生涯の問題と比べてみれば、
何万分の一にもならないのだけれど、
そんなことで全生涯を捨ててしまう
という例がたくさん見られるのです。


大切なことは、何でもないことを重要に思うことです。

先生は学生時代に、風に吹かれて舞う一枚の木の葉を、
天地の動きと思って見たそうです。

先生は、枯葉一枚にも、
そこに重要な問題があるのではないかと考えて、
そういうところでこの「原理」を発見したそうです。

私たちは、重要だと思うものには真剣になるけれども、
そういうところには絶対重要なものはないというのです。

一生涯や永遠の問題に対して、何でもない、
人間が笑って見過ごしてしまうような所、
価値がありそうでない所に、
神は重要な秘密を隠しておられるそうです。

ですから、きょう一日の不快な問題を解決しないで、
あすに持ち越すというのは、重要な問題です。
時間が過ぎてやり直そうと思っても、
大きな問題になっていてけんかになってしまうのです。


教会を離れてしまった兄弟が戻ってくるには、
時期があるのです。
離れてから七カ月目とか、七年目か、
七数で戻ってくる人が多いのです。

そういう人は、七年前、自分と親しかった人を訪ねてくるのです。
だから教会長は、その人を親しかった人に任せて、
どういうふうに歓迎するかというと、
親しかった時の基準を認めてあげるのです。

やめてしまった七年前を思うと、恥ずかしくてたまらない。
だから、その時喜んだ基準を復活させてあげたなら、
恥ずかしさがなくなっていくのです。


こういう人たちは、喜んでいるその基準でもって、
失った三倍以上真を注がなくてはならないし、
三倍以上苦労するのです。

蕩減というものは、三倍、
歴史的、縦的なものはごく小さな条件で蕩減できますが、
自分自身が犯したものは、増えて、
三倍以上の条件を立てなくてはならないのです。

何でもないことを天地と思え

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


アブラハムの象徴献祭の失敗。
三種の供え物は、牛と山羊・羊そして、鳩でした。
大きな牛、山羊と羊は裂いたというのに、
ほんの小さな鳩を、裂きませんでした。

供え物の準備は、僕(しもべ)に任せたと、
お父様が話されたことがあったと聞いています。
その僕が鳩を裂かなかったのですが、
僕に責任があったのではなく、
命令をしたアブラハムに責任があったわけです。

大きな岩は避けられますが
見落としてしまう小さな石には、躓(つまづ)きやすい。

また、天に大きな貢献をする、
大きな実績をあげる。。。
もちろんそのことは貴いことですが、
だからこそ、そのあとの信仰生活は適当にはできません。
今まで以上に大切に貴重に歩まなければならないですね。

大きな功労も大切ですが、
日々の小さな精誠も宝です。

「何でもないことを重要に思う」
真の父母が体得されたみ言
そして立てられた犠牲の上に
私たちがあることを肝に銘じていきたいです。


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posted by ten1ko2 at 11:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする