2024年07月31日

「これは政府による宗教への内政干渉/私は迫害を受けた最初の宗教指導者ではない」 《ダンベリー精神 2》



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宗教の自由に関する公聴会
(1984年6月26日、ワシントン・米国議会上院公聴会室)


「ダンベリー精神 」の2回目は、
文鮮明師が、ダンベリーに収監される前、
米国議会が開いてくれた公聴会での
スピーチを紹介します。


このシリーズでは、真のお父様(文鮮明先生)のダンベリー連邦刑務所収監(1984年7月20日)から40年を迎えるに当たり、「ダンベリー精神」とは何だったのかを振り返ります。

真のお父様は1971年に渡米されて以来、アメリカの救いのために投入しておられましたが、不当な裁判によって脱税の罪に問われ、1984年5月に、懲役18カ月と罰金2万5000ドルの判決を受けました。

その後、お父様は、米国上院司法委員会が主催する「宗教の自由に関する公聴会」(1984年6月26日、ワシントン・米国議会上院公聴会室)で声明を発表されました。

お父様はその中で、神の愛するアメリカが精神的に覚醒し、自由のとりでとなるよう訴え、「もしアメリカと世界が生き残り、神の意思を行える保証があるならば、私は喜んで私の生命をささげる意志があります」と揺るぎない決意を表明されました。

「宗教の自由の保護のために働けることを名誉に思います」

「宗教の自由に関する公聴会」における文鮮明師の声明より(要旨)

私の裁判について最高裁が上告を棄却して以来、
宗教界の中から極めて強い抗議が示されています。

私はそうした宗教の自由のチャンピオンたちに
改めて感謝するとともに、このような証言の機会を
極めて歴史的なことと感じています。

私は単にアメリカ議会に向けて話しているのではなく、
神の前で、歴史に向けて話しているのです。

アメリカの建国精神回復のために歩んだ12年

1971年、神は私をアメリカに呼ばれ、キリスト教の復興と
建国精神の回復のために、運動を起こすよう求められました。

神は私を、医者や消防士の役割を果たさせるために
アメリカに呼ばれました。
劇的な精神的覚醒を求められたのです。

全世界が生き残れるかどうかは、アメリカが
その責任を全うするかどうかにかかっています。
アメリカは自由の最後のとりでなのです。

この12年間、私は身も心も全てささげて
アメリカのために尽くしてきました。

こうした使命を完遂する過程で、私は各方面で
論議の対象となり、一部の人々から
快く思われない人物となりました。
そして、迫害されるようになったのです。

しかし、私は決して迫害を受けた
最初の宗教指導者ではありません。

多くのユダヤ教、キリスト教会の指導者たちも、
迫害の道を通ってきています。
今日、私も同じ伝統に従うことを名誉と感じています。


今回の裁判は、最初から税金問題ではなかったのです。
これは政府による宗教への内政干渉です。

政府が統一教会(現・家庭連合)を選んだのは、
統一教会なら誰も助けにやって来ないだろう
と考えたからです。
しかしそれは誤算でした。

アメリカ宗教界は、一人が脅迫されれば
全員が脅迫されたと受け取り、全員が安全でなければ
誰一人も安全ではないと見るのです。

政府がその権力を乱用すれば、その影響は極めて重大です。
われわれはこうした動きを、ここで停止させなければなりません。
もしそうしなければ、次は誰の番になるでしょうか

神の摂理から見ると、この法廷闘争は
アメリカの宗教の自由の立て直しの機会となっています。

私が有罪となったのは、宗教上の信念と
活動による以外の何ものでもありません。

私は、(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉という)私であるが故に罰せられるのです。
これはアメリカの良心にショックを与え、覚醒させることになりました。

多くの宗教指導者および信者たちが怒りで立ち上がっています。
彼らは抗議の意を表明しています。

神の意思を行うためなら喜んで生命をささげます

今日の世界で最大の対決は、
「神への信仰」対「神の否定」です。

無神論を基礎にする共産世界は、
人類の夢の実現に失敗しています。

一方、自由世界は物質的になって神を忘れ、
世界の深刻な危機に直面し無力です。
世界は混乱によって混沌(こんとん)としています。

ここに神を中心とした新しい世界観が現れなければなりません。
私はその世界観を、神の愛の心情を基盤にして教えています。
それを「Godism」(神主義)と呼んでいます。

これが世界の新しい解決方法となることを、
私は宣言します。

神主義は、全ての宗教家および良心家を一つにします。
この世界観は、敵国同士にも統一をもたらすでしょう。

これは人間精神の真の自由をもたらすものであり、
この理想は地上天国実現に向けてわれわれを導くものです。

また、この世界観は高次元の思想体系であり、
多くの人々を個人的神体験に導いています。

こうした効果は絶大なものがあり、
一部から“洗脳”などと非難されるほどです。
これがメディアなどから誤解されてきた理由です。


私を敵の頭目と見る共産主義者たちは、
こうした誤解を利用し、
私を破壊しようと試みています。

こうした困難にもかかわらず、私は今日、
こうしてアメリカの宗教の自由の保護のために
働けることを名誉に思います。

もし、私がアメリカ国民に対し、
迫りくる危機を警告するビーコン(信号)の役目を
果たせるなら、私の犠牲は
大きな目的にかなったものとなるでしょう。

今日の問題は、アメリカと自由世界が
生き残れるかどうかという問題です。
そのために私は喜んで侮辱を受け、
どこへでも出かけ、いかなる労働もいとわず、
いかなる十字架をも耐え忍んでいるのです。

そしてもしアメリカと世界が生き残り、
神の意思を行える保証があるならば、
私は喜んで私の生命をささげる意志があります。

今日、私はいかなる人にも憎悪を抱いてはいません。
イエス・キリストは十字架につける人々を許し、
十字架上で祈った伝統を示しています。

私もその伝統を支持し、ずっと以前に
私を非難する人々を許しています。

私はアメリカ政府に対し、何の敵意も抱いていません。
私はアメリカのために祈っています。

そして人類史上最も深刻なこの時代に、
神が私を使い、宗教の自由の闘いと
アメリカの精神的覚醒を促していることを
神に感謝しています。

アメリカに神の祝福がありますように。


240731-1984.0626 (2).png

ダンベリー精神 2
「宗教の自由の保護のために働けることを名誉に思います」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25343
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「政府による宗教への内政干渉」
アメリカで行われたこの裁判、
今の日本でも同じように行われているのだ、
と言わざるを得ません。。。

しかし、お父様は、
「アメリカ政府に対し、何の敵意も抱いていません。
私はアメリカのために祈っています」
と語られているのです。

これは今の私たちにも
願われている内容ではないかと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 12:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月30日

(証し)私が文先生をメシアだと確信した理由(わけ)?! 《中村信一牧師》



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キリスト教の牧師でありながら、
早くから文鮮明先生を
真の父として受け入れられた
故中村信一牧師の証しを紹介します。

真のお父様を、再臨主として
どのように確信されたのでしょうか。


わたしは文先生をメシヤであると確信してから、
今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。
そのことをどうして確信するに至ったかをお話しします。

わたしは五十年間、いかなる迫害があっても聖書を捨てず、
牧師として過ごしてきました。
今日も統一教会は、迫害を受けていますが、
初期はもっと激しい迫害の中にあったのです。

そのようなとき、ある週刊誌を手にしたのです。
そこには、統一教会のスキャンダルを暴露するために、
統一教会の会員が寝泊まりしているホームに、
新参者を装って進入した人の証言が掲載されていました。

その記事を見て、驚きました。
男女問題のスキャンダルを暴こうと入ったその人物は、
男女問題を一つも発見することができなかったというのです。

人間が堕落するときは、やはり男女問題です。
この男女問題を勝利したか、あるいは皆無でないにしても、
男女が同じ屋根の下に生活していながらも、
清い関係を保っていけるというこの団体に、
大変素晴らしいものを感じたのでした。


ところで、わたしは牧師ですから、
文先生が究極の救い主であるかどうかは、
聖書にその根拠を求めざるを得ません。

その秘密を聖書から見つけることができたとき、
それはどれほどの喜びであったでしょうか。

旧約聖書の「詩篇」第六八篇四節には、
次のように記されている箇所があります。

「神のみまへにうたへ その名をほめたゝへよ
乗て野をすぐる者のために大道をきづけ 
かれの名をヤハとよぶ その前によろこびをどれ」

上記の文は、文語体ですが、口語体のある聖書の訳は、
次のようになっています。

「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ」

同じ箇所でも、このように訳が違うのです。
わたしは学生時代、ヘブライ語を学んでいたため、
なぜこのように訳が異なるのかが、よく理解できるのです。

前述した文語体の「野をすぐる者」とは、
「荒野(路程)を勝利した者」という意味ですが、
ヘブライ語では、「雲に乗ってくる者」と同じ言葉なのです。

ですから、来臨のメシヤは、「荒野路程を勝利されるかた」
でもあられるという解釈ができるのです。


人間は、自分を愛するという
自己保存の本能的なものを持っています。

ですから、文先生が自ら進んで
荒野四十年路程を乗り越えられたということに、
わたしは本当に感動したのです。

韓国でのキリスト教の摂理が失敗したとき、
なぜ、命を懸けて北朝鮮に行かれて、
今一度、伝道活動をしなければならなかったのでしょうか。

興南硫安工場で、死の峠を幾度も越えるような道を、
なにゆえ行かなければならなかったのでしょうか。
人間はだれでも、自ら選んで荒野路程を行く人はいません。

これらのことを研究してみるときに、
「荒野路程を勝利された文先生は、来臨のメシヤである」
ということが、はっきりと見えてきたのです。



ある日、中村牧師が、早朝祈祷会を行っている最中、
『不思議な団体の青年たちが参加してきた』そうです。
それが統一教会との最初の出会いでした。

多くのクリスチャンたちが、『この団体とは関わらないほうがいい』
そのように言われていましたが、何か興味を持ったそうです。
最初の出会いは、松本ママ。

そして、講義の終末論に感動しました。

「キリスト教の終末は、一般的に
 天変地異が起こることを意味しています。

 ところが、「統一原理」での終末は、
 “すべてのものが破壊されるのではなく、
 新しい秩序がそのときから始まる”
 という内容でした。

 それを聞いて、わたしは非常に感動したのです」


イエス様を信じるクリスチャン、
しかも牧師ともあろう方が、
真のお父様を受け入れるのは、簡単ではなかったでしょう。
お父様もこのような方が来られたことが、
どれほどうれしかったことでしょうか。。。


お父様のみ言

荒野路程で押し寄せる風を
避けようとして逃げれば、
荒い鳥のえさとなってしまう。




イエス様がサタンを屈服させる方法として
「柔和謙遜になれ!
従順屈服せよ!
犠牲的奉仕をせよ!」
と教えてくれたのである。


「御旨の道」より




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 中村信一牧師略歴

1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。



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2024年07月29日

たった一人が地球を救い、神を喜ばせる! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「一人が神を栄えさせる」です。


私たち一人一人は、本当に天から見た時には、
相当の希望をもたれます。

神は一人と思わずに、全人類と思っておられるし、
日本全部と思っておられるから、
私たちがそういう立場で天に忠誠を尽くしていけば
いいのですが、そういうふうにならないから、
神と会えないのです。

三十億人類の苦しみとか、その事情を、
神はどのように意識されるのでしょうか。

地上では人間の数で見るけれども、天から見れば、
堕落したアダムの家庭、アダム・エバとの二人しか
地上にいないと見るのです。

男と女の二つの枝が、こんなに繁殖したのであって、
たくさんの人間とは思わない。

一つの主流が、堕落性を根本として流れているから、
だれと会っても、アダムとエバと同じように感じるのです。

だから、その中で特別にこの事情を知り、
歴史的あるいは摂理的な内容をもって涙して祈る人は、
全世界を代表しているから、神はその人に対する時に、
今までの悲しみ全部を忘れるように喜んでいるのです。

一人が神を栄えさせるのです。

だから地方へ行った時には、
全霊界のその地方の先祖たちと、
その地方に生きて地上にいる人の総代理者と思って
摂理しているから、その位置を私たちは
忘れてはいけないのですが、それがうまくいかないのです。

天から見る位置を、地上の人が分かっていないのです。

一人が神を栄えさせる

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


1970年代のみ言なので、
「三十億人類」となっていますね。

一人を全人類と見られる神様であり、
全人類をアダム・エバの二人と見る神様であるとのこと。

天の父母(神)様は、
私たち一人一人を愛するときに、
全人類を愛する心情で対しておられ、
さらには、全人類を見つめる時、
初愛を注いだアダムとエバは最愛ですが、
それとまったく同等に、一人一人を愛してくださっている、
ということだと思います。

それは、真の父母様も同じでしょう。
まさに、「One Family Under God」です。

全人類は一つの家族、一つの有機体。。。
そうしたときに、一人一人が死んだ細胞ではなく、
生き生きと、天の父母様の愛にこたえて
希望となっていく、
そんな一人になっていきたいと思うのです。


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