2024年07月28日

神の国とは、今私たちが暮らしているような国ではない *アボジのみ言より《文ヨナ様》



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文姸娥(ムン ヨナ)様が、2015年の夏、
東京で語られたメッセージ。

ヨナニムが感銘を受けた、真のお父様
(文鮮明先生)のみ言が紹介されています。

お父様は「神様の国」で暮らすために
犠牲と投入の道を歩まれた

私は、真のお父様が聖和(ソンファ)されて以降、
おそばにいたときには分からなかったことが
少しずつ見えてくるようになった気がするのですが、
それを可能にしてくれたのが、み言の訓読でした。

それでより一層、熱心に訓読をするようになったのです。
そういう中で出会ったのが、次のみ言でした。


「神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。
国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は
成し遂げられないからです。

真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。
したがって神様は、ある一時を迎えて
特定の国を探し出されました。
それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。

皆様が望まれる神の国とは、どのような国ですか?
その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。
このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。

私たちには、まだ神の国がありません。
国のない人には本籍地がありません。

国がなければ国籍をもつことができないのです。
国がなければ入籍できる基盤もないということです。
ですから、現世において私たちがすべきことは、
国を探し出すことです。……

国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、
そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、
私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、
天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、
すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、
国を探し立てることができなければ、
すべて無駄になるのです。……

神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。
サタンの王権に勝利したのちにこそ、
天の国が成立するからです。

私たちは、神の国を仰ぎ慕います。
それは、愛があるところだからです。
一時的な愛ではなく、時間を超越して
永遠の愛が存続できるところです。……

皆様。私は今、地上に羨(うらや)むものがありません。
世の中のものには関心がない人です。

ただ、『神様が保護できるその国において
死ななければならないのではないか。
私がそのように生きてから逝くことができなければ、
私の生涯は悲惨な生涯ではないか。

死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでも
そこで暮らしてから逝かなければならない』
というのが私の願いなのです。

そのような一日のためには、数千日の犠牲を
投入しようという心で歩んでいるのです。
分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。……

皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。
神の国の民になることです。

その国の民になることができなければ、自由自在に
万民、あるいは万物世界に誇り、
愛を受ける道が現れないのです。
国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。……

イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって
彷徨(ほうこう)する立場になり、
霊肉ともの救いを成し遂げることはできませんでした。……

メシヤが成し遂げようとした目的の国が、
イスラエルの不信によって壊れたとき、
イスラエルは滅びました。

したがって、再び来られる再臨主には、
アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があり、
アダムを中心とした家庭、氏族、民族、
国家、世界を完成させる責任があるのです。

神様が私個人を犠牲にしたとしても
感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、
民族、国家を犠牲にしたとしても
感謝しなければなりません。

そのような私と国が現れてこそ、
世界はその国によって収拾されるのです。……

皆様。今日、私たちがこの地に生まれた目的は
どこにあるのでしょうか。
国を愛するためです。

神様が今まで摂理されてきた目的も、
その国を愛するためなのです。

主権のない国の国民は哀れです。
それで、イエス様が心配して……、
『何を食べようか、何を飲もうか、あるいは
何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。

あなたがたの天の父は、これらのものが、
ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう』
(マタイ六・31〜33)
とおっしゃったのです」

(『平和經』第一篇13「神様の祖国と一つの世界」
〈2002年10月16日〉から)


なぜ国を探さなければならないのでしょうか?
国のない民は保護を受けることができません。
天の父母様のみ意(こころ)のとおりに生きたくとも、
生きることができないのです。

ユダヤ人は国がなかったがゆえに、
ナチス・ドイツによって虐殺されたではありませんか。

では祝福家庭たちは大丈夫でしょうか?

真の父母様がいらっしゃるから、天一国(てんいちこく)
宣布されて天一国の基盤が内的に立てられたから、
安全でしょうか?

そうでないことは皆様もよくご存じですね。
日々刻々と変化する社会情勢に翻弄されています。

また子女たちも多くがその影響を受け、悩み、さまよっています。
ところが、私たちを保護してくれる
国があるとしたらどうでしょうか?
全く違ってくるはずです。

実は私にも真のお母様のなさることが
理解できないことがあったのです。

でもこのみ言を読んでみると、真のお父様が聖和された後に、
お母様が語られた全てのみ言、そして
お母様が決定された全てのことがらが、
霧が晴れるように再び見えてきたのです。

国際祝福家庭の集い
2015年8月15日東東京教区新宿教会
(『世界家庭』2015年10月号に掲載)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(3)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25354
(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


姸娥様のみ言は、とてもわかりやすいですね。
お父様が神の国、天一国を建てるために、
どれほど精誠を立てて歩まれたのか、
その思いは、お母様にストレートに受け継がれています。

真のご家庭にあって、嫁として
近くで侍ってこられた姸娥様ですが、
それよりも、み言を訓読することを通じて、
聖和された今のほうが、お父様の心情に
近く触れることができる、というのも、
私たちにとっては、救いのみ言だと思います。

やはり、条件的にではなく、
お父様にお会いしたい心情で、
訓読することが大事なのだな、と思います。


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2024年07月27日

イエスの再臨は、人として韓国に誕生する──預言を信じた人たちの愚直な日々 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「聖主教と腹中教」
長いですので、前半をご紹介します。


先生が平壌に来られたとき(1946年)、平壌には
再臨の主を迎えるための準備をしていた集団が、
既にその三、四十年前からありました。

平壌は韓国のエルサレムといわれ、
至る所で神から直接啓示を受けた人がいたのですが、
その中に聖主教というのがありました。
金聖道(キム ソンド)教主がつくった教団です。

その集団では、神が直接その集団の中心者である婦人に
いろいろと真理の啓示を与えていました。

そこでは、人間の根本の罪は何であるか、
またどうしてイエス様は十字架につかれたのか、
そのイエス様の十字架は既定事実であったのか、
そうでなければ人間が不信した結果として
生じたものであるかということです。

また、メシヤは雲に乗って再臨するのか、
普通の人の子として再臨してくるのかということに対しても
一つ一つ教えてくださいました。

その婦人は何も勉強していない田舎の婦人でした。
それゆえにその婦人は、神の啓示は受けるけれども
原理的になぜそうであるかということに対しては
全く分かっていなかったのです。

その話は、キリスト教の信者においては受け入れ難い内容でした。
しかしながら、いろいろとたくさんの奇跡を行っていましたので、
その言葉を疑うことは難しかったのです。

実際には聖書的に証されていない内容のゆえに、
大変な迫害を受けました。


先生が来られた平壌にはそういう流れをくんだ集団がありました。

この集団では、再臨の主は韓国の人として
この国に来られると啓示の内容を表明しました。

この集団の信者は全国から集まって、
常に自分のすべての真心と財産をささげ尽くし、
その再臨の主を迎えるために具体的な準備をしていました。

イエス様の時代には、人々がイエス様を信じられなくて、
イエス様は馬小屋で生まれなければならず、
ヨセフは誕生日が来ても何も祝わないし、
村の友達がお祭りの時良い着物を着ているのに、
イエス様だけは着たいものも着れず、
学校にも行けなかった恨みがあったというのです。

イエス様が再び来られた時そのようなことにならないために、
イエス様が生まれる時から亡くなられるまでの
すべての家具やら衣類などすべてを準備していました。
それも東洋式と西洋式で全部準備していました。

聖主教の婦人の流れをくんだ中年の婦人がこの準備をしていました。


その許孝彬氏にイエス様が現れて、
「私があなたにお告げをする時には、
ちょうど子供が母親のおなかの中にいる時に子供が動くように、
あなたのおなかにそういう兆候が現れる。
そうしたら、私があなたに現れて色々お告げをするでしょう」
と言われました。

それで腹中教という名前もあったのです。


ある時、イエス様が現れて、
「自分がこの世にいた時にあれくらい寂しい生活はなかった。
食べたい物があっても食べられない、
着たい物があっても着れない、
学びたいけれども学校に行って学ぶこともできなかった」
と寂しかった時のことを直接彼女を通して話してくださったそうです。

この話をしてくださった時、彼女はイエス様がお気の毒で
本当に泣かされて泣かされてならなかったのでした。

そこでその集団では、その恨みを晴らしてあげなければいけない、
再臨のメシヤを迎える時には絶対に過去にあったようなことが
あってはいけない、ということで万全の準備をしたわけです。

再臨のメシヤを迎えることによって、
そういったメシヤの恨みを晴らすことができるということです。
そのために、準備をするのに本当に心を尽くしたのです。


着物を作るにしても、準備する人は身を清め、
そして着物を作る部屋を清め、物を買うにしても
絶対に誰も手をつけていない新しい布を買ってきたのです。

物を買うにしても、値段をまけさせるということはしませんでした。
その理由が分かりますか。

メシヤはこの上もない貴重なお方ですから、
メシヤが着る着物を準備する人の心というのは、
金があれば金の着物を作りたいのが願いです。

メシヤが着る着物ですから、高いということはありえないのです。
メシヤの価値に比べたら、すべての物は
あまりにもあまりにも安いものであると考えたのです。

高いからまけてもらうということは心が許さなかったのです。
そして着物を作り始めるにしても、その当時は
機械がありませんでしたから、全部手で縫うのです。
心を込めて針で縫ったのです。

もし着物を作っているところに子供が入ってきて、
作っている着物に触ったりでもしたら、
またやり直さなければなりませんでした。

 
ある時、その集団では再臨のメシヤがかぶる
韓国古来の帽子を作ることになりました。
ところがそれは北の平壌にはありません。

そこで南のソウルに行って、それを有名な人に作ってもらい、
平壌まで運ばなければなりませんでした。

汽車に乗って持ち運ばなければなりませんが、
帽子を荷物の上に置くこともできないし、
また他のいろんな所に置くこともできません。

ですから頭の上に掲げて持って来たのです。
二人の人が支えて十時間以上もかかる汽車の道のりを
そのようにして運んだということをみても、
どれほど心を込めて作っていたか、
準備したかということがお分かりだと思います。

I 平壌開拓から興南解放
 第一章 平壌開拓の日々
「聖主教と腹中教」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


聖主教と腹中教は、大母様を通じて
真のお母様が統一教会に導かれることになった
きっかけとなった教団でもあります。

もう1世紀前の頃からの貴重なお話しです。

この元弼先生の証しには、
具体的なエピソードが紹介されていますが、
メシヤを迎えるために、これほどまでに
真剣に侍っていかれたのかと、
凄まじい精誠であると思います。

生きた主に侍る私たちの姿勢も、
ここまで真摯であるか、
反省させられますね。


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2024年07月25日

神様の初愛を根こそぎ受けた女性、独生女 《田中会長メッセージ》



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真のお母様をお迎えして行われた
ペンテコステ礼拝(5月19日、ドイツ・ミュンヘン)


7月7日、日曜礼拝の時間に、
田中富広会長の説教が、
全国の教会員に向け配信されました。

実体聖霊の役事
全国で一斉に行われた「真の父母論」教育の2日目(7月7日)、日曜礼拝の時間に、田中富広会長が全国の教会員に向けて行った説教の映像が配信されました。「実体聖霊の役事」と題して語られた説教は、「真の父母論」を理解するうえでも重要な内容です。その要旨を紹介します。


実体聖霊を迎えているこの時に、
私たちの持つべき姿勢、そしてその恩恵について
考える時間を持ちたいと思います。

真の父母様との関係を改めて問うべき時

真のお母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』に
このような一文があります。

「たとえ死の道を行くとしても
出会うべきなのが、真の父母です。
歴史をすべて失い、後孫をみな
失うことになるとしても、真の父母に出会えば、
歴史を取り戻し、未来も取り戻すことができます」
(323ページ)

この部分は、私が自叙伝の中でいちばん衝撃的に
向き合ったメッセージでもあります。

「たとえ死の道を行くとしても出会うべき」
とありますが、自分自身と真の父母との関係性を
改めて問わずにはいられないメッセージであると思っています。

実体聖霊が降臨した歴史的なペンテコステ礼拝

このほど、この一文を実感するような出来事がありました。

5月19日、ドイツのミュンヘンで行われた
「真のお母様と共にするペンテコステ礼拝」
でのことです。

ペンテコステ(聖霊降臨、五旬節)を記念する日曜日として、
この日は世界的に聖霊降臨祭の礼拝が行われていますが、
ここに実体聖霊であるお母様が来られたということに
深い意義を感じたのです。

このときのメッセージでお母様は冒頭、
「きょうは何の日ですか? 
 この壇上に誰が見えますか? 
 イエス・キリストと、
 実体聖霊である独り娘、ワンオンマが来ました」

(『世界家庭』7月号6ページ)と語り掛けられました。

そして続けて、以下のように語られました。

「私がここに来たのは、イエス様の願いが
 何であるかを教えるためです。
 十字架へ進むほかなかったイエス様は
 『また来る』と言われ、ペンテコステに聖霊が降臨して、
 心霊が復活した使徒たちによって
 キリスト教が出発したのではありませんか。

 しかし、不幸にも、キリスト教は二千年間を通して、
 イエス様の本質が分かりませんでした」
(同)


 一方、真のお父様も、このように語っておられます。

「神の独り子はいましたが、独り娘がいましたか?
 独り娘に出会えなかったため、
 神様の初愛を根こそぎ受けることができる
 独り娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。

 再臨主が来て何をするのか?
 小羊の婚宴、すなわち婚姻をしなければなりません。

 神様の初愛を根こそぎ受けた男性と、
 神様の初愛を根こそぎ受けた女性が、
 家庭を成さなければならないのです」
(1971年2月17日、韓国・城北教会)

神様の初愛を根こそぎ受けた男性と、
神様の初愛を根こそぎ受けた女性──。
お父様の表現はすごいですね。

このふたりが家庭を出発するということです。


この真の父母様のみ言で分かるように、 
イエス様の目的は、小羊の婚宴です。

独り娘に会うことができなかったイエス様でしたが、
再びこの地上に来られ、独り娘、
実体聖霊を迎えて真の父母になることが、
再臨のイエス様の大きな目的でした。

そのためにも、何としても
独り娘を迎えなくてはならない
2000年のキリスト教史だったというのです。

ですから、聖霊降臨を記念する日に、
実体聖霊、お母様が、キリスト教の本拠地、
ヨーロッパに実体で入られたということは
非常に大きな出来事でした。

これからの天の摂理を占うほどに
重要な一日であったと、私は確信しています。

もっと多くの子女に会いたいワンオンマ

このように人類歴史というのは、
堕落によって失われた神様との関係を
一つ一つ取り戻しながら進んできたのです。

そして今は、実体聖霊、真の母を
「ワンオンマ」と呼べるまでに、
神様との関係が取り戻されてきたと言えるでしょう。

それでもまだ、お母様が抱えておられる痛みを
取り除くことはできていません。

同礼拝でお母様は、「これまで一つの国も
国家の復帰ができていないというのは、
天の前に面目がありません」
(『世界家庭』7月号9ページ)と、
悔しい胸の内を吐露されました。

さらに、「きょう、会えてうれしかった」(同)
と語られながらも、
「しかし、もっと多くの子女に会いたいワンオンマなのです」(同)
と、寂しいお気持ちをも表現されたのです。

真の母の存在すら知らない民のほうが圧倒的に多い
この地球の人類、そして国家を
全て取り戻したいという、
お母様の強い思いを感じるメッセージです。

これは、ヨーロッパ圏に語られたメッセージではありますが、
私たち神日本も同じように受け止めるべきであると思います。

そして、もっと高い次元で
お母様をお迎えできる神日本にならなければなりません。

そのためにも、今、直面している試練を必ず乗り越えて、
伝道を勝利し、神氏族メシヤを勝利し、
母の国の使命を勝利していけるように頑張っていきたいと思います。

会長メッセージ
世界平和統一家庭連合 会長 田中富広
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10091
再編集 文責:ten1ko2


「メシヤは真の父母として来られる・・・」
原理講論にも何度か出てくる言葉です。

にもかかわらず、今までは、
お父様ばかり強調してきた私たちでした。

神様も父母であるのに、
天の父と2000年叫ばれてきたので、
「天の母」という概念がありませんでした。

ワンオンマが来られている、この時、
多くの人が、真の父母を
正しく知っていただきたいと思うのです。

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