わたしについてきなさい。
あなたがたを
人間をとる漁師にしてあげよう
マルコ 1章14〜20節
あなたがたを
人間をとる漁師にしてあげよう
マルコ 1章14〜20節
統一教会が現れる前、
まだ10代の金元弼(ウォンピル)先生に
再臨主・文鮮明先生が
掛けられた言葉とは──
平壌時代の証しより
今回は、『真心で指導される先生』です。
☆
先生はみ言を語られる時、冬は
綿の入った韓国古来の衣服を着ておられました。
説教が終わる時には、その綿の服を絞れば
水が垂れてくるくらいに、汗を流してみ言を語られました。
それゆえに、食口は毎週着物を洗い、
そして作らなければなりませんでした。
また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回す
というのではなく、いちいち手縫いでしますけれども、
その後に、布は布なりに綿は綿なりに、
初めて作るごとくやり始めなければなりませんでした。
このメンバーたちは、長年神に侍り、
イエス様に侍る生活をしていた人です。
それゆえに神からいろいろなかたちで、先生に
どのように侍らなければならないかを教えてもらい、
本当に真心を尽くしたのです。
☆
私たちは気軽に握手することもできますが、
当時は霊能者であっても、
先生の着物に触れることは難しいことでした。
先生は何も語られないのです。
もちろん、新しい食口が来た時には、
み言を熱心に語られますが、
個人的にはなかなか語ってくださいません。
皆さんは、私は先生と近くにいるから、
直接たくさんのみ言をいただくだろうと
考えるかもしれませんが、そうではないのです。
私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども。
☆
先生は礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、
学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねました。
その時に、(私に)「何か聞きたいことがあったら
聞きなさい」と言われました。
しかし、私は先生の言われることを全部信じていましたし、
理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。
それで「ありません」と答えました。
先生は、私が何も分かっていないと言ったら、
もっと高い次元のみ言を語ってあげたい
と思っておられたと思います。
しかし受ける体制もなっていない幼い者と
見えたからでしょう、先生は私に
「この教会は六〇〇〇年前にはなかったし、
六〇〇〇年後にもない。
そういう集団であるということだけ
分かればいいですよ」
とひと言だけ教えてくださいました。
その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、
群れであり、集団だと教えてくれたのです。
今考えてみますと、何を言っても私にはよく分からないから、
ただ結論だけ教えてくださったのでした。
短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、
六〇〇〇年という有史以来なく、これからもない集団である
というみ言に原理の結論を示しておられるのです。
私はその本当の意味が分かりませんでした。
☆
先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。
当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で
一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。
女性は、男性の前を通るものではありませんでした。
食事も女性は他の所でしました。
そこにキリスト教が入って、そういうことは
徐々になくなっていったのです。
また、教会の建物自体もそのようになっていました。
今は男女が一緒の座敷に座りますが、
韓国のキリスト教会では、女性の席と
男の席が別々になっていました。
そして、男性の説教者は、両側全部を
見れるようになっていました。
しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような
造りになっていたのです。
☆
クリスチャンは礼拝が終わると、
民族の音楽はなかなか歌いません。
賛美歌だけを歌うのです。
しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、
民族の歌をよく歌ってくださいました。
今から三十五、六年前(一九四六年ごろ)の話です。
これは皆さんの国での三十五、六年前ではなく、韓国での話です。
ですから韓国のキリスト教では、このように
民族の歌を歌っても罪のごとく考えたのです。
革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。
先生のお心は、たとえどういう歌であっても、
歌って愛する愛の対象が神でありメシヤであるならば、
どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題
第一章 平壌開拓の日々
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題
☆
「この教会は6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ
分かればいいですよ」
まだ、「統一教会」という名前の無い時代。
当時、お父様に侍る人たちは、
本当に少なかったと思います。
しかし、何もない中で
強い心情の絆で結ばれた創設以前の時代の人たち。。。
どれだけ天にとって、お父様にとって
価値のある集団であったでしょうか。
今は、統一教会から家庭連合に名称が変更され、
その当時と比較すれば、多くの基盤ができました。
日本家庭連合は、困難な中にありますが、
しかし、後にも先にもない、
真の父母様に侍る団体として、
その価値を貴く思い、歩んでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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