2024年07月01日

「6千年前も6千年後にもない」貴重な歴史的集団?! 《金元弼先生のベストアンサー》



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わたしについてきなさい。
あなたがたを
人間をとる漁師にしてあげよう


マルコ 1章14〜20節


統一教会が現れる前、
まだ10代の金元弼(ウォンピル)先生に
再臨主・文鮮明先生が
掛けられた言葉とは──

平壌時代の証しより
今回は、『真心で指導される先生』です。


先生はみ言を語られる時、冬は
綿の入った韓国古来の衣服を着ておられました。
説教が終わる時には、その綿の服を絞れば
水が垂れてくるくらいに、汗を流してみ言を語られました。

それゆえに、食口は毎週着物を洗い、
そして作らなければなりませんでした。

また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回す
というのではなく、いちいち手縫いでしますけれども、
その後に、布は布なりに綿は綿なりに、
初めて作るごとくやり始めなければなりませんでした。

このメンバーたちは、長年神に侍り、
イエス様に侍る生活をしていた人です。

それゆえに神からいろいろなかたちで、先生に
どのように侍らなければならないかを教えてもらい、
本当に真心を尽くしたのです。

 
私たちは気軽に握手することもできますが、
当時は霊能者であっても、
先生の着物に触れることは難しいことでした。

先生は何も語られないのです。
もちろん、新しい食口が来た時には、
み言を熱心に語られますが、
個人的にはなかなか語ってくださいません。

皆さんは、私は先生と近くにいるから、
直接たくさんのみ言をいただくだろうと
考えるかもしれませんが、そうではないのです。

私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども。


先生は礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、
学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねました。

その時に、(私に)「何か聞きたいことがあったら
聞きなさい」と言われました。

しかし、私は先生の言われることを全部信じていましたし、
理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。
それで「ありません」と答えました。

先生は、私が何も分かっていないと言ったら、
もっと高い次元のみ言を語ってあげたい
と思っておられたと思います。

しかし受ける体制もなっていない幼い者と
見えたからでしょう、先生は私に

「この教会は六〇〇〇年前にはなかったし、
 六〇〇〇年後にもない。
 そういう集団であるということだけ
 分かればいいですよ」


とひと言だけ教えてくださいました。

その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、
群れであり、集団だと教えてくれたのです。

今考えてみますと、何を言っても私にはよく分からないから、
ただ結論だけ教えてくださったのでした。

短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、
六〇〇〇年という有史以来なく、これからもない集団である
というみ言に原理の結論を示しておられるのです。
私はその本当の意味が分かりませんでした。

 
先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。
当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で
一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。

女性は、男性の前を通るものではありませんでした。
食事も女性は他の所でしました。
そこにキリスト教が入って、そういうことは
徐々になくなっていったのです。

また、教会の建物自体もそのようになっていました。
今は男女が一緒の座敷に座りますが、
韓国のキリスト教会では、女性の席と
男の席が別々になっていました。

そして、男性の説教者は、両側全部を
見れるようになっていました。
しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような
造りになっていたのです。

 
クリスチャンは礼拝が終わると、
民族の音楽はなかなか歌いません。
賛美歌だけを歌うのです。

しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、
民族の歌をよく歌ってくださいました。
今から三十五、六年前(一九四六年ごろ)の話です。

これは皆さんの国での三十五、六年前ではなく、韓国での話です。
ですから韓国のキリスト教では、このように
民族の歌を歌っても罪のごとく考えたのです。
革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。

先生のお心は、たとえどういう歌であっても、
歌って愛する愛の対象が神でありメシヤであるならば、
どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題


「この教会は6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ
分かればいいですよ」

まだ、「統一教会」という名前の無い時代。
当時、お父様に侍る人たちは、
本当に少なかったと思います。

しかし、何もない中で
強い心情の絆で結ばれた創設以前の時代の人たち。。。
どれだけ天にとって、お父様にとって
価値のある集団であったでしょうか。

今は、統一教会から家庭連合に名称が変更され、
その当時と比較すれば、多くの基盤ができました。

日本家庭連合は、困難な中にありますが、
しかし、後にも先にもない、
真の父母様に侍る団体として、
その価値を貴く思い、歩んでいきたいと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 08:25 | Comment(4) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする