李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活」。
今回は、『カイン・アベル関係』です。
統一原理では、人間関係の基本となり
定義ともなる関係を「アベル」と「カイン」の
関係として、説明しています。
主従関係というのではなく、
神様の愛が真ん中にくると・・・
☆
教会の兄弟たちの間に、
カイン・アベルという情的な位置が決まらないと、
悩みがすぐに起こってきます。
これは教会だけではなく、家庭的にもそうです。
そしてまた、社会生活においてもそういう面が明らかでないと、
すぐ霊的に暗やみが来て、影になるのです。
カイン・アベルという関係、教会でいえば
教会長と兄弟たちとの間、また兄弟同士の間で、
その位置が決まればいいけれど、
それが原理的に組織できない場合があるのです。
☆
そういう場合は、聖書でいっているとおり、
「他人をみな自分より以上の人と、
謙遜に思いなさい」というのです。
教会長という立場は、天使長の使命をするのです。
というのは、天使長はアダム・エバの言葉を盗んでいったから、
復帰は、天使長がそれらのものをもってきて、
神の息子、娘たちに渡すのです。
だから、皆様に言葉を伝えるとか、
教えるとかという立場は、天使長の立場なのです。
これが復帰です。
今回、私たちがここに来た立場も、それと同じです。
私たちが皆さんに何か自分の体験を証すという
この立場の目的は、皆さんがもっと
この時代の責任をもっていかなくてはならないから、
補助しに来たのです。
だから、私たちが主体者ではなく、
皆さんが主体になっているのです。
教会長も、その立場なのです。
その地方の人のために行ったのだから、
その立場は仲保者であり、結局は、召使だというのです。
だから、自分の主張を、自分以上に、
神に孝行する方面に補助をしなくてはならない。
それが教会長の責任なのです。
天使長は、アダム・エバを神の子女として尊敬し、
侍らなくてはならない立場です。
それだから、韓国でも、教会長が兄弟に
命令したり、怒ったり、自分勝手に
兄弟を指導する時がしばしばあって、
しかられるのですが、
それでは自分も成長できないし、
皆さんの行く道を邪魔することになるのです。
☆
旧約時代には、神が僕の立場で人間に侍ってきたのです。
イエス様も地上にあっては、
ひとり子として暮らしたのではないのです。
精神的秘密では息子の位置にあったけれど、
実際生活においてはそうではなく、
僕としての使命を果たしたのです。
僕の立場として、そうして言葉を伝える時には、
洗礼ヨハネの立場で証したのです。
洗礼ヨハネは天使長の立場だから、
イエス様は三年間、内容はメシヤとして来たけれど、
実際は天使長の立場で尽くしたのです。
そして人々を、天の息子、娘という
子女の立場まで連れていって、
初めてメシヤの位置に立つのです。
教会長の場合もそうです。
教会長も、天使長の使命を三年なら三年、
七年なら七年やって、その間
自分以上に神に対して忠誠なる子女を十二名得てから、
「自分が子女という立場を認められる立場になるか否か」
という問題になるのです。
☆
結論的に言うなら、精神的には
神と縦的な因縁をもつ父の立場で、
実際の生活では僕として
天使長の使命を果たさなければ、
本当の自分の位置に返ることはできないのです。
子女の立場から天使長と落ちたのが堕落ですから、
天使長の立場で侍ることを通して
子女の立場に行かなくてはならないのが復帰の道なのです。
言ってみれば、アベル・カインという立場は、
いつも決定していないのです。
☆
例えば、伝道に行く時、行かなくてはならない
自分の体、それは自分の霊が体を通して
どこかへ行く時で、その肉体はアベルになるのです。
だから、いつも心だけがアベルということにはならないのです。
仕事によって、使命によってその関係が決まるのです。
☆
教会でいえば、経済的に責任をもった人がアベルになる時もあるし、
伝道の時には説教する人がアベルになる時もあるし、
要は、その仕事においてだれが中心になるかという問題になるのです。
家庭に帰ってきても、物事の責任をもった人がアベルになるのです。
ですから、その時間はそのアベルに対して
謙遜に喜びながら侍って、
その人を慰めなくてはいけないのであって、
食事の時でも、いつも自分が上であるという立場には立てないのです。
その時々の仕事によって、中心となる兄弟が
アベルの立場で苦労するのです。
そこに平和があるのであって、「一人だけがアベル」
というように決まった考えをもったなら、
その教会は苦しみ、家庭にも苦しみが来るのです。
☆
だから、そういう考えで解決したなら、
各々教会生活においての自分の位置が分かると思います。
そうすれば、おのずと人の位置を分かってあげなくてはいけません。
そこで自分は自分と、自分だけの道理を通せば、
それは固執になってしまって
従うことにならないし、忠誠にならないのです。
難しい問題は、自分の信仰の秘密を
相談しなくてはならないということです。
これは中心問題なのです。
☆
中心的なことですが、自分の心からどうしてもわき上がらない。
自分の家庭問題とか、人生問題とか、自分の信仰を、
教会長に会う前には率直に言おうと思うのだけれど、
いざ会って話す段になると、本心からわいてこない。
しようがないから話さずに帰ってくるというのは、
それは自分の立場を失ったことになるのです。
それで困って、自分一人で祈る。
しかし天の立場では、その祈りを引き受けることができない。
地上で、自分の兄弟を通してこずに、
自分だけ知っていることを天に話しても、
天は引き受けないのです。
だから、その人は困るのです。
☆
こういう時、教会長がその人の心の扉を
開けてあげなければいけないのです。
そういう秘密を打ち明けたくなる人と、
そうでない人がいるのですが、私たちの先生の場合、
だれでも、会ったら自分が一生涯信仰してきた秘密を、
全部はき出すのです。仏教の人でも、キリスト教の人でも、
儒教の人でも、どんな人でも先生の前に来れば、
もう何でも言い出してしまう。
先生には、そういう人の心の秘密を出させる力があるのです。
カイン・アベル関係
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
少し長いみ言でしたが、
「アベルの正道」とはどうあるべきか、
そのことを強調されていたと思います。
「父母の心情、僕の体」である、という姿勢、
その重要性を改めて感じます。
今は、ティーチングではなく、
コーチングであると言います。
人を指導、教育するのではなく、
本心を引き出していく、
本当の「牧会」の姿を
天が願われているのだと思います。
アベルの立場として、
神氏族メシヤとして、家庭人としても
人を愛していく立場の私たちに参考になる内容でした。
何よりも真の父母様ご自身が、
食口たちとの授受の中で、
心の扉を開かれるように、
対していかれました。
父母の心情に立つ生活を
心がけていきたいと思うのです。
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