2024年07月17日

どうしたら切実に祈れるか 私の願いがみ意なら、必ず叶う 《答えを得られる祈祷5》



240717-2024.0707.jpg
ジャルジン天心苑☆


神様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従で
被造世界を創造された

絶対信仰とは、
見えないものも見えるかのように信じ
成されていない事も
既に成されたかのように信じること



「答えを受けられる祈祷をしよう」最終回。
チョン・ユサン教育局長ご自身の
証しを交えてのお話しです。


そして切なる気持ちと恋しさを持って
祈祷しなさいと言われました。

人は霊物なのであなたがある人をおいて祈祷し、
一度試してみなさいと言うのです。

ある一人の人を深く愛して、
その人を天の前に立てるために苦しい心情を持って
涙を流しなさいというのです。

ある食口が相談をしに来たのですが、
局長、どうしたら切実になれますか?
頭では分かるのですが、切実さが足りません。
心に響かないのです。

そんな質問をする2世が何人もいました。
皆さんはどうですか?

一つ教えましょうか。
自ら苦労の道を探していくのです。

私に問題が生じれば切実になります。
さあ!私の息子、娘が今日死ぬと考えてみて下さい。
切実になりますね。
いつものように祈祷しますか?


私の妻が5番目の子供を産むとき、
赤ちゃんは出てきたのに、妻が出てこないのです。
手術室から、2時間経っても出てきません。

突然看護師が緊急にサインするものを持ってきて、
サインをしろと言うのです。

出血が止まらず、処置はしているけれど、
このままだと命に危険がある、だからサインしてください。
妻が死にそうだと言うので、
これがどれほど 正気でいられるでしょうか?

切実になりますか、その時間、どうでしょうか?
懇切に祈るのです。

医療天使も要請して、そして戦々恐々となって祈り、
妻は霊人体が半分こうして出てきたと言いました。

霊人体がこうして出て来て、
手術室で医者と看護師がせわしなく行ったり来たりする姿を
見ていたと言うのです。

しかし九死に一生を得ました。

ですから我々は問題が生じると切実になります。
自分の中に苦痛があれば切実になるしかありません。

自分が今切実でないという事は、
何の問題もなく、痛みもなく、困難がないということです。
ですから自ら切実になりたいと思うのなら、
苦労の立場に入っていけば良いのです。


そして霊性40日修練会を受けて、
アフリカに宣教に行きます、そういう話が出てくるのです。
私はアジアに宣教に行きます、 そういう証が出てきます。

自ら苦労を選ぶ 御父母様の深い事情と涙の心情を学びたい、
だから苦労の立場を探していくのです。
その場に留まっていては感じられないのです。

しかし、誰かに送られて行くよりも、
自ら苦労の立場を探していくのが偉大なのです。

今日我々が切実になりたいのに、なれないのならば
私の周りの苦労している人に目を向けて下さい。

40日修練会に来たのだから、
どうせなら、掃除の時間にトイレ掃除をしよう。
より難しい奉仕の場を探していこう。
切実になるために、苦労の場を探していくのです。


ですから御父母様は、切実さと恋しさを持って
祈祷しろと言われるのです。
そして最後に 成就されたと信じて
祈祷しなさいと言われました。

ヘブライ人への手紙11章1節に
「信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものだ」
というこの聖書の内容を例に挙げて、
真の御父母様は、

「絶対信仰とは何か知っているか?
神様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従で 被造世界を創造された。

その絶対信仰がどういうものか知っているか?
それは見えないものも見えるかのように信じる事だ。
成されていない事も既に成されたかのように信じる事だ」


天の父母様がそうして絶対信仰で創造されたというのです

まだ見えていませんが、見えているかのように
信じて創造されたのです。

まだ成されていませんが、既に成されたかのように
信じて創造されたというのです。
絶対信仰です。

ですから今日我々も、まだ私が祈祷した内容が
成し遂げられていなくても、
成就されたと信じて祈りなさいというのです。
絶対信仰で。

そうすれば必ず天は答えられるでしょう。
アジュ!


人間が知りえない霊界の霊人達を動員して、
証させる基準に私自身が立っているのかが問題なのです。

霊界の霊人達がこの地に来れない理由は、
この地が嘆きの囲いの中にあるからです。

復帰の道は喜びで歩まなければなりません。
死の道も喜んで歩んでこそ天が取られるのであって、
憂鬱で嘆く立場で歩めばサタンがついてきます。

我々が憂鬱で嘆いていれば誰が来るのですか?
そこには天の父母様が来られるのではなく、
サタンが来るのです。

ですから我々は、私は430代まで先祖解怨、祝福を
全て行ったのに、なぜ私を助けてくれないのか
そう思うかもしれませんが、
霊界は逆に考えているのです。

私達がお前に共助できるように、
嘆きの囲いを取り除け、そう言うのです、

霊界では 今日我々は、全ての今持っている
嘆きの囲いを取り除いて、天が役事できるように
喜びと感謝で、そして愛で歩むならば、
生きて役事される天の父母様、
生きて役事される真の御父母様、
そして絶対善の霊界圏が、さらに役事することを体験し、
体恤する食口の皆さんになられることを願います。

再編集 文責:ten1ko2


呼名祈祷は誰から始めたのでしょうか。
そうです、真のお父様なのです。

草創期の証しです。

食口は、「なぜかわからないけれど、
教会に磁石のように引っ張られて来てしまった」
と何の用事もないのに、
教会に足を運んだというのです。

それは、お父様が食口たちのために、
懇切に祈りをささげたからなのです。

お父様から出発した呼名祈祷。
チョンユサン局長の証しのように、
懇切な思い、切実な心情をもって、
祈りを捧げていきたいと思うのです。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 10:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 天心苑 祈祷 清平 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする