神様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従で
被造世界を創造された
絶対信仰とは、
見えないものも見えるかのように信じ
成されていない事も
既に成されたかのように信じること
☆
被造世界を創造された
絶対信仰とは、
見えないものも見えるかのように信じ
成されていない事も
既に成されたかのように信じること
☆
「答えを受けられる祈祷をしよう」最終回。
チョン・ユサン教育局長ご自身の
証しを交えてのお話しです。
☆
そして切なる気持ちと恋しさを持って
祈祷しなさいと言われました。
人は霊物なのであなたがある人をおいて祈祷し、
一度試してみなさいと言うのです。
ある一人の人を深く愛して、
その人を天の前に立てるために苦しい心情を持って
涙を流しなさいというのです。
ある食口が相談をしに来たのですが、
局長、どうしたら切実になれますか?
頭では分かるのですが、切実さが足りません。
心に響かないのです。
そんな質問をする2世が何人もいました。
皆さんはどうですか?
一つ教えましょうか。
自ら苦労の道を探していくのです。
私に問題が生じれば切実になります。
さあ!私の息子、娘が今日死ぬと考えてみて下さい。
切実になりますね。
いつものように祈祷しますか?
☆
私の妻が5番目の子供を産むとき、
赤ちゃんは出てきたのに、妻が出てこないのです。
手術室から、2時間経っても出てきません。
突然看護師が緊急にサインするものを持ってきて、
サインをしろと言うのです。
出血が止まらず、処置はしているけれど、
このままだと命に危険がある、だからサインしてください。
妻が死にそうだと言うので、
これがどれほど 正気でいられるでしょうか?
切実になりますか、その時間、どうでしょうか?
懇切に祈るのです。
医療天使も要請して、そして戦々恐々となって祈り、
妻は霊人体が半分こうして出てきたと言いました。
霊人体がこうして出て来て、
手術室で医者と看護師がせわしなく行ったり来たりする姿を
見ていたと言うのです。
しかし九死に一生を得ました。
ですから我々は問題が生じると切実になります。
自分の中に苦痛があれば切実になるしかありません。
自分が今切実でないという事は、
何の問題もなく、痛みもなく、困難がないということです。
ですから自ら切実になりたいと思うのなら、
苦労の立場に入っていけば良いのです。
☆
そして霊性40日修練会を受けて、
アフリカに宣教に行きます、そういう話が出てくるのです。
私はアジアに宣教に行きます、 そういう証が出てきます。
自ら苦労を選ぶ 御父母様の深い事情と涙の心情を学びたい、
だから苦労の立場を探していくのです。
その場に留まっていては感じられないのです。
しかし、誰かに送られて行くよりも、
自ら苦労の立場を探していくのが偉大なのです。
今日我々が切実になりたいのに、なれないのならば
私の周りの苦労している人に目を向けて下さい。
40日修練会に来たのだから、
どうせなら、掃除の時間にトイレ掃除をしよう。
より難しい奉仕の場を探していこう。
切実になるために、苦労の場を探していくのです。
☆
ですから御父母様は、切実さと恋しさを持って
祈祷しろと言われるのです。
そして最後に 成就されたと信じて
祈祷しなさいと言われました。
ヘブライ人への手紙11章1節に
「信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものだ」
というこの聖書の内容を例に挙げて、
真の御父母様は、
「絶対信仰とは何か知っているか?
神様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従で 被造世界を創造された。
その絶対信仰がどういうものか知っているか?
それは見えないものも見えるかのように信じる事だ。
成されていない事も既に成されたかのように信じる事だ」
天の父母様がそうして絶対信仰で創造されたというのです
まだ見えていませんが、見えているかのように
信じて創造されたのです。
まだ成されていませんが、既に成されたかのように
信じて創造されたというのです。
絶対信仰です。
ですから今日我々も、まだ私が祈祷した内容が
成し遂げられていなくても、
成就されたと信じて祈りなさいというのです。
絶対信仰で。
そうすれば必ず天は答えられるでしょう。
アジュ!
☆
人間が知りえない霊界の霊人達を動員して、
証させる基準に私自身が立っているのかが問題なのです。
霊界の霊人達がこの地に来れない理由は、
この地が嘆きの囲いの中にあるからです。
復帰の道は喜びで歩まなければなりません。
死の道も喜んで歩んでこそ天が取られるのであって、
憂鬱で嘆く立場で歩めばサタンがついてきます。
我々が憂鬱で嘆いていれば誰が来るのですか?
そこには天の父母様が来られるのではなく、
サタンが来るのです。
ですから我々は、私は430代まで先祖解怨、祝福を
全て行ったのに、なぜ私を助けてくれないのか
そう思うかもしれませんが、
霊界は逆に考えているのです。
私達がお前に共助できるように、
嘆きの囲いを取り除け、そう言うのです、
霊界では 今日我々は、全ての今持っている
嘆きの囲いを取り除いて、天が役事できるように
喜びと感謝で、そして愛で歩むならば、
生きて役事される天の父母様、
生きて役事される真の御父母様、
そして絶対善の霊界圏が、さらに役事することを体験し、
体恤する食口の皆さんになられることを願います。
☆
再編集 文責:ten1ko2
呼名祈祷は誰から始めたのでしょうか。
そうです、真のお父様なのです。
草創期の証しです。
食口は、「なぜかわからないけれど、
教会に磁石のように引っ張られて来てしまった」
と何の用事もないのに、
教会に足を運んだというのです。
それは、お父様が食口たちのために、
懇切に祈りをささげたからなのです。
お父様から出発した呼名祈祷。
チョンユサン局長の証しのように、
懇切な思い、切実な心情をもって、
祈りを捧げていきたいと思うのです。
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