2024年07月19日

口で言っても、ダメ、その人のために涙を流し祈ると・・・ 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生の「信仰と生活」のみ言、
今回は、「人間に悩む」です。


世の中に、自分の生活条件で悩む人間は多いけれど、
人間に悩む人は少ないのです。

家庭のために泣く人、民族のために泣く人、
人のために苦労したという人、それは顔を見れば分かりますが、
そういう人間のために悩む人にはなかなか会えないのです。

だからそういう人に会ったなら、その人は何にも替えられない、
重要な、必要な人間になるのです。

そういう立場にある教会長は、自分が責任をもって
付き合う人のために、涙を流すのでなければ、
その地域に対して祈る資格がないのです。

情的に見れば、自分の目の前に現れた人と情的に結ばずして、
その地方のために祈ることなどできないというのです。


私たちは、具体的に、今付き合っている人のために心配し、
知っている人に情を注いであげなくてはならないのです。
知らない人に情をどうしてかけられますか、
できはしないのです。
相対基準がないのに、自分の情が動くわけがないのです。

伝道に行くとか、付き合っている人の家で
自分が何か指摘できる部分を発見したなら、
その面を祈ってあげるのです。

言いたいことがあれば、まず、口で言わないで、
情的に先に話すのです。
結局、なるべく口で言わないのです。


献身している人は、だれのために献身しているのでしょうか。

炊事場にいる人は、御飯を炊く時、
この御飯はだれが食べるんだと、その人のために
祈りながら御飯を作らなくてはいけないのです。

御飯を作りながら、民族のためとか、
天のためとかそういう漠然とした祈りよりも、
「この御飯をだれが食べるのだ」と、二人なら二人、
四人なら四人のその人のために情を注いであげれば、
御飯を食べる時、とてもうれしいのです。

情を込めて願ったあとに会うのと、
そうでなく会った時とは、全然違うのです。


教会長であれば、二十人、三十人の時は一番いいのです。

その時には、その兄弟がどういう立場で教会に通っている
という内容を知っているから、それを一々神様に報告しながら、
その人のために、その家庭のために、あるいは
その人の親戚のために情を注いであげるのです。

そうしたら、その人も、なぜだか分からずに
教会に行きたくてたまらなくなってしまうのです。

そこでその人が教会に行ってみると、自分も知らずに、
自分のために祈ってくれた人に、自分のことを全部話したくなるのです。
そうした時に、その人を供え物として、その地域のために祈るのです。


例えば、私が福岡へ行って、中村さんという人に
一番最初に会ったとします。
そして、その中村さんのために祈り、
その事情のために涙を流したとしたなら、
その人がその地の一番の供え物です。

天から見ると、その地の全部の人のために
祈ったという条件が立つのです。
そういうふうに基準を立てて祈るのです。

何もなく、「私はこの地に伝道に来ました。
どうかこの地の人を何とかしてください」と言わなくても、
神は、「してください」と言われなくても、やりたいのです。

だから、だれだれのその事情を自分の情と結んで、
具体的にその報告を神にするのです。


教会長たちは、兄弟たちが来て心の秘密を何か言ったなら、
それを聞いて、まず祈るのです。
その場所で、その人と一緒に。
とてもいいのです。
その時を、失ってはいけないのです。

その人が教会長に、自分の心の内容を全部話したあとは、
とても軽く、気分が良くなるのです。
教会長は、それを聞いてから、すぐ天に報告するのです。

するとその本人に力を与えてくださるとか、
再度決心させてくださるのです。
そういうふうに、天が直接その人に干渉するのです。

人間に悩む
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
再編集 文責:ten1ko2


氏族メシヤとして、責任をもち
その人たちを愛するうえでも
とても参考になるお話でした。

漠然とした祈りよりも、
具体的な祈りが必要である、
目の前の人に対して、
出会った人に対して、祈っていく。

ヨハネ先生は、
「涙を流して祈る」
と言われています。

ともにみ旨を歩む兄弟姉妹に対しても、
本当の家族のように、
祈りあう教会になっていくとするならば、
天が関心を持たざるを得ないのだと思います。

今は、徹夜精誠で、
毎日、祈りを捧げる機会が与えられています。

遠い人ではなく、近い人、
目の前の人に関心を持ち、
涙を流せる者になっていきたいです。

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posted by ten1ko2 at 10:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする