史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より
『自己否定の意義と秘訣 』を紹介します。
☆
天使長が神様から愛されようとして犯した自己中心が、
エバに伝えられ、アダムに移されて、
これが結局は全ての子女たちに遺伝され、
堕落の末裔である人間は皆、
自己中心になってしまいました。
人類が神様のもとに帰るためには、結論的に言うと、
自己中心の反対の経路を行かなければなりません。
すなわち、徹底的に
「自己否定」の位置に進まなければなりません。
自己を中心とする人から、サタンは決して離れないそうです。
ですから、完全に自己を否定し、
神様を中心とする生活をしなければなりません。
☆
自己を否定する方法には色々ありますが、
人から迫害をたくさん受けることが、
自己否定に最も役に立ちます。
厳しい迫害を耐えてそれに勝てば、
自然と自己否定になるそうです。
☆
また、自分がやりたくないことをしながら
お父様について行くことも、
自己否定の重要な方法であり、
最高の精誠を尽くすことも、
自己を否定するもう一つの方法であるそうです。
お父様が私たちにできることはさせないで、
できないことを何度もさせるのは、
私たちに自己否定をさせるためです。
私たちはどうせなら、短期間に多くの苦労をすることで、
自己中心から脱しなければなりません。
☆
お父様がアメリカで、
「天使長の自己を中心とした利己主義が人間に移ったが、
天使長から受けた邪心と
自分だけを考える利己主義を無くして、
先に相手のことを考える利他主義へ変えるのに、
神様の復帰摂理が6千年もかかった」
と語られました。
☆
前にも述べたように、自己中心と
自己否定は、意味が正反対です。
自己中心は何かと言うと、
「自分がやりたいことはやれる!
自分がやりたいことはやってもいい!」
と言う態度のことを言います。
このように、天使長は自分がやりたいことをやりました。
自己否定は、自己中心とは反対に、
「自分がやりたくないことだが、やる。
やれないことだが、必ずやってみせる!」
と言う態度です。
ですが、 自己否定は容易ではありません。
☆
では、誰が一番多くの自己否定の訓練を受けたかと言うと、
お父様自身だと語られました。
お父様が神様からどんなに徹底的に自己否定の訓練を受けたのか、
今までご自身のやりたいこと、できることを
神様がさせたことは無かったそうです。
ただ、 常にやりたくないこと、
できないことをやらなければならない
自己否定の訓練を受けられたそうです。
☆
お父様が、例を挙げられました。
「私が自己否定の試練に遭った中で一番難しかったことは、
私の最も愛する8人の人が私の側から離れたことだ」
と語られました。
お父様が大変愛していた妹が、幼くして亡くなったそうです。
また、ある友達に出会いましたが、
「この友達には、本当に自分の心を打ち明けて話したい」
と言う思いを持たれたそうです。
しかし、その友達は病気で急に亡くなってしまったそうです
このようにお父様が愛された人、 8人が行方不明になったり、
関釜連絡船に乗って行く途中、水に溺れて亡くなりました。
☆
お父様は、「ああ、私はなぜこのような試練を
受けなければならないのか?
なぜ、神様はこんなにもひどく訓練されるのか?」
と思われたそうです。
後からよく考えてみると、
「そうだ! アダムは地上で完成して、
神様と愛の一体を成すことができなかった。
しかし、神様と私が愛で完全に一つになるまで、
神様と私の間に髪の毛一本も挟んではいけないから、
そうされたのか」
と言う悟りを得られたそうです。
このような猛訓練を受けて考えられたのが
何であるかと言うと、
「よし、神様が私をこんなにも徹底して
自己否定させることでサタンを分立させ、
この過程を経てから私を引っ張って行かれるように、
統一教会の指導者たちも徹底して自己否定させながら、
私が神様に引っ張っていかなければならない!」
とのことでした。
☆
皆さん、統一教会に入教する時、
喜んで入って来ましたよね?
原理が素晴らしく、神様のみ旨も素晴らしく、
希望を抱いて入教しましたよね?
ところで、入教したみたら、どうですか?
教会ではやりたくないこと、
できないことをしきりにやらせますよね?
なぜでしょうか?
それは、サタンが好きなことはどこまでも
サタンと一緒にいなければならないし、
私たちはそれとは反対に、やりたくないこと、
できないことをして自己否定をしなければならないからです。
すべて自己否定の訓練、神様へと帰るための訓練です。
史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章 創造原理
第2章 創造原理
☆
一部割愛しています
再編集 文責:ten1ko2
自己否定の道・・・
真の父母様も、神様が信頼され、
愛される立場であるがゆえに、
神様ご自身が歩まれた道と
同じような道を行かれました。
神様と出会い、神様の愛を知ることで
喜びと希望の人生を送ることを行けると思ったのに、
誰かが行かなけばならない道ではありますが、
為に生きる犠牲と奉仕の道であり、
「自己否定」、と言わざるを得ない道を
私たちは進んできました。
親や家族が理解し、応援してくれるどころか、
反対されることの方が多いでしょう。
大切な人たちに理解されない、ということは、
本当に苦しいことでありますが、
しかし、神様が見つめてくださっているのです。
今、日本の教会全体が否定の道を歩んでいますが、
これが真の父母様が行かれた道であり、
必ず未来のために、世界のために、
神様のために、行く道であるということを、
自負しつつ歩んでいきたいと思うのです。
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