2024年08月19日

明日、聖和12周年 真の母の書信、再公開! 最高の贈り物とは*吐露された真実



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真のお父様(文鮮明先生)の聖和12周年を迎えました。

お父様への思いをしたためた
お母様(韓鶴子総裁)の書信を、
改めて精読したいと思います。


愛するお父様! 慕わしいお父様! いつも共にいらっしゃるお父様! お父様が天上に入城され、もう7年の歳月が流れました。この天宙に、あなたが流された汗と涙のしみ込んでいない所はありません。きょうはひときわ、お父様が慕わしいです。

聖和される1年前 、お父様は90歳を超えたお年であるにもかかわらず、8回以上もアメリカに行かれましたね。ご自分の健康は全く顧みられず、ただ世界と人類のために歩まれました。「オンマ、この仕事を終わらせて時間ができたら、少し休もうね」と言われた言葉は、ついに地上では、かなうことがありませんでした。昼夜を分かたず、休まずに歩まれたお父様。私もまた、そのようなお父様に侍って生活しながら、生涯、(1日)3時間以上眠ったことがありませんでした。

2012年、暑夏。最後、病院に入院する時も、お父様は「まだすべきことが多いのに、病院で時間ばかり過ごしてどうするんだ!」と、入院を勧めた人たちをむしろ叱られましたね。まだすべきことが、たくさん残っていました。そして急いで天正宮博物館に戻り、「きょうはオンマと二人で向かい合って食事をしたいね」とおっしゃったでしょう。その時、周りの食口たちはとても不思議に思ったはずです。いつも私と一緒に座り、食事をされていましたから。

その日、お昼の食膳を前にされたお父様は、さじを持とうともせずに、私の顔だけをじっと見つめていらっしゃいました。お父様の心の中に、私の顔を刻みつけていらっしゃったのでしょう。私はほほ笑みながら、お父様の手にさじを取ってさしあげ、おかずを召し上がっていただきました。そして、そのお姿をじっと見つめました。私も、お父様のお顔を胸に刻みつけたかったのです。

ひときわ強い日差しが照りつける中 、お父様は人の背丈以上のとても大きい酸素ボンベと共に、清平湖と清心中高等学校をはじめ、清平団地をすべて見て回られました。そして天正宮博物館に戻り、「天よ、祝福してください。終わりを結べるように許諾してくださることをお願い申し上げます」という祈祷をされました。その後、録音機を持ってくるようにおっしゃり 、「復帰摂理の使命をすべて成し遂げた」という最後の祈祷を、私と一緒に捧げられました。

それから、「オンマ、ありがとう! オンマ、頼んだよ!」。お父様は息苦しそうにされながらも、「本当にすまない。本当にありがとう」と、続けて話されました。私はお父様の手をさらに固く握りしめ、慰労の言葉と眼差しで安心させてさしあげました。「何も心配しないでください」。お父様はそのようにして、天の父母様の懐に抱かれました。天聖山の本郷苑で眠りに就かれました。

お父様の聖和後、私は明け方になれば、本郷苑に上がりました。秋には激しい風が吹き荒れ、冬には大ぶりの雪が降り積もります。休むべき理由と言い訳はいくらでもありましたが、1日も欠かさず、夜明けとともに本郷苑に上がりました。聖和後40日間、朝夕に、霊前に食事を捧げ、お父様が恋しくなれば、本郷苑まで何度も往復しながら、お父様とたくさんの会話を交わしましたね。そうして、お父様のお考えが私の考えになり、私の考えがお父様のお考えになりました。

暖かな日差しの日、風が吹く日、突然雷が鳴りどしゃぶりの雨が降る日、ぼたん雪が空を真っ白に覆う日……それでも私は、お父様の聖和後、1095日間、一度も侍墓 を欠かしませんでした。また、1970年代にお父様が歩まれたアメリカのラスベガスからニューヨークまで5600キロを横断し、お父様と一緒に登ったアルプス山脈の12の峰に登りました。そうして、お父様と約束した「草創期の教会に返り、神霊と真理で教会を復興させる」という決意を固めました。

聖和3周年に私は、これからお父様が、今まで孤独であった天の父母様(神様)を慰労してさしあげ、頌栄の対象として自由の身となられることを切に願いました。そしてお父様のために、天の父母様のために、2020年までに7カ国の国家の復帰を勝利することを決意しました。

東から西、南から北に、私は世界を抱くため、休む間もなく巡回しました。口の中がただれ、足がむくんで立っていることさえできない困難がありましたが、私は休むことができませんでした。お父様との約束、いくらみ旨が大変でも、私の代で終わらせるという約束を守るためでした。「必ずや私が成してさしあげる。そのために、私は変わることなく歩む」と、数え切れないほど自らに言い聞かせながら、生きてきました。心にしみるほどあなたが恋しいときは、月を友として言葉を交わし、お父様のご聖体を前にして誓った約束、「私の生涯を終える日までに、天一国をこの地に定着させる」という決意を繰り返し固めながら、生きてきました。

そのように生きてきたら、お父様、もう聖和7周年になりました。

お父様はご存じですよね。お父様の聖和後は、本当に言葉では言いようのない、「私だけが残りました」という立場でした。荒漠な砂漠に砂嵐が吹き荒れ、目を開けることもできない環境で、小さな針一つを探さなければならない心情でした。しかしお父様、私は探し出しました。探し出さなければならなかったのです。

「2020年までに7カ国を必ず復帰する」という私の決意、「すべての祝福家庭を神氏族メシヤとして天寶苑 に入籍させる」という私の決意は、お父様のための、私の贈り物です。この贈り物が、そして天の父母様に対するあなたの孝情の生涯が、全世界に希望の光となることをお祈りします。

お父様、愛しています!

お父様、愛しています!


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文鮮明天地人真の父母 天宙聖和7周年記念式
地上の真のお母様が天上の真のお父様に捧げる書信
天一国7年天暦7月17日(2019年陽暦8月17日)
清心平和ワールドセンター




旧暦(天暦)では、7月17日に
お父様が聖和されたのでした。

聖和12周年、ということですから、
日本でいうと、13回忌にあたります。

お父様は、お母様といつもともにあり、
お母様が「私の代で終わらせる」と決意されている、
そのお姿に必死なる協助をされていることを感じます。

私も、お父様の歩みがあって、
神様を生涯愛し、神様のために生き抜いてこられたからこそ、
ここまでみ旨を歩むことが出来ていると確信いたします。

お父様といつか霊界でお会いする時に、
負債なき思い、歩みを成し
感謝の心情を告白できる者になっていきたいです。。。

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2024年08月18日

私は神のもの、だから神に祈る! 神を否定したら本当の私の姿を取り戻せない 《蝶野部長》



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蝶野知コ・家庭教育部長のみ言。
「祈りの前提」の前編よりご紹介します。

祈りとは私の主体者を確定させること

祈祷は体恤(たいじゅつ)信仰においてなくてはならないものですが、
祈祷が得意(簡単)だという人は少ないようです。

それは、人間始祖の堕落によって
人類が神様との血縁関係、心情関係を
長い歴史において失ってきたためです。

神様は常に、私に語りかけてくださっていますから、
祈祷の難しさはあくまでも人間の側で克服すべき課題です。

神様と一問一答していた本来の人間の姿を取り戻して、
親子の関係を回復させていくものなので、
祈りに難しさを感じたとしても、
取り組んでいくべき価値があるものです。

私は私から始まった存在ではなく、神様から始まった存在です。
私の創造の愛の主人を無視することはできません。
ですから、祈祷とは私の主体者を確定する行為だとも言えます。

神様を私の絶対的な主体として確定させてこそ、
私が神様の絶対的な対象として存在できる道が開きます。

「私は神様のものなので神様に祈るのだ」
という確信を持つことです。

祈祷は自分の努力を放棄し、神様に頼ることではありません。
祈りは神様と対話することです。

“人間”は“神様の子女”ですから、神様を否定して、
私が本来の人間の姿を取り戻すことはできません。

祈りの必要性は、いくら強調してもしきれないほどに重要なものです。

私は誰による私なのかを
絶えず確かめながら生活するためにも、
祈りは欠かせないでしょう。

祈祷は縦的な絆を結ぶもの

愛する相対者も愛する子女も、また私自身も、
神様が与えてくださったものです。
ですから、私がまず愛すべき存在は神様です。

神様を絶対的に愛するならば、私を絶対的に愛する
神様と相対基準が合うようになります。

そうなれば祈りだけでなく、生活の中でも
神様を感じる体験が増えてくるでしょう。

「祈りは、天との主体的な関係を結ぶためのものであり、
精誠は、横的な関係を拡大するためのものです」

(天一国経典『天聖経』2・5・4・5)


精誠によって築かれる横的な絆は、
祈祷をもって結ばれた縦的な基準から拡大されていくものです。
祈祷と精誠が信仰生活の基本です。

もし、人間関係で横的に衝突するようなことがあったとしたら、
まず神様に祈る心を持ってみましょう。

縦的な関係が弱まると、自分の責任分担があいまいになるからです。

私の体験から、天が教えようとしている、
私の成すべきことを探すために祈るのが良いのです。

どのようなことでも、
神様との縦的な関係を強めていく機会となるので、
祈りは横的な精誠のためにも欠かせないものになります。

蝶野知コ・家庭教育部長
『祝福家庭』109号(2023年夏季号)
家庭理想の実現
祈りの前提(前)
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10103
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


私たちの祈祷の見本、祈祷の先生は、真の父母様に違いありません。

今日の礼拝では「孝心」を歌いました。
https://www.youtube.com/watch?v=ElpcRY-3DaM

「神様を慰労する孝子とならせてください」
神様をつかんで離さない、懇切な思いが
祈りとなって言葉に表されています。

困難な時、自分の思いの苦しさを、
自分だけにとどめるのではなく、
こんな私を見つめる神様はどうなのか、
そのような思いが
神様と私の絆を強いものにするのでしょう。

まだまだ足りない者、小さく幼い者なので
もっと神様を求める必要があると思うのです。


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2024年08月17日

極秘で進められた電撃北朝鮮訪問!! その裏側では… 《補佐官が見た真の母》4



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鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長の証し。
続編です。


金日成主席に会った当時の逸話

1991年11月、北朝鮮の金日成主席に会いに、北京を経由して
北朝鮮に入っていく前に、ご父母様はハワイでその準備をされました。

その当時、私は何も知らないままハワイに行くことになりました。
ただお母様から「今、ハワイに行く。
私たちはハワイに行くのだが、冬服が必要だ」
という程度のみ言だけ聞きました。

当時の私は、ハワイは夏なのにどうして冬服が必要なのか考えながらも、
夢にもその行き先がどこかを考えることができませんでした。

ご父母様にお供して、朴普煕総裁夫婦、金孝律、尹基炳、
私たち夫婦が同行しました。

ご父母様はハワイにおられながら、そこの島を巡り
精誠を尽くしていらっしゃいました。

ハワイでの最後の日にお母様が北朝鮮に行かれると伝えてくださり、
これは極秘だとおっしゃったのです。

お母様から北朝鮮に行くという話を聞いた当時は全身が身震いしました。
あまりにも驚いて何も言うことができませんでした。

ご父母様の傍らにいながらも、それほどまでに途方もない仕事を
されていることを、満足に知ることもできずにいたのです。


まず北京に到着したのですが、アメリカ人は北朝鮮に入ることができず、
韓国国籍をもつ者だけが入ることができるとのことでした。

そのため夫は北京に残ることになり、中国で黄(火+華)周氏が合流して
北朝鮮に入ることになりました。

北朝鮮で準備した金日成主席の特別専用機が
ご父母様をお迎えするために北京に飛んできました。

これは夢なのか、現実なのか? 

美人の北朝鮮の女性が案内員として来て、親切に案内してくれました。

感動と感激の涙が流れます。
恐ろしさの涙も流れます。
ご父母様の身辺の安全がいちばん恐ろしい問題に思われました。

飛行機が滑走路を離陸するとき、全身に鳥肌が立ち、
期待と心配など万感が交差しました。


そういう渦中でも、お母様は余裕をもたれて
笑って喜んでいらっしゃいました。

飛行機が清川江を過ぎるとお母様は昔の歴史を振り返られました。

「これが清川江なのね。
乙支文徳将軍(六世紀末高句麗の武将)が薩水の大戦をした所よ」
とおっしゃいました。
この川でどのようにして賢く戦って勝ったのだろうかと話されたりもしました。

続いて私たち一行は、話に聞いていた平壌に到着しました。
お父様のお姉様と親戚たちが迎えに出てきて待っていました。

空港に来たお姉様を見られて、
お父様はお母様を「家内だ」と紹介されました。
お父様の兄嫁も出てこられました。



共産圏復帰のための特別精誠

1991年12月 3日のことでした。

私は一日の日課が終わって部屋で寝ていました。
内側からカギがかからないので、一人で寝ているのが恐く感じました。
外の廊下は真昼のように明るかったです。

寝ていると突然、戸が開く音がしました。
はっと驚いて眠りから覚めました。
お母様が入ってこられて耳元でそっと
「三時まで、正装をしてご父母様の部屋に集まるよう
静かに皆に伝えなさい」と言われました。

私は何のことか分からずそのまま伝達しました。
明け方2時に廊下をそっと歩いて金孝律氏の部屋に入った私は、
お母様のみ言をそのまま伝えました。
残りの一行には金孝律氏が伝達しました。

明け方三時にすべての一行が集まりました。
このようにして特別祈祷式が行われました。



真の父母様は側近中の側近である、
元周先生にも、北朝鮮に入国することを、
直前まで話していなかったんですね。

信頼しているとか、していないとか、
そういう問題ではなく、
サタンが侵入しないように、
条件が奪われないように、
そういうことなのかな、と思います。

ハワイの地において、
祈祷を捧げられたお父様。
金日成の親の心情圏に到達して、
北に向かわれた、というのは有名な話です。

真の父母様の、
生々しい歩みが伝わってくるようです。

地上で命懸けの精誠を尽くされた真のお父様。
まもなく、聖和12周年になります。。。

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モスクワ大会の様子は、
⇩こちらの記事を参考にどうぞ
ゴルバチョフとの電撃会談から28年! モスクワ大会を振り返る

posted by ten1ko2 at 07:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする