2024年08月13日

毎日が地獄、家に帰るのが戦場に向かう心地だった・・・解放されたのは 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの体験談。
今回は、「生きていて良かった、
祝福を守ってきて良かった」です。

(女性 50代)

自己牧会プログラムに取り組み始めて1年になります。
 
祝福を受けて、2人の男の子(現在、大学生と中学生)を
授かりましたが、日々悩みの中にありました。

夫は職場の人間関係が悪く、思いどおりにならない
ストレスを家族にぶつけてきました。

特に長男に対しては、「お前の態度は、
私とそりが合わない職場の人に似ている」などと
理不尽なことを言って、長男を傷つけるのです。

そのため、長男と夫の関係は悪くなり、
長男は夫を無視するようになりました。

夫はまたその態度が気に入らず、ますますイライラするのです。
そして時に、教会を批判するような暴言も
口にするようになりました。

当然、夫婦仲もギクシャクします。
そんな私たちを見る子供たちが、教会や神様に対して
批判的になるのは無理からぬことだと思います。

神様から頂いた子女なので幸せにしてあげたい、
祝福を受けてもらいたいという一心で、
私は子供たちに接していましたが、
子供たちからは反発を受けるだけでした。

私は家庭の中で孤立し、毎日が地獄のようでした。
仕事から家に帰る時は、戦場に行くような気持ちで、
「きょうは何事もありませんように」
と決意しなければなりませんでした。


そういう中で出合った自己牧会プログラムは、
私に一筋の希望の光を与えてくれました。

「固定観念に気付く」ワークや、
「自己中心的な囚われを脱ぐ」ワークに取り組む中で、
「苦しみは自分で作り出しているもの」であり、
「全てを下ろせば、今ここが天国」であることを
少しずつ実感できるようになったのです。

それまで、夫に対しては「変わってほしい」、
子供たちに対しては「私のしていることを理解してほしい」
という要求の思いが強かったのですが、
それを全て下ろすように努めました。

そして毎日、「思いどおりでなくても大丈夫」を
口癖のように唱えながら、
夫と子供たちの幸せを祈って光を送り続けました。

 
すると不思議なことに、昔の優しい
夫の姿が思い起こされてきたのです。

夫はもともと愛情深く、よく尽くしてくれる人でした。
また、正直で曲がったことが嫌いという一面も持っていました。

こういう夫の本性に気付いた時、
「正義感が強く不器用だから、
思いどおりにならないとストレスになるんだ」と、
夫の苦しみがわがことのように感じられたのです。

こう思えたことで、夫に対する恐れや不安、
裁きの思いは少しずつ消えていき、心が楽になりました。


私の心の中に平安が戻ったからでしょうか、
子供たちにも変化が見られるようになりました。

時々ですが、家の手伝いをしてくれたり、
優しい言葉を掛けたりしてくれるようになったのです。
以前のことを思うと、夢のようです。

最近は、生きていて良かった、
祝福を守ってきて良かったと思える日々が増えてきました。
道半ばですが、諦めることなく頑張っていきたいと思います。

自分の心の中にいる神様
生きていて良かった、祝福を守ってきて良かった
再編集 文責:ten1ko2


素晴らしい証しですね。。。
地獄のような日々から心が解放され、
大きく変わっていった・・・
その要因が、自己牧会プログラムのおかげでした。

自分自身の心の囚われがなくなると、
ご主人、子供たちの態度が変わっていくというのです。

問題のない家庭はないと思います。
私自身も、過去を振り返って
「あの時、もっと信仰があれば・・・
このようにしていたら良かったのに・・」
そう思うことも少なくありません。

しかし、今ここ、この瞬間、
私の心が解放されたならば、
驚くほどに環境が変化していくに違いないでしょう。

この証しの婦人やそのご主人と
同じような状況がありますので、
囚われを捨てて、
もっともっと解放されたいなと思いました。

そして、神様と共にある私となること、
私の心の中に平安を取り戻すことです。

特に今は、天心苑祈祷、
特に徹夜精誠での時間が、
重要であると感じるのです。


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2024年08月12日

「統一原理は私の中に、私は統一原理の中に」アボジの生涯の記録 《佐野講師》



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「統一原理は私の生涯の記録でもあります。
 それは、私自身の生活体験です。
 この統一原理は私の中にあり、
 私は統一原理の中にいます」


文鮮明



原理講義を長年勤められた佐野先生の証しです。

「統一原理を学ぶ意義と
佐野邦雄・天一国特別巡回師の証し」


統一原理が人類にもたらしたもの

『原理講論』の総序で述べられているように、
人類が長い歴史を通して苦悶(くもん)してきた
人間と宇宙の全ての疑問に、
統一原理は解答を与えてくれました。

個人の人生観と価値観に始まり、
歴史に登場した多くの思想・哲学・宗教・科学が
探し求めた究極の真理を解明して、
「統一原理」として人類に提示したのです。

その核心的内容が、人間と宇宙を創造された
「神の実在」を明らかにしただけでなく、
人類史上初めて、その神が「いかなるかたであるか
という実相」を解明することによって、
この広大な宇宙森羅万象と人間がどのように
創造され、存在し、発展し、そして完成するか
という究極の原理を明らかにしたことにあります。

旧約聖書の箴言1章7節に、知恵の王ソロモンの言葉として
「主を恐れることは知識のはじめである」とあります。

これは人生の教訓でありますが、神を知ってこそ、
人としての生き方や生活の知恵、またそのために
宗教や科学が探し求めてきた内外の真理、
つまり人間と宇宙に関する知識に
出合うことができることを述べており、
正しく統一原理の教えと軌を一にするものと思います。

佐野巡回師の原理講師としての証し

数多くの素晴らしい原理講師がおられる中にあって、
その一翼を担うことができることを、
心から感謝しております。

1965年に統一原理を最初に紹介してくださった
信仰の親から、毎日通教しながら講義を受けました。

未熟な理解ながらもその時に受けた衝撃と感動は
今でも自分の中に息づいておりまして、
それが統一原理を今日まで語り続けることができた
エネルギーであることは否定できません。

その後、埼玉県戸田での全国規模の「三日修練会」、
神奈川県大倉山での「特別修練会」、
厚木での「百日修練会」など、
学びを重ねるごとに原理に対する確信が深まり、
その後1974年から本部教育部の原理講師を拝命し、
守山、宮崎台、そして千葉中央修練所にて、
百日修、21日修、40日修を400回以上担当しました。

講義を学び受講生たちがよみがえっていく姿を見ながら、
改めて神が実在されることを確信し、
統一原理の偉大さを実感させられました。

1990年代からは全国各地で伝道・教育・祝福の前線を
歩んできましたが、いつどこにあっても
統一原理が絶対的アベルであって、
どんな環境にあっても不動の信仰の柱として
導いてくださったことに何より感謝しています。


人間や組織や方法は変わっても、絶対に変わることのない
統一原理に絶えず尋ねることができることは、
どれほど心強いことでしょうか。

原理講義をするに当たって、受講者の心霊に響く
確信に満ちた表現力が大切であることは
言うまでもありませんが、最も重要なことは、
講義内容の正確さです。


統一原理は、神様もその原則に従って天地を創造なさり、
復帰摂理を立ててこられましたし、
真の父母様もその原則を歩まれ、サタンを屈服し、
蕩減復帰摂理歴史を完結されたのです。

故に真の父母様は、

「統一原理は私の生涯の記録でもあります。
 それは、私自身の生活体験です。
 この統一原理は私の中にあり、
 私は統一原理の中にいます」


と言われるのです。

 
1991年、全祝福家庭が氏族メシヤ活動に出発し、
1994年から「世界平和統一家庭連合」時代を迎える時、
真の父母様から『原理講論』に赤線・青線・黄線の
三色付けをするように指示がありました。

この作業に私も加わったのですが、
これも統一原理の一言一句を尊重し、
正確に理解させようとする天の計らいでありました。

講義をする時、語った講師の姿が残るのではなく、
「統一原理」が鮮明に残らなければならない
といわれるのも、これと同じ意味であると思います。

統一原理学習のポイント(前)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22565
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


佐野先生は千葉中央修練所でも
21日修練会で原理講義を担当されました。

その時の講義が素晴らしかったことを覚えています。
とても理路整然と講義をしておられました。

そして、メッセージにあるように、
講師である、佐野先生の姿を覚えているより、
統一原理が素晴らしい、と感銘を受けたのでした。

原理の素晴らしさを伝える
私たちにならないといけない、と感じます。

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2024年08月11日

心はどこにあるか 神様は、人間の最も大切な所に棲んでいる?! 《史吉子先生》



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史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より
『霊人体の成長と完成」を紹介します。


私が既成教会に通っていた時、
解けなかった疑問点が1つありました。

人の霊が体を持っており、死んだら確かに天国に行くのに、
私の霊魂はどこにあるのだろうかと気になっていました。

頭で考えるのをみると、頭にあるようでもあり、
胸で感じるのをみると、胸にあるようでもあり、
霊の所在が正確にわからなくて、とても気になっていました。

霊の存在とは、雲や霧のように漂っているものなのか
と、考えたりもしました。


創造原理の「無形実体世界と有形実体世界」で見ると、
肉身の姿の まま霊人体が成長すると言います。
ですから、肉身は霊人体の型(かた)です。

それだからかも知れませんが、
世界を回ってみても不思議なことに、
そっくり似ている人は一人もいませんでした。


おもしろい逸話があります。

36家庭の婦人の中で顔に疥(はたけ 硬貨大の円形の白い粉をふいたような
発疹ができる皮膚病:疥癬(カイセン) )
ができてかゆくなり、
いくら掻いても、病院に通っても、治らない人がいました。

それで仕方なく、その婦人が神様に祈りを捧げたそうです。
「神様!私はあなたの娘です。
かゆみがひどいので、どうか治してください。」
と祈ったそうです。

そうしたら体の中から、
「よし、よし!わかった。
かゆい所におまえの唾をよく塗りなさい」
と言う、神様の声が聞こえたそうです。

神様の言われたとおりに唾を続けて塗ったら、
いつの間にか綺麗に治ったそうです。

あまりにも不思議で嬉しくて、
「神様!どこにいらっしゃいますか?
神様の声は聞こえるのに、
どこにいらっしゃるのかわかりません。
どこにいらっしゃいますか?」と聞いたそうです。

そうしたら、「ここにいる。ここにいる」
と言う声がして、突然、自分の手が
自分の生殖器を続けて叩いたそうです。

また、 「どうしてわからないのか!
どうしてわからないのか!」と言う声も聞こえたそうです。

お父様はこの話をお聞きになって、
おもしろいと言われました。

いつか祝福家庭が清平に集まった時にも、
その婦人に証をするように言われたので、
出て来て、おもしろく証をしました。


私が気になってお父様に、
「本当に神様が人間の生殖器にいるんですか?」
と伺いました。

お父様は、「神様が人間を創る時、
男と女の生殖器を創るのに一番時間をかけて
精誠を尽くされたのだ!」とおっしゃいました。

このように人間にとって、生殖器が最も重要なのです。

霊人体の完成は個性完成、人格完成、
つまり愛の完成だそうです。
史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第2章 創造原理 105
一部編集(注釈)、文責:ten1ko


「神様が人間の生殖器におられる」
何ともユニークな証しですね。。。

神様は愛の器官を最も貴く作られ、
夫婦が一つになるところに神様が宿る、
というようなみ言を、
真のお父様が語られたことがあります。

そのようなみ言が語られるずっと前に
このように神様の啓示を受けた方がおられるのは、
本当に面白いことだと思います。

人間の命も愛の中で誕生します。
霊人体の完成は愛の完成なので、
夫婦の愛の基になる場所を最も大切に創られたのでしょう。

だから、神様は、生殖器におられるというのです。
そこが、本来は人間の最も聖なる場所であって、
愛なる場所、命が誕生する場所です。

ここにいるのに、どうしてわからないのか。

考えてみれば、神様にとっては
あまりに当然のことなのですが、
堕落の歴史の中で歪んだ価値観の下で
生きてきてしまった私たちにとっては、
目から鱗のお話ですね。



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posted by ten1ko2 at 09:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 史吉子先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする