2024年08月10日

子育て失敗?! 過去を後悔するより、未来のための三項目 *年齢は関係ありません 《蝶野部長》



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家庭教育部長 蝶野知徳
「父母の愛の姿勢 三つのポイント」

子女は現在を見ている

教育は常に、未来を信じ見つめながら進めていくものです。
しかし時には、子育てに難しさを感じ、
自分が選択してきた行動を後悔して、
思いが過去に戻ってしまうことがあるかもしれません。

過去を振り返れば、どんな親にも、子女に対して
本性的な心で対することができたとき、
堕落性で対してしまったときの、両方があるものです。

元来、子女には親を信じたい心があります。
ですから過去を後悔するよりも、
今の瞬間からでも心を立て直し、
真心で接していくことが大切です。

そうすれば、子女はその親の接し方から
親の真実を見ようとしますから、
過去に堕落性で対されたとしても、
次第にそれらを忘れていくようになるのです。


@感謝の心で接する

天の願う父母の心であるために重要なのは、
み言が示す価値で、いかに自分自身を
原点に立ち帰らせることができるかです。

つまり、神様から授かった
貴い子女という「感謝」の心で、
自分の心をいかに主管していくかにあります。

過去の失敗を後悔する心が強いと、
愛する力が出にくいものです。

しかし感謝の心が強いと、後悔よりも
悔い改めの心が強く出てきます。
こうして内面が蕩減される条件が立ってくれば、
愛が発露してきます。

神様にすべてを「感謝」することは、
私たち人間が、神の子としての
原点に帰っていくために必要なプロセスです。

「感謝」は私を「純粋」にします。
良心作用も強くなり、子供の気持ちも
悟らされるようになるものです。


Aすべてを受け入れる

子女に対して葛藤したり、腹立たしく感じたりと、
難しく感じる面があっても
「親としての最善の心」で接するには、
どうすればいいのでしょうか。

まずは自分の思いの物差しを捨てましょう。

成長過程における一つの段階、
「今あるべき姿」として認めてしまい、
丸ごと受け入れてみるのです。

そうすれば、受け入れた分だけ、
愛する道が開かれていきます。


B父母の愛の体恤

過去を後悔せず、父母の愛を今、信じて待っている
子女の心に焦点を合わせてみましょう。

天を愛するように感謝の心で
純粋に子女に対することです。
そして現時点を丸ごと受け入れてみれば
愛が流れ始めるのです。

子供の年齢に関係はありません。
これらのことは、復帰途上にある私たちが、
父母の愛を体恤していくための
原則になっていくでしょう。

家庭教育部長 蝶野知徳
『ムーンワールド』に掲載
孝情を育む 35
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25556
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「子供の年齢に関係はありません」
この言葉に相対して、久しぶりに
蝶野部長の講座を紹介しました。

感謝の心で接する
すべてを受け入れる
父母の愛の体恤

そのことを大前提に、
子どもたちと向き合っていきたいです。


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posted by ten1ko2 at 13:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月09日

「統一教会本部をダンベリーに移す」 この名言が語られるようになった経緯! 《ダンベリー精神 》



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1984.7.20ダンベリー☆


「統一教会本部をダンベリーに移す」
教会員にとっては、あまりに有名な
真のお父様(文鮮明師)のみ言です。

上は収監前日、記者会見でのスピーチの言葉です。

文師への差別は、神への差別である

1984年5月14日に米連邦最高裁が真のお父様の上告申請を棄却したことを受けて、米国の宗教界が立ち上がりました。1億2000万の信徒を擁する40以上の宗教団体が、文鮮明(ムン・ソンミョン)師支持を表明したのです。

支持表明となった背景には、
@文師が宗教家であることを無視された
A国際共産主義者たちの政治的陰謀がある
B文師に対する人種差別と宗教偏見が行われた、などが判明したことにあります。


5月30日、米国ワシントンD.C.で、60教派500人を超す宗教指導者が集まって「信教の自由大会」が開かれました。

会場には「われわれは信教の自由を要求する」「米国よ、目覚めよ」「われわれの伝統を思い出せ」「文師に自由を」と書かれたプラカードが掲げられました。

大会の共同議長を務めたファミリー・ライフセンターのティム・ラヘイ会長は、「米国の建国の父たちは憲法によって、あらゆる教派の存在を許したが、その信教の自由が文師の有罪で、重大な危機にひんしている」と、強い口調で米国政府の宗教介入を非難しました。

また、同じく共同議長である、南部キリスト教指導者会議のジョセフ・ローリー会長は、「文師に対する人種、あるいは宗教上の差別は、神が差別を受けていることである。創造主はこれを容認できない」と訴えました。

さらに宗教指導者たちは、「文師が投獄されれば、共に入獄する決意がある」との意志を明らかにし、@文師に同調し、1週間入獄する A文師が投獄される日を「信教の自由の日」と決める B「信教の自由の日委員会」を設立し、今後の活動を進める、などの決議を採択しました。

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▲「信教の自由大会」(1984年5月30日、ワシントンD.C.)

この大会を皮切りに、以降、全米で同様の大会が次々に開催され、そのうねりは世界中に広がっていきました。

統一教会本部をダンベリーに移す

このような潮流の中で、ニューヨーク地裁のジェラルド・ゴーテル判事は6月11日、当初予定されていた6月18日の収監を32日遅らせて、7月20日とすることを明らかにしました。

真のお父様は収監の前日の7月19日、ニューヨーク・マンハッタンの教会本部で記者会見され、無実を訴えた上で、次のように述べられました。


「全米の何千名もの牧師たちが、
 私に対する政府の迫害に反対し、
 宗教の自由の名にかけて、私と共に
 1週間入獄するという宣誓をしています。

 1971年、神は私をアメリカへ呼ばれ、
 キリスト教の信仰の熱情をよみがえらせ、
 アメリカ建国精神を復興するよう命じられました。

 無神論と宗教的不寛容という
 闇の霊がアメリカに見いだされる時代に、
 神は劇的な精神復興を成し遂げるため、
 私をアメリカへ送られたのです。

 共産党下の収容所で、私は自ら
 死にひんするほどの経験をしました。

 もし、アメリカを霊的な眠りから覚醒させるという
 神の目的にかなうならば、私は
 アメリカの監獄に喜んで入るつもりです。

 私は今、世界の統一教会(現・家庭連合)本部を
 ダンベリー刑務所へ移動させ、そこで私は
 この国のために祈り、かつ、働くでしょう。
 
 私は人類歴史上、最も重大な時期に、
 宗教の自由のための戦いを導き、
 アメリカの霊的覚醒に火をつけるための道具として、
 神が私を用いてくださっていることに感謝します。

 アメリカに神の祝福がありますように」



こうして収監の日(7月20日)を迎えられたお父様は、イーストガーデンで、出発ぎりぎりの時間までみ言を語られ、集まった教会員たちを励まされました。

ダンベリー精神 3
「神が私を用いてくださることに感謝します」
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


お父様がダンベリーに収監されることにより、
そのことに異議を発した宗教家たちが、
一致団結したことで、いずれ宗教の自由大会が行われ、
特にキリスト教牧師たちが一つになる、という奇跡がありました。

正しい道を行くならば、
必ず義人が現れるのだと思います。

今、私たち家庭連合に対して、
政府が行っている解散命令請求に対して、
異議を唱える人たちが現れてきました。

日本にも正しい見識を持つ義人がいるのです。

批判や非難をするだけでなく、
正々堂々と正しいことを訴えていきたいと思うのです。



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2024年08月08日

為に生き、伝道しているうちに、自分の悩みは解決されていく?! 《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「自分の悩み」「神の直接干渉」です。


自分の悩み

教会長が自分の主体とならないことを不平に思う人が多いのです。

教会長に言いたいけれども、言えないから帰ってきたといって、
自分たち同士で話す人が多いのですが、
悩みを自分たち同士で話したら、サタンが奪っていくのです。

その内容を胸にたたみ込んで、
天に結んでくれる位置にいない人には、絶対言ってはいけないのです。

人間はだれでも、自分より悲しい人を知っています。
かわいそうな人の立場を知っているのです。

小学校を卒業した場合、その知識をもって、
どこかに使い道があるのです。
僕も使い道があるのだろうと思ってみれば、重要な位置があるのです。


それと同じく信仰者というものは、自分の解決ができなかったなら、
これはもう、しようがない。
「自分のことが解決できないで何をするんだ」
というふうに悲観しないのです。

自分より悩んでいる人を見た時に、自分の経験を話しながら、
「あなたもこれを聞いてみなさい。
私は、あなたが今悩んでいるくらいのことは解決した」と言って伝道するのです。

その人が自分の思い、罪悪の問題を解決して喜ぶのを見て、
自分が今までもったものを、本当に神に感謝するようになるのです。

なぜなら、二人か三人、その新生する人を、
とにかく信仰するように導いてあげると、
自分が今までもっていた問題は、天から自然に解決されるのです。


    
神の直接干渉

人間同士でもそうですが、自分のことを
人に尋ねるのはなかなか難しいでしょう。
「私の未来はどうなりますか、こうしていいですか、ああですか」
こういうことは、ちょっと聞きにくく、相談しにくいのです。

直接その人に言わずに、その人に一番近い人に、
その人の未来など、神の秘密を言ってあげるのです。

あの人は、このごろこうだが、どうもそれではいけないのだが、
という心配を第三者に言ったとすると、それを聞いた人は、
相談した人に直接そのことを忠告するのです。

そこには五パーセントというものはないのです。
だから三位基台の上にいる人は、神様が直接干渉する立場になっています。
したがって、信仰の道は一人では行かれない、ということなのです。


一人で行く時には、秘密が多いのです。
だから霊通した人でも、一人で祈って、一人で通じた人に対して、
天は直接言わずに、象徴的に現したり、啓示するのです。

それを聞いて、そのまま解釈しようと思うから、
霊通者は結局、終わりが良くないのです。
霊通者は特に、独善的な気があるのです。

霊通した理由は、霊通していない人のためのスピーカーです。
だからこそ、その証が使命なのです。
それなのに、自分が通じたといって喜んでおりながら、
人を差別するようなことをすべきではないのです。

自分の悩み
神の直接干渉

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
再編集 文責:ten1ko2


私たちは深く考えずに横的に話してしまったりするのですが、
私たちが守られていくためにも、
しっかり報連相していくことは
大切だと思います。

そうしていけば、私たちは天の者ということで、
私たちの抱えている問題も、
神様が知ってくださることとなり、
采配してくださることができます。

私の「悩み」は、自分自身の悩みかもしれませんが、
捉えようによっては、公的な悩みである、
ということもいえるでしょう。

家庭の事情においても、
教会全体の事情においても、
それが、世界全体の問題を克服し、
解決するための事情である、
そのようにも捉えることができるのではないかと思います。

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posted by ten1ko2 at 07:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする