李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「主管性転倒」です。
☆
主管性転倒(3)
聖書に禁じてあるのも、このことに関してなのです。
すなわち、不平、不安、血気、怒気ということで、
これがサタンが人間の中に入る、入り口なのです。
いつも怒らずに平和に、そして感謝、忠孝、忠誠、
真心、謙遜を戒めとして示してくれているのです。
結局、堕落性を脱ぐには、だれにつながって、
どの立場において情を使うかということにおいて
分別していかなくてはならないのです。
情は、自分勝手に使うのではなく、神に使うか、
あるいは、サタンに使うか、二通りしかないから、
自分の情が神の立場にあればそれは平和であり、
自らを考えずに、迫害されながらも
喜んで感謝して行けるのです。
怒られても、にこにこ笑う。
すると向こうは、もっと赤くなって怒るのです。
というのは、私の血気まで
向こうで引き受けてしまうことになるからです。
例えば、ある人が不平を十もってきて、
私の五つの不平をもらいにくるのです。
私がにこにこ笑うと、その人は十五になって、
血気が強くなってしまうのです。
しかし、もしここでその人に付き合って不快に思うと、
五つをお互いに分配してしまうのです。
分配してしまうから、けんかがすぐ終わってしまうのです。
信仰する立場で反抗すれば、すぐその事件は終わって、
自分もサタン主管圏内に入ってしまうことになるのです。
もし、ここで忍んで笑って耐えるとすれば、
向こうがサタンの部分を引き受けて、蕩減することになるのです。
だから、よく血気早い人は、血気早い人に殴られるのです。
しかし、謙遜な人は、血気早い人に殴られることはないのです。
だから、この教会に来る前に、よく怒ったり、
また人を殴ったりしたことのある人が来た時には、
それ以上強い人に任せて、一度は袋だたきにしてしまう
というような、そういう蕩減をするのです。
☆
血気怒気の情は本当に厄介なものです。
教会での人間関係においては、
ずいぶんと少なくなった気がします。
問題は家庭での人間関係、
夫婦、親子間において、
自分の感情のままに動くことがあると、
血気怒気の情をもってしまうことがあると思います。
最近は、「天寶修行」「徹夜精誠」を通じて、
祝福家庭として、天一国主人として、
より内的なものを質される私たちです。
やはり、家庭も公的なものである、
という思いをもって生活しなければ、と思うのです。
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