2024年08月16日

不平不満・怒りはサタンの入り口 怒りやすい人が教会に来ると・・・ 《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「主管性転倒」です。


主管性転倒(3)

聖書に禁じてあるのも、このことに関してなのです。
すなわち、不平、不安、血気、怒気ということで、
これがサタンが人間の中に入る、入り口なのです。

いつも怒らずに平和に、そして感謝、忠孝、忠誠、
真心、謙遜を戒めとして示してくれているのです。

結局、堕落性を脱ぐには、だれにつながって、
どの立場において情を使うかということにおいて
分別していかなくてはならないのです。

情は、自分勝手に使うのではなく、神に使うか、
あるいは、サタンに使うか、二通りしかないから、
自分の情が神の立場にあればそれは平和であり、
自らを考えずに、迫害されながらも
喜んで感謝して行けるのです。

怒られても、にこにこ笑う。
すると向こうは、もっと赤くなって怒るのです。
というのは、私の血気まで
向こうで引き受けてしまうことになるからです。

例えば、ある人が不平を十もってきて、
私の五つの不平をもらいにくるのです。
私がにこにこ笑うと、その人は十五になって、
血気が強くなってしまうのです。

しかし、もしここでその人に付き合って不快に思うと、
五つをお互いに分配してしまうのです。
分配してしまうから、けんかがすぐ終わってしまうのです。

信仰する立場で反抗すれば、すぐその事件は終わって、
自分もサタン主管圏内に入ってしまうことになるのです。
もし、ここで忍んで笑って耐えるとすれば、
向こうがサタンの部分を引き受けて、蕩減することになるのです。

だから、よく血気早い人は、血気早い人に殴られるのです。
しかし、謙遜な人は、血気早い人に殴られることはないのです。

だから、この教会に来る前に、よく怒ったり、
また人を殴ったりしたことのある人が来た時には、
それ以上強い人に任せて、一度は袋だたきにしてしまう
というような、そういう蕩減をするのです。



血気怒気の情は本当に厄介なものです。

教会での人間関係においては、
ずいぶんと少なくなった気がします。

問題は家庭での人間関係、
夫婦、親子間において、
自分の感情のままに動くことがあると、
血気怒気の情をもってしまうことがあると思います。

最近は、「天寶修行」「徹夜精誠」を通じて、
祝福家庭として、天一国主人として、
より内的なものを質される私たちです。

やはり、家庭も公的なものである、
という思いをもって生活しなければ、と思うのです。


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posted by ten1ko2 at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする