2024年09月30日

全ての人には原罪がある──「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的心理 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活」の
み言より、「原罪と自犯罪」です。


自分がサタンの息子だと聞いた時に、
私たちはどの程度胸が痛かったでしょうか。

「原理」によって自分の位置を発見したあとで、
自分自身が誤ったのを恥ずかしがるのと、
血統的問題を恥じるのと、相当差があるのです。

私たちは、自分が失敗したのは重要に思うのですが、
歴史的なものは、「だれだって同じではないか」
というような腹で、平気でいるのです。

だから、堕落論を話しても、
原罪を分かったあとの自分の苦しみを知るよりも、
自分自身が犯した罪を考えて苦しむ人のほうが多いのです。


本当の良心的な人だったら、自分の原罪が分かった時の
自分の立場を、よほどの痛みをもって
苦しまなくてはいけないのに、堕落した人間は
原罪という問題に対して全く平気なのです。

だから、信仰しながら自犯罪を犯すことがあるのです。
そういう人は、原罪というものを恐ろしく思わないからです。

自犯罪を犯すということは、自分の身に
もう一度原罪の血統を流したという条件になってしまうのです。


しかし、不幸にしてそれを犯してしまった人に
どういうふうに指導するかというと、
原理的に解決してしまわないのです。

もしそうすれば、「私はもう蕩減する道がない。
原罪もこんなに重大なのに、自分自身が
また罪を犯したから、もう滅びだ」と落胆してしまいます。

だから、率直に原理的に説明できないのです。
指導者はその人のために原理的なことを
知っていなくてはならないけれど、
自分が知っているとおり説明できないのです。
その人を救うのが目的だからです。


その人のほうからすれば、質問しに来たのは、
自分の犯罪を許してほしいからであり、
「犯した以前の立場で付き合ってくれたらいいな」
という希望をもっているのです。

その人の、そういう動機を取り上げてやらなくてはなりません。
私はどうしたらいいのかということは、
自分の心が知っているのです。

知っていながらなぜ聞くのかというと、
「許してほしい、救ってほしい」という内面の願いがあるわけです。

だから、原理原則をもってしては説明できないのです。


そういう場合には、「あなたの犯したのは、
あなたがしたのではない」と慰めてやるのです。

要するに、祖先から流れてきた原罪が現れただけであって、
罪を犯していない自分だって、
そういう人間だということを告白するのです。

「私の血も、分析してみれば結局同じだ」と言って慰めてあげながら、
その人に希望を与え、勇気を得させるような方向に向けて
説明する方法しかないのです。


神様でも、神は愛だから私たちの罪を忘れてやるという約束で、
人間を呼ぶのですが、本当は絶対忘れられないのです。
最後には、全部蕩減しなければならないのです。

黙示録にあるように、「自分の着物を洗ったか」と検査されます。
それなのに、初め呼ぶ時には、
「忘れてやるから来い」と言って、人に希望を与えるのです。


原理的にいえば、罪を犯さなくても、
その人の歴史的な条件を子女の立場から見れば、
原罪と認められる場合もあるのです。

例えば、結婚した人としない人とでは、差があるのです。
結婚した人は、旧約時代を蕩減する人物です。
婚約していて堕落論を聞いてから別れた人は、
新約時代を蕩減する人物として祝福されるのです。

また、全然異性との関係を結んだことのない人は、
これからの歴史をつくっていく主人となるのです。
そういう血統的な、血縁的な差があるのです。
いくら信仰が篤い人でも、どうしようもありません。

例えば、一度結婚した人は、旧約時代の子女という立場で、
霊人たちを代表して、旧約時代の歴史において
結婚した人の全部の責任をもって
蕩減しなくてはならない供え物として選ばれたのです。


だから、自犯罪を犯した人は、
一つの時代をショートしてしまったのです。

成約時代の先祖となる望みが消えて、
新約時代のパラダイスにいる大勢の霊人の代わりに
選ばれた立場で、もっともっと蕩減を
負わなければならない条件を
自分自身がつくったことになるのです。

まっすぐな道に、自分自身で丘をつくってしまったのです。

1.牧会
原罪と自犯罪

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


堕落人間である私たちは、罪があるからこそ
原罪については、本当に響かない
罪がわからない私たちです。

そして、自犯罪についても、その背後に原罪の存在があります。
そのことを自覚しなければなりませんね。

以前紹介したことがあるのですが、
長年、東京拘置所の医務技官をしていた加賀乙彦氏が
「悪魔のささやき」という著書でこのように述べています。

  「悪魔は果たして存在するのか? は、
  私自身が数十年にわたって考え続けた疑問でもあります。

  刑務所や拘置所で出会った犯罪者(死刑囚)や
  病院で診療してきた患者さん(自殺生還者)と向き合い、
  同時に自分自身の内面を覗き込みながら、
  そしてまた聖書や文学に描かれた悪魔というものも手がかりにしながら、
  私なりに出した結論は、やはり悪魔はいるだろうということです。

  どんな姿をしているのか、肉体などなく霊的な存在なのか、
  そういったことはわからないし、これからもわかり得ないでしょう。

  しかしこれだけは断言できます。
  少なくとも私たち人間の心の中には
  悪魔的なものが確固として存在している、と。」



死刑囚との面会で、彼らが殺人をした時に、
自分ではない、何かが自分を動かしていた、
「悪魔がささやいたんです」
と告白する人が複数いる、というのです。

「出来心」とか、「魔が差す」というように、
サタン(悪魔)の存在を感じている人が多いといいます。
本当に恐ろしいことです。

そういう意味でも、堕落性に誘発されて、
自犯罪を起こさない生活、
天とともにある生活を心がける重要性を感じるのです。



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罪をすべて忘れてあげるから帰って来なさい 自犯罪は一時代を失う
posted by ten1ko2 at 08:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月29日

神童・横井、「サタンの化身」と呼ばれた修練生時代 〜 天心苑精誠の化身になるまで(前編)




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横井講師といえば、長年、清平で
日本食口の為に、講義をされ、
役事の時にも私たちを鼓舞してくださっておられました。

今は、鮮文大学で、牧師をされて
日本の留学生たちの霊的生命を
復興されて、活躍しておられます。

その横井牧師が先日証しをされました。
前半部分を紹介します。


今は鮮文大学の校牧室で
日本人留学生600人を担当しています。

私は日本で大学1年生のとき、
統一教会を反対する目的で教会を訪れた人間です。

小学生の頃学校の先生の影響で
ボーイスカウトに入団し、
その後カトリックに通っていました。

聖書を勉強し、神父やキリスト教の牧師と
たくさん会話する中、
多くの疑問と悩みを抱えるようになりました。

私はIQが150をはるかに超えており、
勉強も一番で運動も常に一番でした。
友達は私を神童というあだ名で呼び、
今とは違ってとてもハンサムでした。

私はアルベルト・シュバイツァーのような
医者になりたいと思っていました。
医者をしながら宣教師になるのが夢でした。


しかしキリスト教、特に聖書に対する疑問が増える中、
父の影響を受けて共産主義思想に陥り、
医学部ではなく法学部に進学しました。

学生運動に加わったのですが、
教会でも統一教会を異端視していますが、
学生運動の世界でも同じでした。

私は統一教会の人に
伝道されるのを待っていました。

なぜかと言うと、この世から(統一教会を)
消し去らなければならないと思っていたからです。


霊の親に出会ったのは1990年の9月の中旬でした。
修練会に参加しました。

その修練会を受けている間に
そこに参加していたすべての修練生に、
統一教会に関する悪い情報を流し、
結局は私を除いて、
他は誰一人教会に残れないようにしてしまいました。

その当時、日本のカープでは私を
サタンの化身と呼んでいました。


しかし私は反対しながらも
一人、霊的な体験をしていたのです。

真のお父様が現れて
「私はお前と共にある」と言われたのです。

私は「この教会は洗脳が上手だな」
完全に洗脳されていると思いはしましたが、
一方では統一教会を正しく知りたいと思い
学舎に入り、生活を始めました。

10ヶ月の間に原理講論を70回訓読したのですが、
その70回目を完読したその日に聖霊体験をしました。

神様との霊的な出会いを持った私は、
命を懸けてみ旨の道を歩むことを決意しました。

天の父母様真の御父母様、感謝します
ある意味、パウロのような回心の役事があったのです。


そんな私が昨年の6月27日に、
徹夜精誠を捧げているとき、天の恩恵を受け、
天の父母様と一問一答をすることができました。

天の父母様は愛そのものでした。
しかしその恩恵を証する、
勇気を出すことができませんでした。

なぜかというと、受けた恩恵を証しするということは、
自分の過ちを全世界の祝福家庭に知らせることになるうえ、
私の無知により迷惑をかけたすべての方達のことを考えると
とても勇気が出ませんでした。


一問一答の内容は、20年近く、
この清平修練院で責任者として勤務しながらも、
天心苑の価値を知らなかったこと、
お母様が何度も徹夜精誠の重要性を、
強調してくださったにもかかわらず、
徹夜精誠を捧げることがどれほど重要な事か、
悟ることができなかったことなどでした。

しかし、そんな不足な私に
天の父母様は明確に
一つ一つ答えてくださいました。

天の父母様の深い愛を感じれば感じるほど
逆に恐れと恐怖を感じるようになりました

私が天心苑の精誠を捧げなかったから
私が天心苑の重要性を
多くの日本の祝福家庭に教えなかったから
今の日本の事態になったのではないか
という自責の念に苛まれ、恐ろしい気持ちになりました

しかし天の父母様は毎日私を抱いてくださり
何も言わずに愛してくださいました

そして孝進様がなぜ孝子なのか分かるか?
と言われながら
孝進様は過ちも犯した
しかし孝進様は悔い改めることを知っていたと教えてくださいました
私はそのみ言葉に勇気を得て
証をすることにしたのです


その時天の父母様は私に
お母様は当代で摂理を必ず完成させるために
苦悩しておられる
「お前はそのお母様を助けるか?」と言われました。

その言葉を聞いて、私は以前
命を懸けてこのみ旨の道を歩み始めたように
命を懸けてお母様と共に
お母様の力になっていこうと決意することができました。

そして証をすることにしました。

再編集 文責:ten1ko2


横井牧師の導かれ方、
まさにパウロのような感じですよね。。。

日韓家庭として、祝福を受けられ、
韓国に渡ってから、清平の摂理に携わり、
投入していかれました。

そのあとの証は後半になります、お楽しみに。


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2024年09月28日

誰も私たちを分裂させることはできません! 涙を流しながらも前進するのが統一教会 《ダンベリー精神》



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1984年7月20日、ダンベリーへの出発に当たり、
イーストガーデンに集まった教会員に
語られた激励のみ言(要約)の続きです。

真のお父様(文鮮明先生)は、
「神様のみ旨は一つにすることであり、
サタンの目的は分裂にある」と語られています。


先生(私)の信仰はどこに行っても常に変わりません。
信仰が変わらなかったということは
心が変わっていないということです。

したがって先生が追求する世界、
先生が考える世界も変わらないでしょう。

私たちの生活は高い所に行っても、低い所に行っても、
どこに行っても同じ生活であるということを
皆さんは知らなければなりません。


どんな勢力も私たちを分裂させることはできません

神様のみ旨は一つにすることです。

堕落ということがなかったなら、
私たちの心と体が一つとなり、
男性の心と体が一つとなり、女性の心と体が一つとなって、
二人の心と体が一つになり家庭となっていたならば、
そこに統一の世界が始まったことでしょう。

サタンの勢力は何かと言えば、
分裂する世界版図圏という勢力であり、
その勢力権を持っている世界的チャンピオンが
サタンなのです。

これとは反対に神様の愛はどのようになっているかと言えば、
サタンを追放することによって
分裂を防ぎ、いくら分裂させようとしても
一つになることのできる群をつくらなければなりません。

したがってこのように分裂した世界の中で、
天と地全体が分裂しようとしても、
それを統一する力をもった人がいるとしたら
神様はどれほど喜ばれるでしょうか。

イエス様は十字架にかかる時は一人でした。
その時はユダヤ教も失い、新しい理想的なキリスト教も失い、
ローマも失い、世界も失ったのですが、
今日のレバレンド・ムーンは
どのような立場に立っているのでしょうか。

レバレンド・ムーンがやることは何でしょうか。
神様が願っておられることを知った
今日の統一教会(現・家庭連合)がやる仕事は何か。
このことをはっきりと知らなければなりません。


統一教会は涙を流しながらも前進する気根を持っています

「ムーニー」と言って、あなたたちの父母が
まず分裂させようとしたし、四方八方で騒動を起こし、
ユダヤ教が分裂させようとし、キリスト教が分裂させようとし、
共産党が分裂させようとし、
アメリカ政府が分裂させようとしていましたが、
今はどんなに打ったり、殴ったりあらゆることをしてきても、
私たちを分裂させられないと見始めているのです。

他の人々はこの戦いを見ながら、
レバレンド・ムーンはどうするか、
レバレンド・ムーンの妻はどうするのか。
ムーニーはどうするのか。
私たちの一挙手一投足を見つめているのです。

もはや統一教会はバラバラになってしまって、
完全にやられてしまうだろう。
もう万事休すだろうと彼らは考えているかもしれません。

しかし統一教会は涙を流しながらも
前進する気根を持っているので素晴らしいのです。

(『ファミリー』1984年10月号より)

ダンベリー出発に際してのみ言➁
「十字架の道を所望と歓喜の道として行きます」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25626
前半(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


私たちを反対する勢力は、
今も昔も同じように、
私たちを分裂することを願っています。

しかし、私たちは、
昔と同じように、今も一つになり、
前を向いて進むことしか考えていません。

私たちには、大きな武器があります。
天心苑徹夜精誠を土台としながら、
奇跡を起こしていきたいと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 11:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする