2024年11月30日

オモニにもらったドーナツの味 ご子女様と私たちへの愛の違いは・・・? 《真のお母様、感謝します*中村惣一郎先生》



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「真の愛」と、口ではいいますが、
具体的にどのような愛なのでしょうか。

『心を打つ50の証し
真のお母様、感謝します』より、
中村惣一郎先生(777双)が
真のお母様の愛に触れた証しです。


真のお父様は、1965年1月28日、
第一次世界巡回路程の最初の訪問国として、
日本を訪ねてくださいました。

西川勝(崔奉春)先生(36双)から
お父様のお話を伺っていましたが、
当時はお父様とはお呼びせず、
「大先生」とお呼びしていました。

まだ一度もお会いしたことはなく、
お写真でもお顔を拝見することが
あまり多くはありませんでした。

イエス様の果たせなかった使命を成就されるために、
再臨主としておいでになったお方を
どのような心情でお迎えしたらよいのか、
戸惑っていたことを思い出します。

長年、真の父母様に侍り、子女様を
見守ってこられた申美植(シンミシク)先生(西川先生夫人)が、
深い心情でお父様をお迎えすることができるように、
私たちの心を整えてくださっていました。

このとき、真のお母様は韓国におられ、
お父様に同行された崔元福先生が
お母様からのメッセージを私たちに伝えてくださいました。

「愛という言葉の持つ
 限りない意味を込めて、
 あなた方を愛します」


というものでした。

まだ教会の基盤のない草創期、
お母様とお会いしたこともない、
お写真を拝見したこともない時代でした。
このみ言を通して心にしみるお母様の愛を感じました。

全国の食口たちも本当に慰めを受け、
勇気を与えられたと思います。


それから20年近く経った1983年夏、
お父様のお供をして、アメリカ・マサチューセッツ州の
プロビンスタウンでマグロ釣りをしたときのことです。

ある日、嵐が来るから早めにマリーナ(ボートの停泊所)に
戻るようにという連絡が入り、
私たちは午後5時位に着きました。

近くの出店を見ながら777双の兄弟と二人で
迎えの車を待っていました。

そこに普段着姿のお母様が来られました。
私たちがご挨拶すると、お母様は、
「お父様はまだですか?」と日本語でお尋ねになりました。

私たちは、「もうすぐ、
お帰りになると思います」とお答えしました。

お母様は、手に持っておられたドーナツを
ポッと割って、私たちに下さったのです。
それはあまりにも自然な行為でした。

とても不思議な感じがしました。
“これは何なのだろう?”と、
お母様を通して体験した感覚の世界を、
自分なりに尋ね求めてみました。

「このドーナツを食べなさい」と言われれば、
それに対して「ありがとうございます」
というような会話が普通であろうと思うのです。

しかし、そのときのお母様の印象は、
もっともっと近い感じだったのです。

私は、”そうだ!ご自身の子女である
興進様と私たちを同じように扱ってくださっている。
ご自分の子女様と他人の子女との差がないのだ”
ということに気づいたのです。

よく、「カインの子女を愛して、
それから、アべルの子女を愛する」と聞いていましたが、
お母様におかれては、その差がないのです。


【お父様がお母様について語られたみ言】

お母様は、真の母になり、
真の妻になり、真の娘になる、
その三つをすべてしなければなりません。
一つするのも大変ですが、
お母様はそれをすべて成し遂げました。

(天一国経典『天聖経』2・1・3・14)


(光言社・刊『真のお母様、感謝します』より)

私の心に響いた真の愛
中村 惣一郎(777双)
『真のお母様、感謝します』27
blessed lifeより


日本語を語られるお母様に
愛を感じます。

また、お母様がドーナツを渡されたお姿。。。
中村惣一郎先生は、「不思議な感じがしました」
そのように表現されています。

私たちがお母様に侍る心情と
お母様が私たちを愛する心情に
隔たりがあるのでしょう。

おそらく、中村先生は
そのとき初めて挨拶されたのですから
深い心情の因縁はなかったかもしれませんが、
お母様は子女様と全く同じように
接していかれました。

「真の愛は直短距離を通る」
そのように言われますが、
真の親の愛が、子女に向かう心情が
ドーナツを渡される姿になって
表れているのだと思います。

最近、お母様は
「あなたたちは、直系の子女」
と言われています。

その深い真意はわかりませんが、
それだけ、懇切に思われているお母様なのだ・・
そう感じざるを得ないのです。

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2024年11月29日

「南米に主人がいない」神の啓示から始まった福地開拓 日本に託された使命 《女性の立場から見たレダ》



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この国に主人がいない、
南米に主人がいない


1965年世界巡回路程中、文鮮明師が受けられた啓示


「女性の立場から見たレダ」
昨日の続きになります。
先月聖和された、飯野絢子(あやこ)夫人の証しです。


真の父母様の祝福の祈祷で始まったレダ摂理(前)

レダの摂理は、オリンポでの40日修練会の初日(1999年8月1日)
以下のような真の父母様の祈祷で始まりました。


「長い歴史の期間中、我慢されながら
 耐えてこられたあなたの心以上のことを考える
 孝子・孝女、聖子の立場で、
 夫婦一心して、あなたに侍ることができるように
 許してくださることをお願い申し上げます」


(真のお父様の祈祷)


「ここパンタナール(ブラジル、ボリビア、パラグアイにまたがる大湿地帯)で、
 あなたが源焦聖地である、永遠なる
 あなたの本然の理想的家庭を祝福してください。

 ……どうぞ、あなたのみ旨を支え、実践して
 成功していく、日本の国家メシヤと
 なるようにお願い申し上げます」


(真のお母様の祈祷)


 
後に真の父母様が定めてくださった
レダ摂理に対する名称は、「南北米福地開発協会」であり、
そこに込められた、せっぱ詰まった神様のご心情は、
オリンポでの40日修練会中、
三度(8月1日、9月21日、23日)にわたって
吐露されたみ言(緑色)の中に明らかです。

このみ言は、ごく一部を除いて全て
日本語で語られたものであるため、
私たち日本人の心に深く迫ってきます。


真のお父様は、第一次世界巡回路程(1965年)の最中、
飛行機でアンデス(南米大陸の西側に連なる世界最大の山脈)
上空を越えるときに

「この国に主人がいない、
 南米に主人がいない」


という神様の啓示をお受けになったそうです。

そこから時を経て、日本にその使命が託されたのです。

 
「日本の国家メシヤが
 パンタナールの責任を持ってください。
 国家メシヤは185か国の王です」

「今、主人がいなくて、
 荒野のようになっています」

「シャベルで土を掘れ。
 暑い所で天下一等の労働者になって、
 汗だくだく、祈りながら、自分の踏んだ所から、
 無念の神の解放圏をつくってあげる」

「神の国を創らなければならない」



このように真の父母様から祈祷とみ言を受けた
日本人国家メシヤたちは、
密使のような立場でレダ開拓を出発しました。

飯野絢子(飯野貞夫・天一国特別巡回師夫人)
(『世界家庭』2017年3月号「心情の十字架を超える道
−女性の立場から見たレダ−(前)」より)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=27008
女性の立場から見たレダ 1
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


この国に主人がいない、南米に主人がいない。。。
それは、世界の国々も、同じだったことでしょう。

時を経て、真の父母様は、全世界
185ヵ国の国々に国家メシヤを立てられます。

韓日米(欧米)の3家庭(夫婦)ずつ、日本で言えば
777双や6000双までの先輩家庭の中から
立てられた、その国を救い、愛し、責任を持つ
いわばその国の主人となる立場です。

また、第6次にわたるジャルジン宣言等々
南米で多くの大切な摂理が発表されていきました。

 
しかし、先輩たちのレダ摂理は、
密使の立場と言われるように、
静かに始まっていったと思います。

ある意味では、北半球から見ると
南米は地球の反対側でもありますし、
摂理的な観点から見ると、
裏側のような摂理に見えるかもしれません。

しかし、神と父母の切実な思いが
託されていたに違いありません。

神様からの啓示で出発したレダ摂理。。。
お父様からの指示を受けて
先輩たちは、意を決して、
不可能にも思える開拓の道を行かれました。

しかも、命を受けた先輩たちは、
今から25年ほど前でしたが、
60前後以上の年齢であったと思います。

それでも出発されたのは、
真の父母様の切なる思いを受けとめたからでしょう。

父母様の子女として、
孝情の心情で立ち向かっていった先輩たち、
その貴重な証しを伺えることを感謝いたします。
(来週に続きます。)


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2024年11月28日

「根を張るんだよ」 アボジの手が私の頭に 《女性の立場から見たレダ》



241128.png


Blessed Lifeより
「女性の立場から見たレダ」
が始まりました。
第1回目を紹介します。


  『世界家庭』に掲載された
  飯野絢子(あやこ)さんの証しをお届けします。

  飯野貞夫・天一国特別巡回師(777家庭)の夫人・
  絢子さん(2024年10月聖和、享年86)は、
  飯野巡回師と共に2008年から4年間にわたって
  レダ(パラグアイ)に滞在し、開拓にいそしむ
  日本人国家メシヤたちを支えました。

  そんな絢子夫人のレダでの歩みを紹介します。



1999年8月1日、南米・パラグアイのオリンポで、
日本人国家メシヤ40日修練会がスタートしました。

そこに集ったのは真の父母様を含めて14人でしたが、
最終的には102人(185か国・185家庭が
日本人国家メシヤの数)の参加となりました。

それはくしくも、北米プリマス・ロックに、
メイフラワー号に乗ってやってきたピューリタン
(ピルグリム・ファーザーズ)102人と同数でした。

彼らが上陸したとき、最初は遠巻きに見ていた
インディアンたちが次第に寄ってきて、
手を差し伸べてくれるようになりました。

それと同じように、レダにおいても後々、
現地のインディヘナたちから
開拓の協力を受けるようになるのです。

神様のみ業の不思議を感じます。

 
私は、男性中心のレダにおける数少ない女性として、
また唯一、夫婦で共にいるという意味では
父母の立場で、4年間奉仕させていただきました。

今回はその内容を中心に、17年に及ぶ
レダ開拓を振り返りながら、
女性の視点で紹介したいと思います。


南米摂理に真の父母様ご自身が
先陣を切って行かざるをえなかった前後の状況は、
すでによく知られているところです。

背水の陣のご心情で投入なさっていた
真の父母様のお姿を、私は1998年に参加した
ジャルジン(ブラジル)修練会(世界平和と理想家庭のための40日特別修練会)
目の当たりにしています。

修練会全体をリードしておられた小山田秀生先生(ブラジル国家メシヤ、43家庭)は、
「真の父母様は今、大変なんだ」という言葉を、
幾度となく繰り返しておられました。


私たち夫婦は第3期に参加しました。

日韓合わせて総勢2000人を超える修練会となり、
日本側の総班長となった夫ともども、
事あるごとに真の父母様からお言葉が飛んできましたが、

ついに、
「どうだ、飯野。南米に来るか!」

「はい!」

「あんたの奥さんの顔が牛の皮のようになるよ」

というやりとりとなりました。

そして私の頭にお父様のあの肉厚の右手が
ドサッと下ろされて、

「根を張るんだよ」

との一言を頂いたのです。

(『世界家庭』2017年3月号「心情の十字架を超える道
−女性の立場から見たレダ−(前)」より)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=27008
女性の立場から見たレダ 1
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


南米レダの地での開拓は、
777双の先輩たちを中心に
今もなお取り組んでおられます。

日本の使命が果たせなかった、
蕩減的な歩みの一つとして、
先輩たちが苦労の歩みをしておられるのです。

その中で、お姉さんが活動されていたとは知らなかったです。
女性の立場でどのように見つめておられたのか、
これからの投稿を楽しみにしたいと思います。


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