金元弼(キム ウォンピル)先生み言、
新しい章、「興南監獄での伝道」より
2コマご紹介します。
まさしく、このようにして
興南への道がはじまりました。
☆
四八年二月二十二日拘束される
当時私は、朝暗い時に外へ出てみると、
先生はいすに座って常に
瞑想にふけっておられるのを見ることができました。
私は先生が貴重に思えて、
なかなかお話しすることができませんでした。
また食口たちも、私にはみんな天使のごとく貴重に思えて、
話をすることもできませんでした。
私は教会へ行っていながら、
食口たちと誰一人として話したことを覚えておりません。
私はみ言を聞くだけで忙しかったのです。
私は何も分かっていなかったからです。
先生は、一九四六年六月六日に平壌へ着かれました。
そして四八年の二月二十二日の日曜日でしたけれども、
官憲がやってきて、先生の牢屋の生活が始まっていくのです。
☆
日曜日には十時に礼拝が始まります。
その二時間前に来てお祈りの準備をしていました。
食口たちが相当来ていたのですが、官憲たちが入ってきました。
先生が上の部屋でお祈りの準備をしておられた時でした。
☆
先生が連行される時に、私は先生の隣を歩きました。
電車の通る市街を通りかけた時でした。
いろいろな音がするのですけれども、私の耳には、
先生をやゆ(揶揄)する声が聞こえてきました。
先生は非常に落ち着いておられました。
しかし、非常に緊張されていることが分かりました。
というのは、こういう中では隣の人が息をしていても、
その息の音は聞こえませんが、
先生と私が並んで歩いていたその時に、
私は先生の激しい呼吸の息の音をものすごく強く感じたのです。
☆
そのようにして、先生と私と女性食口二人が
共産党当局の内務省に連れて行かれました。
女性食口は二日目に拘束が解け、私は四日目に出獄しました。
先生だけを残すようにして、
ついていった人は全部帰ってきたのです。
☆
八十通の投書
先生は魔術をする人だといううわさが出ていました。
それは一般の教会で一生懸命やっていた
中心的な信者が、先生の話を聞いてからは
牧師のいうことを聞かなくなって、
何十年間も因縁をもってきた教会をきっぱりと切ってしまい、
すぐ私たちの教会へ来るようになったからです。
あるいは、どんなに仲のいい夫婦であっても、
また親子でも、いったん統一教会のみ言を聞けば、
そうした関係よりも統一教会と
深くかかわって離れようとしないからでした。
こういうことを考えると、この力はなかなか理解できないのです。
そこで、魔術師が催眠術をかけてこうなったのではないかと
考える以外に、理解する道がなかったのです。
特に、若い夫婦でありながら、夜になっても
近寄らないことを考えると、疑問でならなかったわけです。
ですから、統一教会に不倫な関係があるのではないか
という疑いも、そういうことから起こったのです。
☆
八十通の投書は、他の人ではなく、
キリスト教の牧師によって、反宗教、
反キリスト教である共産主義者になされました。
どうしてそういうことができるのだろうかと
疑われるかもしれません。
しかし現実に、
牧師たちは共産党に奉仕したのでした。
二〇〇〇年前のイエス様の時に、
ユダヤ教徒がローマと手を組んで、
イエス様を十字架につけたことを考えると、
全く違うとはいえないと思います。
この牧師たちは、自分の力では
先生を屈伏させることができなかったので、
共産党と手を組んだわけです。
共産党は四八年でしたから、
北に共産国家をまだ樹立していませんでした。
政治綱領では、集会、宗教の自由はありますが、
それは国際世論や国内世論を考えてのものでした。
I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「四八年二月二十二日拘束される」
「八十通の投書」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第三章 興南監獄での伝道
「四八年二月二十二日拘束される」
「八十通の投書」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
(※文中に「統一教会」とありますが、当時の平壌での
開拓教会は正式には統一教会ではありません。)
開拓教会は正式には統一教会ではありません。)
「牧師たちは共産党に奉仕した」
神様を信じている牧師と
神様を否定する共産党が手を組む。。。
こんなことが過去にあったのです。
いや、過去というか、現代においても、
拉致監禁を受けた立場として、私自身も
同じような出来事を経験しております。
「悪は徒党を組む」と言いますが、
思想・信条は関係なく、一つの目的を達成するため、
なりふり構わずに結びつくのです。
本当に悲しいことです。
お父様も真の道を歩んでいかれたにも関わらず、
その真意を理解されずに、
多くの迫害を受けたということを
改めて知らなければならないと思うのです。
最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓
※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。
なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。
なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。