2024年12月22日

自分の悩みがスッと消えた瞬間 良心は、絶対・癒し系 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム。
今回は、「良心の答えは『もっと愛しなさい』」です。

(男性 50代)

ある夜、仕事を終えての帰途、最寄り駅から
自宅に向かって歩いていた時のことです。

仕事においてもみ旨においても、いろいろと思い悩むことがあり、
内外共にいっぱいいっぱいになっている時で、
「知ってもらいたい、慰めてほしい」と、
あれこれ良心に報告しながら歩いていました。

すると、酒に酔っていると思われるおじさんが、
自転車をこぎながら私の横をフラフラと通り過ぎていきました。
「危ないな」と思っていたら、案の定、
私の目の前でパタンと倒れたのです。

なかなか起き上がれないようだったので、
駆け寄って助け起こしました。

「大丈夫ですか? 飲み過ぎたんですか?」と聞いたら、
「そうなんだよ、ありがとう」と言って去っていきました。

良心との対話を再開していると、程なくして、
また別のおじさんが自転車で追い越していきました。
すると、私の目の前で何かをポトッと落としたのです。
慌ててそれを拾い、「落ちましたよ」と声を掛けて渡しました。

良心との対話の途中でこのようなことが立て続けに起こるなんて
不思議だなと思っていると、
「もっと愛しなさい。おまえには救ってあげないといけない人が
もっといるんだぞ」という、良心からの明確な答えを感じたのです。

その瞬間、喜びというか、何とも言えない感動が
こみ上げてくるのを感じました。

同時に、自分の抱えていたいろいろな悩みが、
すっと消えていくのが分かりました。

その夜、お母様のお写真を見ながら祈っていると、
「進め」という言葉が与えられました。

人のために生きることで全ての問題が解決され、
天寶勝利を目指していく中で
全体にも個人にも解放の道があるということを確信しました。

私の心の中にいる神様 74
良心の答えは「もっと愛しなさい」


今日の証しを読んでいて、
「心霊が下がっている時ほど、
ために生きなさい、愛しなさい」
信仰の初期に先輩から、
アドバイスを受けたことを思い出しました。

先日、ケガのことを話したと思いますが、
やはり、み旨に投入できず、
なかなか混沌とする期間がありました。。。

しかし、ちょっとした妻とのやり取りだったり、
特に今は、徹夜精誠があるので、その場を通して、
いつの間にか、その思いも消え去り、
通常の状態に戻りました。。。

先日は、子供たちとドライブをして、
楽しい時間を過ごしました。

少し解放された中で、
再出発していきたいと思いました。
良心は、やはり、癒し系だと思います。

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2024年12月21日

「霊界があることを多くの人に伝えなさい」 病床で聞いた天の声 《北谷先生》 



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愛の力は、人間の体の痛みを超えさせる

北谷先生の証し
「霊界はある 霊人たちはいつも共にいる」
続編になります。


意識が回復したあと、私は霊界を清めるため、
「病室に天運石や孝情苑を持ってきてほしい」
と家族に頼みました。

自発呼吸が戻らない中、
医師が妻に、「術後14日を超えたら、
鼻マスク式の人工呼吸器は、外さなければなりません。
それまでに自発呼吸が戻らないようなら、
気管を切開して人工呼吸器を装着する必要があります」
と告げました。

奇跡的に、期限ぎりぎりで自発呼吸ができるようになり、
人工呼吸器は外されました。


次の段階は、自分で食べて飲めるようになることです。

私はずっと、喉に管を通されて栄養を摂取していました。
管を外してもいいかどうかは、
わずかな水を飲んでみて、きちんと
食道を通過できるかどうかで判断するということでした。

水滴が少しでも肺に入ってはいけないのです。

また、医師から、「できるだけ
たんを外に出すように」と言われました。

たんを出さないと、のみ込んだものが
肺に入る危険性が高まるということでした。

しかし、だんを出すためにえずくと、
ものすごく苦しいのです。
とにかく大変でした。


そのような中、妻や子供たちが面会に来てくれると、
痛みが和らぎました。
本当に不思議でした。

午後3時頃から6時、7時くらいまでの
3、4時間が面会時間で、
家族が手や足をさすったり、もんだりしてくれると、
痛みはずっと消えたのです。

私は、原理講師として、食口や伝道対象者に向かって
「原理」のみ言をたくさん語ってきました。

“万物は何のために存在するのか?
命を生かすために。

命は何のためにあるのか
愛を育むために”
というようなことを、
ある程度の実感を込めて伝えてきたと思います。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立ってみて、
「原理」が説いていることを
本当にそうだと痛切に感じました。


私は、妻が24時間、隣で一緒にいてくれることを願いました。
子供に対しても同じです。

しかし、病院では完全看護の体制が敷かれており、
面会時間しか一緒にいられませんでした。

わがままで恥ずかしい話ですが、
「こんなに希望しているのに一緒にいられないなんて、
この病院は何なんだ!」
と不平不満の思いがあふれました。

愛の方は、人間の体の痛みを超えさせます。
そのことを体験し、改めて、
“蕩減時代は終わった。
愛の時代、天一国の時代が到来した”
と実感しました。

人々の命を生かすため自らが命懸けで歩む

入院中、私は、霊界から真のお父様の声を聞きました。
それは、次の五つの内容です。

第一に、神様について正しく教えなさい。

第二に、真の父母について正しく伝えなさい。

第三に、霊界があることを、より多くの人に伝えなさい。

第四に、皆がみ言の実体になれるように、
生活指導をしっかりとしなさい。

第五に、どんなことがあっても、
神様、真の父母様を愛するように、親が
責任を持って自分の子供を育てるべきことを伝えなさい。


そして、私が壇上に立って証しをしている場面が、
たくさん出てきました。

私が生かされた理由は、"まだ霊界に来てはいけない。
やるべきことが残っている"
ということだったのだと思います。

リハビリ期間に抱いていた本音は、
『もし後遺症が残り、家族に迷惑をかけたり、
み旨を歩めなかったりしたら、
すぐに霊界に行ったほうがいい。
霊界でのみ旨が始まるだろうから』
というものでした。


そのような私に、日常生活が戻ってきました。
今もこうして、天のみ旨を歩めることが、
ただただ感謝です。

真のお父様に誓った、
「死生決断、全力投球」のみ言の実践。
それをずっと意識して歩んできました。

私が命を懸けなければ、人々の命は生まれ変わりません。
もう一度、そのみ言を実践するチャンスを頂きました。

全ての願いがかなう時代に入りました。


私たち一人一人は先祖を代表しています。
先祖を救い、一人でも多くの人に神様と真の父母様、
そして霊界を伝えていかなければなりません。

誰もが、いずれは霊界に行きます。
霊界で神様と真の父母様の前に立つとき、
「やれるだけのことはやりました!」
と、胸を張って言える、
今後の人生にしていきたいと思います。

神様と真の父母様、善霊界の導き、
そして、本部スタッフをはじめ、
多くの食口の皆様の祈りの協助があって、今があります。
心から感謝申し上げます。

World Family 2024.10
再編集 文責:ten1ko2


北谷先生の証しを読みながら、
「悔いのない人生を送らないといけない」
そのように思わされました。

愛の時代に入っていることを
実感しないといけないし、
実践しないといけないと思います。

そして、お父様が北谷先生に語られたように、
神様・真の父母様、そして霊界の存在を
正しく証しする者になっていきたい、と思うのです。


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2024年12月20日

この時オモニを偉大だと知りました 夫を刑務所に送った妻の日々は 《ダンベリー精神》



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真のお父様(文鮮明先生)をダンベリーまで
見送られた真のお母様(韓鶴子総裁)。

「ダンベリー精神」の続き、今日は
側近の方々の、お母様に関する証言です。

精誠の極みを尽くされた真のお母様

◆朴普熙氏(36家庭)
万古の歴史に稀に見る烈女


ダンベリー入監の期間中、(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉)先生に
力と勇気と慰めを差し上げた方は、
改めて言うまでもなく令夫人の韓鶴子(ハン・ハクチャ)女史であった。

令夫人はこの間、万古(ばんこ)の歴史にも稀(まれ)に見る
烈女(れつじょ)の伝統を立てられた。

入監の翌日から一日も欠かすことなく、
雨が降っても雪が降っても面会室に通われた。

令夫人が特に心配されたのは、
先生の周辺警護と食事の内容であった。……

令夫人は食べ物を持っていくことができないのを
非常に残念がられた。……

しかし、これらのすべてのことより大切で重要だったのは、
令夫人のこの上ない精誠であろう。

寒かろうが暑かろうが、あるいは夏だろうと冬だろうと、
たたひたすらに刑務所に駆け付けられた。

朝、面会に来られる頃になれば、
先生は外に出て自動車の到着を待たれる。
夕方帰られるときには、また外に出て
令夫人の車が見えなくなるまで見送られる。

文夫人が万古の烈女ならば、
先生もまた万古の“烈男”であった。

先生は朝5時になって祈祷を終えると、
すぐに公衆電話の所に行って
「オンマー(お母さん)!」と電話をされる。
これが毎朝の日課である。

この御夫妻の姿は、一時の熱烈な恋愛に浸っている
若い男女の間にしか見られない甘いロマンスを彷彿(ほうふつ)とさせる。

先生御夫妻は、この真の夫婦愛の精神を
一時だけではなく、一生にわたって生きられるのだ。

(朴普熙著『証言(下巻)』154〜155ページ)

◆史吉子女史(36家庭)
お父様ご不在の穴を埋めてくださった


真のお父様がダンベリーに行かれるとき、
真のお母様は、とても泣かれました。……

ところが、真のお母様は、真のお父様をダンベリーに送られて
帰って来られると、“いつ泣いておられたのか?”
と思われるほど、きぜんとした態度で、
沈着冷静に、このような内容を語られました。

「このようなときは、最善を尽くして、
真のお父様がいらっしゃらない分を、
私たちが埋めていかなければなりません。

気を引き締め、み旨の前に一糸乱れずに、
しっかりと歩んでいかなければならないのです」


感動的に、情熱的に、理論的にお話をされたのです。

私たちは、真のお母様が帰って来られたときに、
再び泣いたのですが、真のお母様が、そのように
落ち着いて冷静沈着にみ言を語られるので、
いつの間にか涙が乾き、真のお母様を拝見しながら、
新しい感動と決意がわいてくるのを感じました。

そして、“真のお父様がいらっしゃらなくても、
真のお母様は、空いた所を埋めてくださる
おかたであられる”という信頼感と尊敬心が、
わき上がってきたのです。

(『ファミリー』2003年4月号38ページ)

◆鄭元周補佐官(当時)
毎日ダンベリーに“通勤”


お父様をダンベリーにお見送りし、お一人で帰ってこられてから、
お母様は食口を集めて語られました。

「お父様は旅行に行かれるかのように、
 “行ってくるね”と言いながら笑って出発されました。
 本当にりっぱであられました」
と。

それからお母様は毎日、2歳の情進様を連れて
ダンベリーに“通勤”されたのです。

当時、お母様は子女様がたと共に、
聖地での徹夜祈祷をとても熱心にしていらっしゃいました。

孝進(ヒョウヂン)様も聖燭(せいしょく)祈祷を一生懸命なさいました。

お母様は正に、精誠の極みであられました。

そのときから始まったイーストガーデンの聖燭祈祷は、
スタッフによって一日も欠かさず、
今に至るまで続けられています。

(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2013年12月号45ページ)

ダンベリー精神 7
「神の召命に従い、信仰の炎を燃え上がらせよ」
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


本当に感動する証しです。

ダンベリーに堂々と入られた
お父様も立派であられますが、
お母様は、留守をただ守るという以上の
「精誠の極み」を立てられたとのこと。

イーストガーデンの徹夜精誠は、
孝進様が率先して立てられたと思っていましたが、
もちろん、お母様も共に立てられ、
孝進様がその精神を受け継いで勝利されたのでしょう。

その伝統が、現在、天心苑祈祷に
引き継がれている、そのように思います。

真の父母様の精神を受け継いでいく場が
与えられていることが、どれだけ貴いことか
本当に感謝いたします。


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