2024年12月06日

「死ね」と祈ったことがありますか? その苦悩を抜けるためには 《橘先生》



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橘先生の「続・夫婦愛を育む」。 今回は、
『感動させるとまではいかないけれど』です。


『日曜の初耳学』というテレビ番組で
米津玄師と林修の対談があり、石川啄木の短歌に話が及びました。

「一度でも我に頭を下げさせし人
みな死ねといのりてしこと」

なかなか強烈です。
人の心の底辺にあるような思いをさらけ出した文人。

その歌が、異なる分野で世に知られた
二人の心に残っていました。

そんな思いが分からなくもないからなのか、
さらけ出す度胸に感じ入ったからなのかは分かりませんが。

自由、多様性とうたいながら、他方でコンプラの名の下、
「〜べき」で縛られた窮屈な現代、
本音を出すのは結構な勇気が要るのではないでしょうか。

 
私たちのグループ(家庭連合)では、
天心苑祈祷の恩恵のもと、二世たちが赤裸々な証しをしています。

神様に出会って生まれ変わった彼らに恐れはありません。
復興しキラキラしている姿に、
新しい時代の到来と大きな希望を感じます。

真のお父様の聖和後、真のお母様が
二世教育に力を入れられた実りが、
天心苑祈祷の恩恵と相まって、豊かになっています。


一方で、婦人の中にはあまり元気でない人も見かけます。
子女のことで心を痛めているようです。

かくいう私自身、同様の理由で
へこんでいたこともあります。
そんな時、訓読していて心に残ったみ言がありました。


「皆さんはいつ、サタンから賛辞を受けるほどに
 神様を愛し、サタンをこの上なく
 感動させることをしてみましたか」

(天一国経典『天聖経』 第四篇 真の人間 普及版 430ページ)

 
「サタンを感動させる」

そんなこと自分には到底無理、と
はなから決め付け、これまではスルーしてきました。

今回も、“サタンを感動させる”ほどに、
神様を愛し、怨讐(おんしゅう)を愛する、
という崇高な世界で相対したのではありません。

サタンは愛の減少感から道を外しました。
ならば自分は寂しい思いに襲われても、
己の位置に踏みとどまろう、という
地を這(は)うような世界での相対です

(かつて久保木修己初代会長が、
最大の試練は愛の減少感だった、
と言われたのを記憶しています)。


「望みを得ることが長引くときは、心を悩ます」(『箴言』第13章12節)
とあるように、願いがかなわない期間はしんどいものですが、
そのしんどさに負けないよう、このフレーズが支えになっています。

きつい接し方をされた時、親しい人からKYな
(空気が読めない)ラインが来た時なども、
これで踏みとどまっています。


その後、こんなみ言にも出合いました。

「その背後で、神様が創造主としての体面を立てられず、
 恥ずかしい立場を抜け出せなかった事実を
 考えなければなりません」
(天一国経典『天聖経』 第四篇 真の人間 普及版 438ページ)

「神様が恥ずかしい立場を抜け出せなかった」…!

孤独な神様、囹圄(れいご)の神様、
涙する神様など、学んできました。

上記のみ言も過去に何度か読んでいるはずですが、
気に留めずに過ぎていたのでしょう。
正直、まだ消化できずにいる神様の姿。
折に触れ、反すうしていくかと思います。

私たちが親として感じるどんな苦悩や葛藤も、
お一人で感じてこられたであろう神様を思います。

橘 幸世 続・夫婦愛を育む 20
感動させるとまではいかないけれど
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=26021
(Blessed Lifeより)
一部割愛・再編集 文責:ten1ko2


橘先生が紹介していた石川啄木の短歌、
現代語に訳すとこうなるようです。

「一度でも自分に頭を下げさせた人は
全員死ねと祈ったこと。」

確かに、なかなか強烈な言葉です。
様々な恨みの思いや、負の思い、
原理で言えば「堕落性」の思いを
赤裸々に表現した、と言えるでしょうか。

その詩から、さまざまな思いを巡らしていきつつも、
最終的に、み言で整理していかれる橘先生。
やはり、さすがだな、と思います。

二世たちが復活している
天心苑祈祷を通じ、またみ言を通じて、
自身の思いを転換していきたい、と思うのです。



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