2025年01月31日

「統一歌会でもまれに見るいい男」と言われて… 祝福のマッチングでの不思議な体験 《大塚克己*自叙伝》



1978.09-1600.png
1610双のマッチングの様子


大塚克己UPF日本議長の、自叙伝より
今回は、マッチングを受けた時の証しです。


マッチングの場で、真のお父様の
心情に共鳴する不思議な体験


1978年9月、1610組のマッチングがあり、
全国から4000人近い未婚の青年たちが集いました。

私も候補者として、金沢から
マッチング会場(埼玉県神川村(当時))に行きました。

狭い会場に候補者がひしめき合って座っていましたが、
さらにあとからあとから到着するので、
私はあれよあれよという間に、
ステージの真ん前に押し出されていました。

私は日頃から、礼拝や集会などでは、後ろとか
隅っことか、目立たない場所で静かに聞いているのが好きでした。

にもかかわらず、否応なしに、最も苦手な位置、
一番前のど真ん中に座るはめになってしまったのです。

困ったな、居心地が悪いなと思っているうちに、
真のお父様が来られて、み言が始まりました。

すぐそばで語られるみ言を拝聴しながら、
私は不思議な体験をしました。

共鳴というのでしょうか、お父様の心情に合わせて、
自分の心情が自然に動じ静ずるのを、
はっきりと感じたのです。

イエス様の「わたしが父におり、父がわたしにおられる」
(ヨハネ14・10) という言葉は
こういう状態だったのかと思いました。


やがてマッチングが始まりました。

お父様は、そばに侍っていた日本の先輩家庭の一人に、
「伝道などの教会活動で、最も実績のある者から祝福しよう。
男性一人、女性一人を選びなさい」とおっしゃ いました。

こうして選ばれた女性が、
後に私の妻となる橋本多恵子さんでした。

お父様はすぐに、「たえこちゃん、いらっしゃい」
と呼ばれ、彼女が後ろのほうから歩いてきました。

実は彼女には、自分が最初にマッチングを受ける
という、直感のようなものがあったそうです。

それで、「そんな畏れ多いことがあってはいけない」
と思って、後ろのほうで人の陰に隠れていたのです。

ところが、お父様から直々に名前を呼ばれてしまい、
出てこざるをえなくなったのです。


お父様は、名前が挙がった2人の男女が合えば
マッチングしようと思っておられたようですが、
どうも合わなかったようです。

そして次の瞬間、お父様が
ばっと私をごらんになったのです。

これは私の主観ですが、そのときお父様は、
決して探しておられなかった、
私がそこにいるのを分かって振り向かれた、
という印象を受けました。

お父様と私との間で、
次のようなやりとりがありました。

「おまえは今、何をやっているんだ」
「はい、CARPの学舎長をしています」
「どこでやっているんだ」
「金沢です」
「じゃあ、来い」

こうして、私が多恵子さんの相手に決まったのです。
1610組の中の1組めの誕生でした。

このときお父様は私のことを、
「この男は、明るくてすなおで優しくて、
統一歌会(家庭連合)でもまれに見るいい男」
とおっしゃいました。

マッチングを受けると、
「よろしくお願いします」と挨拶をした後は、
もう何もすることがありません。

それで、会場の外から窓越しに、
他の兄弟姉妹たちのマッチングのようすを
見ながら時間を過 ごしました。


お父様のマッチングは本当に不思議です。

私の知り合いのある女性は、なんと、
彼女と同じ名字の男性と祝福を受けました。

実は彼女は養女で、その家名を
守らなければならない立場だったのですが、
お父様のマッチングで、図らずもそれがかなったのです。

私の知る限り、彼女と同じ名字の男性は
その場に一人しかいませんでしたから、驚きでした。


また、ある人が、自分が指されたと
思って立ち上がると、お父様は
「違う、その後ろ」などとおっしゃいます。

ひしめき合う男女の中から的確に
「一人」を探し出されるのです。

後ろにも目がついているのではないか
と思うほど四方八方にアンテナを張り巡らし、
霊界を完全にオーブンにしておられるように感じました。

再編集 文責:ten1ko2


神川工場でのマッチング、よく1610双と言われますが、
この時、大塚議長が第1号のマッチングなのは、
多くの方がご存じかと思います。

ただ、そういう背景があったというのは、
初めて知りました。

お父様が肉体と精神の限界を超えて、
精誠を尽くして行われた祝福。。。

今、御父母様が直接関わることがない、
そのような時代になりましたが、
祝福の価値は、変わることがないのです。


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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月30日

監獄にて 神様に命じられて、アメリカを掃除している?! 《ダンベリー精神 》



250123-1984-85.png


「ダンベリー精神」より、
お父様がダンベリーで
どんな生活をしておられたのか、
今回は、朴普熙先生の証言です。


◆朴普熙氏(36家庭)の証言
実生活と日常の行動がそのまま伝道であった


1984年7月20日に収監された文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は、
翌85年8月19日深夜に自由の身になられた。
正確には396日間であり、ちょうど13カ月の獄苦を受けたことになる。

実刑宣告は18カ月であった。
では、どうして13カ月で出監されたのか?

文先生はここでも万事において模範になられた。
収容所の中で最高齢の64歳の身でありながら、
この世の荒波にもまれて入獄してきた
若い囚人たちの模範となったのである。

そして模範囚の公認を受け、法規の定めによって、
刑期が3分の1短縮される特権を得られたのである。

 
文先生は言われた。

「私は北朝鮮の地上の地獄のような監獄でも
模範賞状を受けた。
アメリカの刑務所は北朝鮮の獄苦に比べれば楽園である。
私がここで模範にならなければ、話にもならない」



囚人たちはまず、この謙虚な文先生の人柄に驚いた。

地上を騒がす大物中の大物が入って来たので、
どんな人物か見てみようと思っていた彼らは、
その人格に接してすぐに全員が兜を脱いだ。

刑務所では伝道や説教はできない決まりになっていた。
けれども、その必要はなかった。
実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである。

囚人たちは、先生に割り当てられた労働を、
自ら志願して「自分たちがやります」と申し出たが、
先生はそれを絶対に許されなかった。
与えられた仕事は必ず自身でされた。
 
その仕事は、食事を準備する仕事であり、
食事の後に皿洗いをする仕事であり、
台所と食堂を掃除する仕事である。
そしてまた、便所を掃除する仕事である。

これらすべての責任分担を
一度もしかめっ面をすることもなく、
完璧にやり遂げられた。

「今この仕事をすることを私は神様に感謝している。
私がご飯を作って囚人たちに食べさせるとき、
私は神の子女たちを食べさせていると考え、
私が汚い便所や台所を掃除するとき、
私はこのアメリカを拭っていると考える。

ああ、感謝だ。
天は私に命じて私の民を食べさせ、
私の家とこのアメリカを掃除させておられるのだ」

 

▲お父様が使われた二段ベッドとキャビネット

夜は大抵、12時に就寝される。
早朝3時には起床して、
ベッドで背中を海老のように曲げ、
顔をベッドにつけて祈祷に没頭される。

そして5時になると台所へ出て、
囚人たちの朝食の準備をされた。

あるとき、刑務所の専属牧師であるグラハム牧師が、
「主日(日曜日)にはあなたの教会でも
礼拝を行うでしょうから、その時は
私の牧師事務室と祈祷室を使用してください。
どの時間がよろしいでしょうか?」と言ってきた。

そこで先生はすぐに、
「午前3時はいかがでしょうか?」と言われた。

グラハム牧師が驚いて、
「そんな時間に何をされるのですか?」と尋ねると、

「はい、われわれは午前3時に祈祷します。
そして5時に礼拝をします。
その時間には、アメリカでは祈祷する人が多くないので、
神様は私の祈祷を必ず聞いてくださるのではないでしょうか?」

先生はそう言って、微笑まれた。

グラハム牧師はいたく感心し、
「本物の宗教指導者を見た」といった面持ちで、
「もちろんですとも。
思いのままにお使いください」と答えた。

  
それ以来、先生は、日曜日になるとチャペル事務室に行かれた。
そこでもやはり床にひざまずいて、
海老のように背中を曲げた姿勢で祈祷された。

そして5時には敬礼式をされた。

いくらもしないうちに、この習慣を
他の囚人たちが知るようになった。
彼らは自分たちも敬礼式に参席していいかと尋ねた。

そして、彼らは代わる代わる参加し、
見よう見まねで先生と一緒に敬礼をして、
先生の涙の祈祷を聞くことを何よりの栄光と感じた。

このようにして、獄中の統一教会は
形成されたのである。

  
面会時間になると、ご家族や教会の幹部たちが
看守の机の所に行って身分証明書を出し、
先生の名前を告げる。

すぐに拡声器で、
「レバレンド・ムーン、面会があります」
と放送がある。

先生が面会室に来られると、面会室の人々は
事前協議でもしたかのように粛然となって敬意を表す。

他の面会者たちもしばらく会話を止めて、
先生のほうを見つめる。見守っている看守は、
ある時は起立までしながら、
監視者の立場ではなく保護者の立場に立つ。

先生は家族が立っている所へ来て、
令夫人と子女様がたを抱き締められ、
幹部たちとも握手され、上座に座られる。

こうして、その日の公務が始まるのである。

(朴普熙著『証言(下巻)』より)

再編集 文責:ten1ko2


『実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである』
お父様が歩まれた道、本当に素晴らしいです。

私たちが本当に実践しないといけないと感じます。
私たちは、真の父母様の実子であるとするなら、
父母様の道を相続しなけば、子女と呼ばれる資格はありません。

真の父母を証しする歩みをしていきたいです。


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2025年01月29日

発達障害の夫と心を通わせることは、できないのか 苦しい毎日です 《自己牧会Q&A》



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自己牧会プログラム
今回は、「お便り&コメント」シリーズ
『発達障害の夫と心を通い合わせるには?』になります。 

 
(女性 50代)

国際祝福を受け、家庭を出発して20年以上になります。

最近、夫(50代)に発達障害があることが分かりました。
身体的障害ではないため、長い間気が付きませんでした。

違和感を覚えながらも、文化や
言葉の違いの故だろうと自分に言い聞かせてきました。

夫にはもちろん、喜怒哀楽の感情はありますが、
相手の心情を考えるとか、計画性を持って
何かをするということが全くできません。

そんな夫と心を通い合わせることができず、
苦しい毎日です。
どうしたらいいでしょうか。


夫婦で情を通い合わせるのが難しい状況にあり、
ご苦労が多かったことと思います。

相手の不足な点だけに囚(とら)われて、
そのことだけをずっと考えていると、
「私はなんて大変なんだろう」
「どうしてこうなってしまったのだろう」と、
苦しみ続けることになります。

苦しみしか見えなくなります。

ですから、まずは
ご主人を否定することをやめましょう。

どんな人も神の子であり、
唯一無二の価値を持った存在です。

そんなご主人の本性を見詰め続けてください。

当たり前のことができなくても、
「それでいいんだ」と受け入れてみてください。

いったん受け入れると、それまで気付かなかった
神様の愛、人からの配慮、
恵まれていることが見えてくると思います。

真のお父様のマッチングは、
極と極を組み合わせるといいます。

「どういう相対が来たら、この人が幸せになるか」
「どういう子供が生まれるか」
「どういう組み合わせになれば、互いに長生きできるか」
 そういう観点で選ばれている相手です。

ですから、年数がたつに従い、
「この人が自分の代わりに、
家系の因縁を背負ってくれているのだな」
「ああ、この相対を通して守られてきたんだな」
 
こういうことが分かってくるはずです。
人生の終盤に至れば至るほど、それが見えてきます。

あなたは神様に愛されているし、ご主人も同じです。
それをずっと感謝し続けることです。

感謝できれば、共に喜び合ったり、
笑い合ったりすることが、少しずつ増えていきますよ。

そのようにして生きていきましょう。

私の心の中にいる神様 77
「お便り&コメント」シリーズG
発達障害の夫と心を通い合わせるには?
再編集 文責:ten1ko2


苦しみだけを見つめていたら、
心が苦しくなる・・・
確かにそうですね。

その人の本性というのは、
外的なことにあるのではありません。

また、外的においては、
人と比較対象するものではないと思います。

その人を愛する、ということは、
本性を信じ、大切に思うこと、
その原点に立ち返ることが
何よりも重要であることを感じるのです。

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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする