2025年02月23日

韓国語を知らずして、キリスト教もメシヤも知ることができない?! 《大塚克己*自叙伝》



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ICRF日本委員会福岡大会での大塚議長 昨年12月10日


大塚先生の自叙伝、続編になります。

韓国語を知らずして、真の父母様を
理解することはできないと悟る

私はまた、UTSで学ぶ中で、
韓国語の重要性を感するようになりました。

そこで真の父母様に、「韓国語ができないと、
真の父母様を正しく理解することはできません。

UTSの3年分の勉強を2年半で終えますから、
残りの期間、韓国に行って、
韓国語を勉強することをお許しください」
と申し上げました。

すると真のお父様が「そのとおりだ。行け!!」
と言って、激励してくださいました。

このような経緯から、当時一緒に学んだ学生の
ほとんどは、このコースを通過しました。

この期間、韓国語を学ぶことによって、
真の父母様の話し方、使っていらっしゃる
言葉といったものを知ることで、
より一層、真の父母様を
深く理解できるようになったと感じています。


「모시다」という言葉を例に挙げてみます。
日本語では「侍る」と訳されます。

これは、「主君にお仕えする」といった
意味合いが強いように感じます。

そして英語では、「attend」。
これには、「心を向ける、世話をする」
などの意味があります。

このように、成約の信仰において最も重要なこの単語も、
異なる言語に翻訳すると、微妙な
ニュアンスの違いがあることが分かります。


「모시다」にももちろん、「仕える」とか
「世話をする」などの意味もありますが、
それ以上に「お迎えする」という
意味が含まれていると私は捉えています。

再臨のメシヤを「모시다」と言うときには、
「自分の心の中に迎える」という
ニュアンスがあるということです。
これは、「侍る」や「attend」には欠落した概念です。


例えば、「侍る」や「attend」の感覚でもって、
天の父母様(神様)、真の父母様のために全てを捧げて働き、
その結果、めでたく天国が実現したとしましょう。
その場合、こうなるというのです。

「いや~、天の父母様、真の父母様、
良かったですね、天国ができました。
では私は失礼して、家に帰らせていただきます」

つまり、天国と自分の家は
別のところにあるということです。

ですから、真の父母様を、再臨のメシヤを
心の中にお迎えするという気持ち、
そういう生活を私たちの中に根づかせるためには、
「侍る」や「attend」では限界があるということです。

やはり「모시다」でなければならないのです。

これはほんの一例ですが、これが当時、
韓国語を勉強しながら、私が理解した世界です。


このように多くの恩恵を受けながら、
1996年にUTSを卒業しました。

私は卒業証書を持ってイーストガーデンを訪ね、
真の父母様にご報告しました。

するとお父様が、
「何を学んだんだ?」とお尋ねになりました。

私は、「真の父母様を2000年のキリスト教と、
キリスト教の世界的な基盤、 それをもって
判断すること、見つめることが
できるようになりました」とお答えしました。

すると間髪を入れず、「それだ!
私はそのように自分を見てほしいんだ」と叫ばれたのです。
びっくりするほど大きな声でした。

お父様は当然のことながら、単に、
韓国が生んだ偉大な宗教指導者ではありません。

キリスト教の2000年の歴史の背景を背負われた再臨主であり、
神様の6000年の復帰歴史を完成させるために
送られた人類の真の父母です。

そのような背景を持って生まれてきたということを
分かってほしいという意味であると、私は理解しました。

このようにして学んだUTSでの期間は
本当に楽しく、実り多いものでした。

それは、以後の私の牧会者としての人生に
大きな影響をもたらしました。

また、UTSで共に学んだ同輩たち、
あるいは先輩、後輩たちが
世界中で指導者になっているのも、うれしいことです。

再編集 文責:ten1ko2


韓国で歩んでいる6,500双の友人は、
「言葉のニュアンスで、心情が驚くほど
神様・真の父母様に近くなる」
と何度も強調されています。

大塚先生は、「侍る」という言葉を例に挙げていますが、
最近清平で、「モシム(=はべること)修練会」が出発したそうです。

祈祷の結びもホーリーマザーハンに「侍る」という言葉が加えられたように、
侍ることの重要性を改めて認識させられています。


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