2025年03月31日

心情の通じる相手がいますか? 風と共に去った人たち 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活」、
「自分を兄弟の中で育てる」より
2コマを紹介します。

授受できる人に会いたい

大先生でも、韓国でだれも信じないから、
非公式でアメリカに行くようになってしまいました。

大先生を全世界が知るより、韓国が知ったなら、
韓国から絶対出ていかないのです。
しかし、知ってくれないから、
アメリカに行ってしまったのです。

アメリカで知ってくれなければ、ヨーロッパに行く。
知ってくれる所へ行く。
こういうふうになっているのです。


皆さんもそうでしょう。
皆さんを本当に知っている人が恋しいでしょう。

自分を理解できない人、それが父母であれば、
父母であっても、その所へ行きたくないのです。

なぜかというと、この素晴らしい理念を知ってくれない、
知ってくれないのだから、血統的因縁はあっても、
心霊的には授受できないのです。

本当の授受ができる人を探しに、教会に来ているのです。

そこでもし、ここで探せなかったならば、
自分の父母を捨てたのに、損したことになるのです。

だからここで、自分の父母より立派な兄弟を
得なくてはならないようになっているのです。
損をしてはいけないのです。

父母より以上、授受できる兄弟を得なくてはならない、
信仰をもたなくてはならないようになっているのです。

心情の通じる兄弟をもとう

ある人は、「私は大先生だけだ。
私の教会にはだれとも授受する人はいない」といいます。

そういう傲慢な人がいますが、
その人は大先生とは関係ないのです。

大先生は、私たちの主体者になるはずがないのです。
大先生は、神様がいるのだから、神様との関係だけです。

大先生は、神様と一体となる秘訣を私たちに教えたのです。
教えたのに、その言葉でもって
自分自身を創造もしないで、
大先生(文鮮明先生)ばかりあがめていても、
それは偶像崇拝です。

自分をほっておいて、イエス様に
いくら侍っても、それは偶像です。

自分を再創造しないで、いくら神様がいるといっても、
それは関係のない話です。


生きた神様から、再創造の原理を私たちは知らされたというのです。
それを教えてくださった方が、大先生です。

この原理をもって、自分を創造しないで、
ただ大先生を恋しく思っても、それは怨讐です。
そういう人は、怨讐になるのです。

自分がまず、神様と一つになって、
「本当に原理によって自分はこうなりました。
ありがとう」、それが本当です。

だから皆さんは、自分の中にあるみ旨によって、
復活した心霊でもって成長するために出発したのです。

ですから今までの血統的因縁からみな離れていった理由は、
み言を中心とした兄弟を探しにいったからです。

その中で自分は、再創造されなくては
ならないようになっているのです。
そこで失敗したなら、かわいそうな人間になってしまうのです。

なぜかというと、父母も捨てた、
ここで兄弟は得られなかった、一人ぼっちになった。

どこへ行くか。風と共に去るのです。


だから他の宗教や統一教会に入って去った場合には、
自分の父母にも使い道のない人間になってしまうのです。

そのため、国家にも役に立たない人間になってしまうのです。
本当にかわいそうな人間になってしまうのです。

皆さんは、今、自分の父母や自分の血統的兄弟より以上の
密接な兄弟を、どれほどもっているでしょうか。

もっている人は、それが四位基台的な
位置を確立した人なのです。
離れられない因縁を中心として、
情的にまで因縁が結ばれる、これが難しいのです。

7.自分を兄弟の中で育てる
「授受できる人に会いたい」
「心情の通じる兄弟をもとう」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰

(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
再編集 文責:ten1ko2


お父様がアメリカに渡られた理由を
摂理的な観点ではなく、
心情的な観点で語られたのは、
ヨハネ先生ならでは、だと思います。

多くの人が、去っていきました。
拉致監禁で離れた何千名ものメンバーたちは、
どんな境遇でいるのでしょうか。

今も、天が愛し、心を痛めていることを
私たちしか理解できません。

真の父母様は、神様と一体となる秘訣を
私たちに教えてくださっている。。。

私たちが天と一つとなることで
成長していくことができる。
ヨハネ先生は「再創造」と言っていますね。

そういう中で、支え合ったり、切磋琢磨していく
神様を中心とした兄弟姉妹の関係が
どれほど貴いでしょうか。。。

昨日も、田中会長が語られていましたが、
「ホーリーマザーハン」の呼名祈祷をしながら、
今こそ、お母様と一つになり、
兄弟姉妹が結束していく時だと思います。


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2025年03月30日

祈祷しないとどうなるか? 堕落人間のシビアな現実 《ブログde説教*柴沼》



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柴沼邦彦・天一国特別巡回師による説教より
「祈祷と実践が両輪のようになったとき、
 心の門が開く 」の後半をお送りします。

祈祷しなくなると、心が世俗化する

お父様は、こう語られています。

「堕落した世界の堕落の習慣性が根付いている中で、
『私』を中心とした復帰の心情を中心として
習慣化させるというのは簡単なことではありません。
難しいことです。

一生にわたってしなければなりません。
それができなければ脱落してしまいます。
滑り落ちるのです。

一生懸命やっても根がないので、
浮き草のようになったり、押されたりして、
しまいには枯れて死ぬのです。

根を下ろすことができないのです。
それが習慣化されなければなりません。

早朝に祈祷をしていた人は、
早朝に起きて祈祷をしなければ
体がむずむずしてしかたがないのです。

運動をするのと同じことです。
習慣化されなければなりません。

面白くなくてはいけません。
どうして面白みもなく、それを
無理やり強制的にできるでしょうか」
(同178ページ)


私たちが祈祷しなくなるとどうなるかといえば、
心が世俗化します。

神と通じなくなるとサタンが侵害するので、
心が世俗化し、ために生きるという
気持ちがなくなり、み旨を歩む目的を失います。

そして、だんだんみ旨から離れていくのです。

み旨から離れていく人たちの
根本的な問題の一つは何かというと、
祈祷をしないことです。

祈祷が習慣化されていないので、
世俗を中心とした価値観に
だんだんとらわれていくのです。

それが堕落した人間の現実です。

 
ですから私たちには、祈りの重要性を
よく理解して歩むことが不可欠であると言えます。

私たちの祈りが、
「本当に神と一体となっていきたい!」
という叫びになったときに、
神と共にある本来の生活が始まっていくのです。

心の門を開くために必要な信仰生活

真の父母様は、神様と交流できる心の門が
開いておられる方です。

堕落人間はその心の門が閉じてしまったので、
私たちには信仰生活が当然必要になってくるわけです。

そういう点において、大事なことは、
私たち一人一人がまず祈りを通して、
心の門の存在を悟り、それを開く努力をすることです。

そして、その心の門の内側にいる神様の心情とは、
どういう心情なのかということを
理解する必要があります。

神様の心情と一体となって
物事が考えられるようにならなければ、
私たちは本当の意味で
神氏族メシヤとして出発することができません。

私たちが一生懸命伝道した人たちが、
教会を離れることもあるでしょう。
そのような人たちのために、神様は6000年間、
心を痛めてこられました。

神様は、裁きの思いを持っておられたのではありません。
ですから私たちも同じように、
ただひたすらその人々を
神の懐に帰したいという気持ちで祈らなければならないのです。

天一国特別巡回師 柴沼邦彦
(『世界家庭』2021年9月号)

天一国特別巡回師に聞く
神霊と真理に満ちた教会を目指して第24回
紙上説教 心の門を開けましょう
〜神氏族メシヤ勝利の道〜
A
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10219
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2




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2025年03月29日

神様、私に「最期の7日間」をください! 妻のささやかな願い 《浅川先生*いのちの言葉》



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久しぶりに、自叙伝書写講師、
浅川勇男先生のお話を紹介します。


小腸がんで入院した余命少ない病床の妻に、
「家に帰ったら何がしたい」と夫が聞いた。
夫は、妻の口から出た言葉をノートに書き留めた。

「神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください」

「一日目には台所に立って料理をいっぱい作りたい 
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ」

「二日目には趣味の手作り、作りかけの手織りマフラー 
ミシンを踏んでバックやポーチ心残りがないほどいっぱい作る」

「三日目にはお片付け 
私の好きな古布や赤絹どれも思いが詰まったものだけど 
どなたか貰ってくださいね」

「四日目は愛犬を連れて 
あなたとドライブに行こう 
少し寒いけど箱根がいいかな 
思い出の公園、手つなぎ歩く」

「五日目には、子供や孫の誕生日会 
ケーキもちゃんと11個買って 
プレゼントも用意しておくわ」

「六日目には友達と集まって 
憧れの女子会をしましょう 
お酒もすこし飲みましょか 
そしてカラオケで十八番を歌うの」

「七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょう 
大塚博堂のCDかけて 
ふたりの長いお話しましょう」

2019年1月、最愛の妻が他界した後で、夫は
「妻が願った最期の『七日間』」の題で新聞に投書し、
多くの人たちに感動を与えた。

妻の愛用の手帳には
「病気はみんな私が背負うから、
健康で長生きするのよ」と書いてあった。


愛し合っていても、必ず別れが訪れる夫婦とは何だろう。
夫にとって妻とは、妻にとって夫とは何なのだろうか。

「平和を愛する世界人として」の著者・
文鮮明氏は、言われている。

「夫は父の代身であり兄の代身なので、
血のつながった父を捨てることができず、
また兄を捨てることができないように、
夫を捨てることはできないのです。
妻もやはり同じです」
(自叙伝232P)

妻にとって、夫とは、父であり、
兄であり、息子であると意義づけている。

妻は、夫を父のように慕って甘え、
兄弟のように頼り、息子のように愛する。

「最期の7日間」の詩には、そんな妻の愛が込められている。

夫にとっても妻は、母であり、姉妹あり、娘なのだ。
夫は妻を通して、母の愛、姉妹の愛、
娘の愛、要の愛を受けるのである。
それが夫の最高の幸せなのだ。

同様に妻も、父の愛、兄の愛、息子の愛を
夫から受けることが最高の幸せなのである。


だが、本来の夫婦愛のすばらしさは、これだけではない。
文鮮明氏は夫婦愛の真髄を語られている。

「真の家庭はー夫は妻を神様のように愛し、
妻は夫を神様のように深くする尊敬する所です」
(自叙伝232P)

夫は、妻から神様の愛を受け、
妻は、夫から神様の愛を注がれる。
宇宙を創造した神様の無限の愛が注がれるのである。

浅川勇男
家庭円満を招く”いのちの言葉”
妻が願った最期の「7日間」
Sunday世界日報より
再編集 文責:ten1ko2





この内容は、
新聞の「投稿欄」に掲載されていたものです。

浅川先生は載せていませんでしたが、
最後の文章はこんな感じです。

『妻の願いは届きませんでした。
詩の最後の場面を除いて。
≪私はあなたに手を執られながら静かに静かに時の来るのを待つわ≫
容子。
2人の52年、ありがとう。』


本当に仲の良かったご夫婦なのですね。。


先のことを考えると、
いずれはどちらかが先に霊界に旅立ちます。

そして、ともに霊界において、
永生していくのです。

夫婦が一つになるように、
さらに努力していきたいと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする