2025年03月01日

死ぬほど苦労しながら、絶対死んではならなかったワケ 主の生涯が、まるごと原理試験 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼(ウォンピル)先生
「先生の路程は原理の道」

興南=十字架の道だといいます。
そのような死の路程を、
絶対死なず、生きて越えなければならなかった
再臨主、文鮮明先生でした。

 
金さんが誰か分かりますか。
最初伝道された金さんとは誰ですか。

(文鮮明)先生が牢屋に入る1か月前、既に死刑囚でありながら、
「絶対に死なない。
しかし、お前は南から上がってくる
青年の先生を迎える準備をしなさい」
と言われた金さんです。

その次の朴さんの話、分かりましたか。


ただ漠然と知っているだけではなく、
原理が分かるごとく、先生の路程で起こったことは、
はっきり知らなければいけません。

なぜならば、先生の路程は原理の道を
そのまま通っている路程であるからです。

先生の路程というのは、原理試験を受けるのと全く同じです。

先生の路程は、ちょうどアダム家庭を中心とする復帰摂理、
イエス様を中心とする復帰摂理と同じように、
個人から世界までのすべての路程の典型的な復帰路程なので、
最も大事な路程なのです。

いくらアダム家庭を中心とする復帰摂理の
意味がよく分かっていても、
先生の路程が分からないというのではどうしますか。

古い兄弟は牢屋のことだったら、
「あそこでこういうことをされた、ああいうことをされた」と、
それくらいしか分からないのです。

先生がそこで苦労されたという苦労自体が問題ではなく、
苦労は何を意味するのかということが重要なのです。

どのようにしてその苦労を勝利されたかが問題であり、
どういう心をもって苦労されたかが問題になります。

 
私たちは、たくさん決心していろいろなことをやりますが、
思いどおりにならないとそういうところでつまずくのです。

ところが先生は、そういう時にどういう気持ちで、
どのようにして勝利することができたのでしょうか。
それを皆様にお話ししているのに、全部忘れて、
ただ苦労されたということしか覚えていないのです。

先生が牢屋に入られて、12名以上の人たちが神の啓示を受け、
先生のお弟子になりました。
その中の2人を皆様に話したわけです。

その2人を伝道するために、
先生は生命を懸けて伝道されたことをお話ししたいのです。

 
まず、先生は先生御自身の苦労よりも、
先生を遣わして6000年の復帰摂理を完成させようとされる
神のことを考えられたのです。

先生は御自身の運命はいくら変わっても構わない、
しかし先生を通じて6000年の復帰摂理を完成せしめようとする
神の願い、先生が命をなくすことによって
神の摂理が延長されたらどうするのだろうか
ということを考えられたのです。

先生は、死ぬほど苦しむようなことがあってもいいけれど、
命が絶たれるようなことがあってはならないと考えたのです。

普通の人は死にたくないと思うのでしょうが、
その心と全然違うのです。

イエス様が十字架にかかる前に、なるべくなら死の杯を、
十字架を免れさせてくださいと祈った心と同じものです。

 
その次に、メシヤの使命がいかに難しいものか
ということを皆様にお話ししました。

記憶していますか、先生御白身が言われたことをお話ししました。

他の人を苦しませるよりは、かえって先生が
苦しむ方がいい、と考えたのです。

ですから先生のためではなく、その人のために決意したのです。
そこが違います。
自己中心ではないのです。
その精神は先生の路程に一貫してみなぎっているのです。


例えば、問題児ばかりのチームを率いるリーダーがいるとしましょう。
ほかのチームはメンバーが良く、うまくやっています。

「そこを私がやれたらいいなあ」という心が出てくるでしょう。
しかし、先生の精神を受け入れるならば、
どんな考えをするようになるのでしょうか。

もし私が難しいといってここを離れたら、
誰かが私の代わりにこのチームをリードしなければいけません。
私はこの六か月あるいは一年このチームでやってきた。

もし、今私が離れたら、次の人は事情が全然分からないから、
私が苦しんだ道を、その人はまた
繰り返して苦しまなければならないだろう。

それならば、私が苦しみを勝利していく方がいいだろう。
その人を苦しませないために、私はもっと苦しんであげよう 
こういう気持ちになれるというのです。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道「先生の路程は原理の道」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


『人よりもっと苦しむ者となろう』
というのが、真のお父様の精神哲学です。

私の堕落性は、人よりもっと楽に生きたいし、
楽に勝利しよう、という思いがあるのです。

真の父母様がそのような道を行かれるのなら、
私も同じ道を行かせていただきます。
そのように言える歩みを捧げていきたいと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 11:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする