2025年04月03日

ご飯粒一つが地球より大きい! 「食べ物がメシヤ」の死の収容所で 《金元弼先生のベストアンサー》

分け合って食べた、はったい粉の味が忘れられない


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ご飯一粒が地球より大きい、そんな死の収容所で、
若き日の再臨主、文鮮明先生は
どのように過ごされたのでしょうか。

金元弼(ウォンピル)先生のみ言の続きです。

御自分のものを与えられる先生

先生は牢屋の中で話をされませんでしたが、
不思議なことに、牢屋の人たちが非常に心を引かれて、
いつでもどこでも先生について来る人がたくさん現れてきました。

刑務所では、先生を要注意人物としてチェックしており、
囚人にもっと御飯をあげるということをえさにして、
先生のすべてを尾行し情報を採るスパイを付けたのでした。

牢屋では、食べ物がメシヤです。
ですから食べ物をあげたら何でもやるのです。


牢屋の中で、先生が誰だか全然分からない人に、
幻の中で先祖あるいは白いおじいさんが現れて、
お告げをしました。

自分の家から食べ物の差し入れがあると、
「お前、何号室にいる五九六番に、
これを持って行ってあげなさい」と命令します。

それで先生は全然知らない人から
いろいろな食べ物とか、いろいろな贈り物をもらいました。


先生はその人に何かを返さなければならなかったので、
私たちの所に手紙を出して、着物やら、
米の粉などの食べ物やふとんを送ってほしいとお願いしてきました。

その当時、平壌には信仰を固く守っている
霊能者のおばあさんがいて、いろいろな物を準備して差し入れたのです。

先生はそれを受け取られると、
そういった人たちに全部分け与えました。

次の面会の時に、その着物を着ていらっしゃるだろう
と思って行きますと、前と同じくつぎあての古い服を
着ていらっしゃるので、「これは本当に
届いていないのではないか」という疑いをもちました。

ところが先生は、さっきお話ししたように、
朴さんとか金さんとか十二名のお弟子様に全部分け与えたのでした。

この人たちは、騎手とか技士、軍人などで、
それぞれ先祖から、天から直接啓示があった人たちです。


刑務所では食事が少ないため、世論の風当たりもあったので、
外から親戚や父母たちが差し入れするのは許可していたのです。

獄中では食物が差し入れられると、
他の人が食べてしまわないように、
その人は眠る時もそれを枕にして眠るのです。

さらに牢屋の中では、差し入れの物を隅に置いて
監房を出ると、出ている間に全部盗まれてしまう
ということも起こりました。

牢屋の中にも泥棒がいます。
理解できますか。
牢屋の中にも泥棒がいるのです。

外から食べ物が入って来ると、それは
部屋の中に置いておくようになっていますから、
それを泥棒して食べるのです。
ですから眠るときには、枕にして寝るのです。


ところがあるとき、先生がそれを部屋の隅に置いていたら、
相当(の食べ物が)なくなりました。
食べ物がどれくらい残っているかは、
先生よりも周りの人たちがよく知っていました。

自分に関係ない食べ物であるならば、興味があっても、
どれくらい残っているかはよく分からないものです。
先生は召し上がる時には必ずみんなと一緒に食べられます。

そのためメンバーたちは、先生のものというよりも、
私のものだ、という考えをもつようになっていました。

ですから、今これくらい残っているはずなのに、
もっと減ってしまったということが、
先生よりもよく分かったというのです。

その人たちはおなかがすいていたので、
だんだんそれが減ってなくなっていくと寂しくなったのです。


彼らは誰がしたのかよく分かっていますから、
「その人をやっつけようと思います。
いかがですか」と先生に訴えたのです。

先生は何も言わずに黙っておられました。

なぜ囚人たちはやっつけようと考えたのですか。
それは先生のものではなく、自分のもののように考えて
「私のものがなくなった」と考えたからです。
ところが、実際は自分のものでないから、先生に聞いたわけです。


先生はその人を全然罰しませんでした。

夕方になり、食事が全部終わって寝る前の時間のことです。
先生は全員を座らせて、食べ物を真ん中に置き、
泥棒した囚人に器をあげながら、
「お前が食べたいだけ盛って食べなさい」と言われました。

周りの人たちは、非常に不満でなりませんでした。
罰を与えると思ったのに、
かえってその人にばかり与えようとされたからです。

ところが彼は以前に取って食べた負債から、
頭を下げただけで手を出すことができませんでした。
彼はそれを持って行こうとはしませんでした。

すると先生は器にいっぱい盛って、彼にあげました。

自分が悪かったということは、自分自身で分かるのです。
ですから、自分が誤っていることを
その人が悟っている時には、責めるものではありません。

先生のようにもっとあげると、その人は
しかられるよりも何百倍もの感謝で受けるようになるのです。


先生は、そういうふうに一緒に生活しておられましたが、
天から見れば、その人たちは本当は
先生と一緒に座ることも許されないのです。

霊通する人の体験を聞いてみるとそういうふうに教えてくれました。
「先生の足に土を付けてはいけない、
付けさせてはいけない」というふうに教えてくれたのです。

しかし先生はそういう立場、状況においては
その人たちと一緒に何の区別もなく生活されました。

平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「御自分のものを与えられる先生」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


受けたものは、必ず返す。
そのように徹されたお父様でした。。。

また、人の罪の問題を、どのように悔い改めさせるか、
そのことも実践して、見せていかれました。

一般的には、『あなたはここが悪い』と言って質すのですが、
お父様はそうではありません。

極限の状態でも、裏も表もなく
真の愛の動機で出発しているので、
人に何か与えることが、自然に
心からできるのですね。

所有観念がないといいますか。
もらったことは忘れられずに必ず返そうとされますが、
しかし、与えても、忘れてしまう。。。

食べ物を盗った人のことを
責めもしないで逆にもっとあげたのは、
白状させるための作戦、というよりは、
本当に喜んでされたのでしょう。

どんな罪人に対しても、
真の愛をもって接していかれるお父様。。。
改めて敬服しつつ、感謝してやみません。


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posted by ten1ko2 at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする