2010年09月06日

統一教会人の誇れるもの(2)

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アダムとエバが裸でいても恥ずかしくなかったとあります。
隠し事のない、お互いが信頼しあっている関係なのです。
しかし、堕落することによってお互いが信頼することの出来ない関係になってしまいました。
神様を中心とした結婚をすることが出来なかったアダムとエバは、
お互いの裸が恥ずかしくなり、いちじくの葉をつづり合わせて腰に巻いたのでした。

私たち統一教会人は、相対絶対主義を主張します。
相対とは、相手のことです。
特に結婚した夫婦の関係では、配偶者のことになります。
夫と妻の関係は絶対的な関係であるということです。

相対関係は絶対的な関係であり、すべてが
愛の完成のためにペアシステムになっているというのです。


すべての被造万物はペアシステムになっているのです。
鉱物世界もそうであり、動物世界もそうであり、人間世界もそうです。
なぜ主体と対象になっているのですか。
真の愛の完成のためです。
主体と対象なくして愛を中心として完成できません。
公式です。
「宇宙の根本」より


ですから夫婦の関係も絶対的な関係であり、夫婦以外の異性に対しては、
兄弟姉妹という観点で見つめることが出来るのです。

文鮮明先生は「生殖器の主人は配偶者のものである」と言われ、
絶対「性」を強調されます。

教会長がかつて住んでいた田舎で、何十年ぶりの同窓会があり、そこに参加したそうです。
家を買ったとか、こんな車を買ったとか、
子供がこんな学校に入ったとか、自分たちの自慢話をしている時に、
教会長が
「私が統一教会の牧師として自慢できることは何か。
 それは、生涯貞操を守ること、生涯妻を愛すること」と話したら、
同級生の女性たちが「うらやまし〜い」といった目で教会長を見たそうです。

私たち統一教会人は夜何時に帰ってきても、朝何時に出発しても、
夫(妻)のことを信じることが出来るというのです。
しかし、世の中においては、夫(妻)がどんな生活をしているか、
何でこんなに夜遅く帰ってきたのか、誰か他の女(男)がいるのではないか、
信じることが出来ない夫婦関係があるというのです。

夫婦関係において、お互いを信頼することが出来る関係、隠し事のない関係、
これは統一教会の誇りだと改めて思いました。

全く記事とは関係がありませんが、こんな風に夫を迎える妻がいるなんて、
これも愛情表現なのかと笑ってしまう夫婦を歌にしたものを見つけました。
実話のようです。




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posted by ten1ko2 at 18:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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