2010年11月14日

涙の説得をする家族と、永遠の神様との葛藤の日々〜私の拉致監禁体験記(11)〜


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両親と弟の3人で、私が寝ているベッドの周りを囲んで話が始まった。

「こんなところでこんなことを誰もやりたくはない。でも仕方がなかったんだ」
監禁の正当化を主張してくる。

私が話に相対しない(聞く耳を持たない)ので、弟がいらいらしてきたようだ。
私は何を話したとしても、全て牧師に報告がいくのだから、
余計なことは話さないようにしようと決めていたので、最初の頃はろくすっぽ、口を聞かなかった。

ある意味、作戦の一つだったのである。
いずれ偽装脱会する時に、自分の印象を変えることも一つの手かも知れない、
そう思ってわざと心を閉ざすようにしていたわけだ。

弟が次第にじれったくなってきたようで、
「兄貴が何にも話さなかったらずっとこのままだぞ」とか、
「俺は兄貴のために一年でも二年でもここにいるつもりだよ」と脅してくる。

「今まで5年間どんなに苦しんできたかわかるか、一日もお前のことを忘れたことはなかった」
母が涙ながらに訴えてくる。

真実の言葉だと思う。
私自身は逆に親に対して、どれほど真剣に考えてきたのだろうか。
でも私は家族を導くためにいろいろ努力してきたではないか。
5年間、特に母を導くために様々尽くしてきたが、反対に向こうのわなにはまってしまい、
監禁されることになってしまったではないか。

心の中で、葛藤が続いた。

父も涙ながらに訴えてくる。
子どもの頃の話、先祖の話も出てきただろうか。
普段、寡黙な父がこれだけ熱を入れて話したことが過去にあっただろうか。
もし監禁されていない状況であれば、熱弁をふるう父にとても感激したに違いない。

3人は私を脱会させるために必死なのだ。

親を導くことが出来なかったという観点においては
失格のレッテルを貼らざるを得ません。
しかし、反対派につながった立場の親族を導くと言うのは簡単ではありません。

監禁下では、上記のような場面が必ず出てきます。
親の発言もその通りでしょう。

かつて山崎浩子さんが親族に説得されて脱会しましたが
監禁されてまもなく、お姉さんの
「今まで、どれだけあなたのことを考えてきたかわかっているの?」
という涙の訴えで、ほとんど気持ちがひっくり返っていたといいます。

私の足りなさ、過去の負債を感じることで
自分の心をマイナスにするのではなく
私が神様とつながらない限りは
親も親族も永遠に神様につながることができないんだ
という気持ちの切り替えをしながら
未来を見つめながら、臨まなければならないと思います。


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タグ:拉致監禁
posted by ten1ko2 at 07:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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