昨日は、父の16回目の命日でした。
父が亡くなったのは、私が1994年10月に拉致から逃れて、
偽装脱会をしてから、わずか3ヶ月足らずの出来事でした。
私が教会に戻ってから、父はすぐに仕事に戻ることが出来ませんでした。
年が明けて、仕事に復帰したその日、
自転車で出勤する途中に車にはねられてしまったのです。
拉致監禁を受けた者たちは、様々な試練を通過します。
そのうちの一つに、偽装脱会して教会に戻るしか道がないということです。
そして、そのことによって「もう親とは会えなくなるかも知れない」
という思いが、心に重く圧し掛かってきます。
この試練は簡単ではありません。
(偽装)脱会の決意をしたあと、軟禁状態になった時、
父が銭湯に連れて行ってくれました。
そこで、湯船につかりながら、
「身も心もさっぱりするとはこのことだ」
と嬉しそうに話していました。
そのあと、「これが最後かも知れない」
と思って、父の背中を流しました。
そして、本当に最後になってしまったわけです。
昨日の夕方、教会長が「一緒に風呂に行きませんか」
と誘ってくださいました。
年末、様々と忙しかった私を慰労してくださるために
声をかけてくださったのだと思い、『スーパー銭湯』に共に行きました。
しばらく湯につかっていると、今日が父の命日であり、
父と風呂に入ったことを思い出しました。
教会長は、教会では父の立場ですから、背中を流そうと思い立ち、
一度体を洗ったであろう教会長に
「背中を流させてください」と背中を流させてもらいました。
大きな背中を流しながら、父が喜んでいる感覚にさせられました。
同時に教会長の背中が、真の父の背中のようにも思えました。
教会長が何気なく私に誘ってくださった銭湯で、
とても貴重な体験をさせていただきました。
神様が与えてくださった配慮であると感じざるを得ません。
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