私の拉致監禁に携わった牧師とのやり取りのひとつを紹介します。
「原理講論の42ページを開けてください。
『無形にいます神の神性は、・・・そこでパウロは』
とありますね。ロマ書の1章20節を開けてください。」
私が、聖書を読んでいきます。
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、
天地創造このかた、被造物において知られていて、
明らかに認められるからである。
したがって、彼らには弁解の余地がない。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、
感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、
その無知な心は暗くなったからである。
彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、
不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や
這うものの像に似せたのである。」
1章21節「なぜなら〜」から23節までは、
普段読まない箇所ですが、ここで出てくる「彼ら」というのは、
神様を崇めずに、偶像崇拝をする人たちのことを言っています。
ここで牧師はなぜだか、日本の偶像崇拝について、話し出しました。
「日本の神は偶像崇拝だし、恨みの神です。
なぜなら、恨みを持って死んでいった人たちを祭ってあるのですよ」
どういう意味かとするなら、「日本の神」というのは、天皇であり、
その天皇を神と崇めているから、「偶像崇拝だ」というのです。
さらには、「恨みを持って死んだ人を祭る」というのは、
靖国神社のことを言っています。
私はこのように言いました。
「私は、この前、靖国神社に行ってきました。
日本のために命をかけて戦い、死んでいった学徒出陣の学生たちの
写真や、家族に残していった手紙を読んで感動しました」
すると牧師の顔つきが変わり、このようなことを言い出しました。
「日本と天皇のためだと思っていない人、
クリスチャンだってここに眠らされているのですよ!」
と憎しみを持った口調で答えが返ってきたのです。
私は、「この人は、牧師なんだろうか、
天皇制を批判する左翼思想家なんだろうか」
と思ってしまいました。
この牧師は、日本基督教団に所属していました。
日本基督教団には、
「靖国・天皇制問題小委員会」「部落解放センター」
というものが存在しています。
何か、神様を中心として考えると
「ちょっと違うんじゃないか・・・」
と思うような思想が見え隠れしているような感じがするのは、
私だけではないでしょう。
神様が人類を愛するように、キリスト者として、
天皇を愛する立場だと思うのに、
顔つきが変わってしまうのは、いかがなものか、
と牧師と話しながら思ってしまいました。
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