2011年03月23日

日本の震災を通し、積年の恨みも解けた中国人の証し


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「これぞ日本人」中国人20人を救出した佐藤充さん - Ameba News
下に内容を記載

今回の地震を通して、世界から様々な応援が届いています。
義援金や救援物資が届き、人的援助も行われています。
1000年に一度とも言うべき大災害に見舞われ、
その困難を越えるために忍耐し、秩序性を持って乗り越えようとする姿に
感動と賞賛と激励の声があがっています。

ある婦人からこんなことを聞きました。
中国人の男性と祝福を受けて、
中国で家庭を出発している方から連絡があったといいます。

その方は、中国にわたって数年経ち、様々な人と交流しているそうですが、
かつて、第2次大戦のときに、従軍慰安婦として、
多くの傷を受けたお婆さんと交流しているとのことでした。

会うたびに日本の恨みつらみをいうので、
胸痛い思いを持ちながら、
「本当に申し訳ありませんでした・・・」
と謝罪せざるを得ないといいます。

地震のあと、そのお婆さんと会う機会がありました。
そのとき、思いもよらない言葉が返ってきたそうです。

「地震によって、日本の人たちが苦労している姿を見ました。
この人たちの姿を見て、私が受けた傷が吹き飛んでしまいました。
これからは、昔のことを言いません。
もう忘れました」

おばあさんは、地震で被害を受けている人たちの姿を見て、
過去の傷がいやされ、恨みを解いたのです。

 いざという時こそ、人の真価が問われる。11日に発生した東日本大地震で、自らの命を顧みることなく、中国人研修生20人を助けて、自身は津波にのみ込まれて亡くなったと見られる日本人男性が、中国など世界で広く報道され、その命を惜しむ声が今でも止まない。

 この男性と同じ国・日本に生まれたことを誇りに思う。この男性とは原発基地もある宮城県・女川の水産加工会社「佐藤水産」の佐藤充専務のこと。

 中国の各メディアによると、同社には、20人の中国人を研修生として受け入れている。地震発生時には、「津波が来る」と寄宿舎の研修生たちを高台に先に避難させて、その後はもう一度寄宿舎に戻り、家族を捜しに行ったのだという。

 だが、研修生たちが佐藤さんの姿を見たのはそれが最後だったという。佐藤さんと家族はまだ行方がわかっていない。

 「あなたのことは絶対に忘れることはない」「災害の前には、国を超えて我々は人間なのだ」「愛に国境はない」などと、報道では称賛の言葉が並んでいる。


佐藤さんのことは、中国でも感動を生んでいるそうですから、
先程のおばあさんも、聞いたのかもしれません。
いずれにしても、忘れようもなかった恨みが、今回の震災を通して
解けていったということです。

多くの人が、世界中から日本のために祈ってくれているのでしょう。

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