2011年06月14日

放蕩息子を愛する神様(ヨーロッパ巡回での証し)



bykql[1].jpg
☆ドイツでの訓読会☆


ヨーロッパ大会での出来事です。

古くから教会にいる方がヨーロッパで生活しているので、
文先生は、その人と会うことを楽しみにしていたと聞きました。

先生は、ずっと待っておられました。
しかし、待てども待てども一向にやってきません。

そして、その方は来られました。
いつ来られたのかというと、
文先生が最後の大会をされたドイツに来られました。
しかも、最終日の訓読会に来られたそうです。

もしかしたら、
先生から与えられた責任に対して、
出来ていなかったのかも知れません。

それとも、何か個人的に負債があり、
正しく信仰生活が出来ていなかったのかも知れません。

家庭や個人の事情があり、
それを優先してしまい、
最後の日だけ参加したのかも知れません。

いずれにしろ最終日だけ来られたのです。
そして、先生は、その人の姿を見て、
叱られたといいます。

先生は、その方に対して、
このように語られました。

「あなたの力で後孫を愛して、
いくら頑張ったとしても、
後孫が良くなると思うな。
天運とともにすることは、
もっと大事なんだ」


先生は、息子と会いたくてたまらなかったのです。
その気持ちをわからずに
自分の立場ばかりを考えて、
親と会うことを躊躇していました。

逆に言えば、叱られるような子供であってこそ、
そういう子供ほど、来て欲しいのが親の姿なのです。


聖書に放蕩息子のたとえ話があります。
親からもらった財産を使い果たして、
結局帰るところは、親のところしかないと思い、
家に戻ったとき、どれほど父親は喜んだことでしょうか。

財産を使い果たしたことを叱るのでなく、
帰ってきたことを喜んだ親の姿がありました。


私たちは、自分の姿だけを見て、
神様の立場、親の立場をわからなくなることがあります。

しかし、自分の事情を優先すればするほど、
親と遠く離れてしまうのです。
親は子供と会うために精誠を捧げているのに、
子供は自分の姿ばかりを考えて、
親と会うのをためらってしまう。

やはり、親の姿、親の気持ちを悟り、
自分が大変なときほど、親を求め、
そして天運を受ける私とならないといけないのだと思います。


応援のクリックを!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村




posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世界巡回路程2011 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック