2011年07月26日

「過ちは謝罪すべき?!」戦争謝罪問題を考える


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今日は普段あまり書かないことを書きたいと思います。
以下の内容はあくまでも個人的意見でありますので、
その点をご了解いただければと思います。

自分が悪いことをしたと自覚した時、
素直に過ちを認めることは当然のことです。

しかしそれをすることが難しい出来事があります。
そのうちの一つに戦争責任という問題があるでしょう。

第2次世界大戦において、日本は敗戦国家になりました。
基本的に敗戦した国家は、
それ自体が過去を清算した立場になるのだと思います。

しかし日本は、過去に植民地化した国々に対して、
謝罪せざるを得ない立場になりました。

公式的な立場で何度か謝罪しましたが、
相手側は納得せずにさらに謝罪しろといいます。

このようなケースは稀なのだといいます。
欧米帝国主義国がかつて植民地にしていた国に、
謝罪したことはほとんどありません。
また、人類史上下劣な戦争であるアヘン戦争においても、
中国共産党の要求にも関わらず、
イギリスは公式的な謝罪をしていません。
もっと言えば、原爆を投下したアメリカは、
日本に対して未だに公式的な謝罪をしていません。

日本が謝罪する立場になっているのは、
神様が再臨主を誕生させた国、
韓国に対して植民地化したことと
何か関連があるのではないでしょうか。


かつて、イエス様を十字架につけたのは、
同じ民族であるユダヤ人でした。

ローマ帝国第5代ユダヤ提督のピラトは、
裁判でイエス様を断罪しませんでした。
しかし、ユダヤの大祭司や議員を始めとし、
全ての観衆たちが「イエスを殺せ」と叫びました。
その声があまりにも激しかったので、
彼は手を洗って、こう言いました。

『この人の血について、わたしには責任がない。
おまえたちが自分で始末をするがよい』
(マタイによる福音書 第27章24節)

すると民衆はこう言ったのです。
『その血の責任は、
われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』
(同25節)

まさに責任は子孫の上にふりかかりました。
結局、神の子を十字架につけたが故に
ユダヤ人の歴史は苦難と迫害の道を
行かなければならなかったのです。


日本が謝罪問題で未だに解決できていないのは、
このようなことと関連するのではないでしょうか。


「神様は、
サタンに対して刀を持つのが易しいでしょうか?
許すのが易しいでしょうか?
怨讐になったことに対して、
それがないように対さずしては
復帰摂理それ自体がありえないのです。
そこに「怨讐を許しなさい」という言葉が出てきたのです」


7.23の訓読会のみ言葉 @lovintp より


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