11月20日午後10時48分,病気のために聖和されました。
享年72歳でした。
以前、教会のメンバーが霊界に旅立つことを「昇華」と
呼んでいましたが、最近、文先生が「聖和」という名称に
変更するよう、指示をされています。
ちなみに桜井先生の生年月日は陽暦:1939年10月25日ですが、
聖和された日が、天暦で10月25日だったということです。
桜井先生は、私の所属する教会に来てくださり、
礼拝説教を何度かしてくださったことがあります。
その中で、いつも語られたのは、
文先生が日本を愛される姿でした。
数年前の説教ですが、記憶を辿りつつ、
印象に残っている証しを紹介したいと思います。
☆
文先生が、1991年にご来日された時の証です。
大阪でみ言葉を語られた後に、
新幹線で東京に向かわれました。
途中、京都駅のホームに人だかりがありました。
文先生の乗った車両近くに多くの食口が
文先生を人目見ようと、待ち構えていたというのです。
みんな、涙、涙でした。
本部教会に到着された後、
同行された36家庭の先生方が、
「日本の兄弟たちは、みんな涙、涙で
お父様を慕っていますね。
何と深い心情、信仰を持っているのでしょうか」
と文先生に話をされました。
その時、文先生は、ポツリとこう言われました。
「君たち、原因があって結果があるんだよ。
先生ほど日本の食口のために涙を流した男はいないし、
先生ほど日本民族のために涙を流した者はいないんだよ」
☆
「日本に対して誰よりも涙を流された文先生」
このことを聞いた時、
旧本部教会で文先生がいつも祈っておられた
祈祷部屋のことを思い出しました。
祈りを捧げるところには、
日本を代表する歴史的建造物である金閣寺と
李舜臣将軍が日本軍と戦った時の亀甲船の模型があります。
つまりは、日本と韓国が一つになって
神様の願いを果たすことを、
祈り続けたのです。
床が涙に濡れて水浸しになり、
水滴が下に漏れたという逸話があるくらいに、
涙を流して祈りを捧げていかれた文先生でした。
このことは昔も今も、変わらないのだと思います。
☆
桜井先生は、教会に初めて来た時に、
後に奥様となられた節子婦人から原理講義を聞いたそうです。
その時を振り返ってこんなことを話しておられます。
「…それから松涛本部を訪ねて原理講義を聞いた。
ヘア・バンドのかわいらしい人が講師であった。
その人が後に自分の相対者になろうとは、
神のみぞ知るところであったろう。」
桜井先生、心からご冥福をお祈りいたします。
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桜井先生が聖和されたのですね。
知れて良かったです。
私も以前桜井ご家庭と同居したことがあり、この話も直接御伺しました。
日曜日の朝、敬礼式を一緒にさせて頂きご夫妻共々から沢山の愛を頂きました。
本当に素晴らしいご夫妻で、その姿を見ながら私もこういう夫婦になりたいと思いました。
桜井先生から、最後に頂戴した御言葉は、『無駄飯を食うなよ!!』でした。
私の健康への配慮の愛情あるひと言を鮮明に記憶しています。
先に霊界に行かれ、お父様を霊界でお迎えする準備に忙しい日々をこれからも送られることと思います。
霊界でのご活躍を心よりお祈り致します。aju
そうですか、同居されていたんですか!
江戸っ子気質の中に、暖かみのある言葉を語られる方でしたよね。
霊界でもさぞ活躍されるだろうと思います。