1969年43双の祝福を受けたとき。
旧本部教会の2階で、祝福を受けたメンバーに
文先生はこのように話されました。
「みんな、どこに行ってみたい?
先生は生まれたところに行きたい」
その後、しばらく沈黙が続いて、
先生は窓から遠くの方を見つめていました。
「先生のお母さんはね。
先生を本当に愛してくれたんだよ。
足にとげが刺さったのも気がつかないで、
先生を探し回った時もあったんだ。
親の愛をどれだけ感じたかわからない。
そして、興南でもう二度と会うことがなかったんだ」
その文先生が最後お母さんと出会った興南で
どんな言葉を交わしたのでしょうか。
文先生の生涯路程から引用してみます。
☆
(興南の)監獄にいる間、何度か母が訪ねてきました。
・・・乗り換えながら二十時間もかけて来るのです。
・・息子に食べさせるために、親族の八親等まで頼って米を一握りずつ集めて、
炒り粉(はったい粉)にして持ってきてくれました。
母は私が結婚する時に着た紬のズボンを持ってきてくれました。
囚人服は硫安で溶けてぼろぼろになって肌が見えていましたが、
私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。
親族を頼って準備してきたはったい粉も、
母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。
息子に食べさせ、着させようと真心を込めて作ってきた食べ物と衣服を、
全部赤の他人に与えてしまうのを見て、
母は胸をかきむしって泣きました。
「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。
文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。
また、大韓民国の息子である前に世界の息子であり、天地の息子です。
ですから、彼らを先に愛してから、
お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です。
私は度量の狭い男ではないので、
そういう息子の母親らしくしてください。」
氷のように冷たい言葉を浴びせたのですが、
母の目を見る私の胸は張り裂けんばかりに痛かったのです。
☆
先生は何よりもお母さんの愛を心から感じていました。
しかし、先生は、それ以上に神様のことを考えていました。
「親の情にほだされて、
一歩でもみ旨を退けば、
他の誰が神様を解放するだろうか」
血の涙を流しながら、
それを越えて神様を愛していかれた文先生。
先駆けて乗り越えられた文先生ゆえに、
私も、最も辛い試練を越えていくことが出来たのだ、
そのように思っています。
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