私が拉致監禁された時のことです。
私は二人の牧師に説得を受けました。
二人とも「原理講論なんて間違いだらけであり、
むしろほとんどがおかしい」と言いながら、
聖書を片手に原理批判をしてきたものです。
彼らは、何か別の資料も持っていて、
それを参考に原理の一字一句を批判していました。
おそらく反対牧師共通の脱会説得マニュアルのようなものが、
あったと思います。
原理というものをどう解釈するかによって、
受け止め方が、まったく違ってくるのです。
み言葉を真理として受け止め、
何かを感じようと思うと、
さまざまなことを得ることができます。
文先生は、「すべてが心情から出発した」
と考えておられます。
いわゆる心情動機説です。
ですから神様の心情により、み言葉が生まれ
そのみ言葉により、形づけられます。
み言葉を信じ、神さまを信じていくところに
貴重なものが得られるのです。
そしてみ言葉の価値を更に発見していくことができます。
しかし反対に、最初から穿った目でみ言葉をみると
いくらでも批判できます。
み言葉の背後の心情を求めていかないと
おかしなものとして捉えられてしまいます。
最近、別グループの方たちが原理を批判し、
真の家庭を見つめるのも、
そういったところから出発しているのではないか、
そう思ってしまいます。
それでは、神様は、どうして
宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。
それは、神様が心情をもっていらっしゃるからです。
心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、
生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。
ところが、その創造には必ず目的があるのですが、
その理由は、本来
心情というものは目的を指向するものだからです。
ですから、創造目的は、
心情を充足させる喜びであるといわざるを得ません。
そして、この喜びは、被造物、
特に人間が神様に似た時に訪れるのです。
文鮮明『宇宙の根本』p.55
宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。
それは、神様が心情をもっていらっしゃるからです。
心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、
生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。
ところが、その創造には必ず目的があるのですが、
その理由は、本来
心情というものは目的を指向するものだからです。
ですから、創造目的は、
心情を充足させる喜びであるといわざるを得ません。
そして、この喜びは、被造物、
特に人間が神様に似た時に訪れるのです。
文鮮明『宇宙の根本』p.55
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